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自傷の意味とは?苦しみから逃れる方法とは?
- 躁鬱病を抱える私が最近感じている苦しみとは?自傷や自殺を考えずにいられない理由とは?
- 家族には理解があると思うけど、辛さを伝え切れていない私の存在が家族に負担をかけているのでは?
- 苦しい頭の中の不安感や恐怖感から逃れるために、過呼吸を起こすことで解放しようとしている私の行動は自傷なのか?
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はじめまして。お加減はいかがでしょうか? 鬱病治療中の二十代後半の三児の母です。私自身は「軽い躁」の気配を感じているのですが、診断はまだ下りておりません。 質問者様は「躁鬱病」の診断が出ているとの事、きっと私よりもっともっと長い時間を病と過ごされて来たのでしょう。その中で、このような「すっきりと判りやすい」文章をお書きになるなんて、頑張っておられるのですね。頭が下がります。 私の「鬱の始まり」と似ているところがあり、気になっており、お邪魔させて頂きました。 >最近はそれをわざと起こすことで頭の中のパニックから解放されようとしている気がします。 私は「吐き気」だったのですが、この感覚が理解出来るような気が致します。私は「咽が詰まって膨れ上がる感じ」に耐えられず、「それを吐き出そう」としていたようです。もう既に「叫びたい」「泣きたい」等は「通り越して」おりまして、ひたすらに「胸に心に沈殿し蓄積」されて行く状態でした。 それで、気付いたら突然「吐き気に襲われる」ようになっていて、毎日、日に数回「激しく嘔吐」する、しかし「実際には吐けない」と言う数ヶ月を送りました。(最終的に「大量の服薬で入院」で終わりました) その期間の後半は、「解放を求めて」「わざと」起こしている気が、私も致しました。それほど「習慣付いて」しまった、と言う事ではないか、と今は考えています。 「心の痛み」より「身体の痛み」の方が、「遥かに凌ぎやすい」。。。 私は「心の痛み」を *空腹 *コンクリートの壁を拳で殴る *吐き気 *最終的には「大量服薬」と言う自殺まがいの行為。。。。。で「身体の痛み」に「転化」していました。 「当時」は、それらの行為が「自分にとって」、「どういう意味」なのか判らずにしておりましたが、だいぶ落ち着いて来た「今」、「分析」すると「そういう事だった」と確信しています。 「医学的に」、どう分類されるかまでは存じませんが、「私の中では」、確実に「自傷」の位置づけです。私自身、この事をまだ医師に話していないので、「どうすべきか」はあやふやです。 でも、でも、どうかご自分をお大事になさってください。 ご家族に理解がある、との事、「伝え切れない」のは質問者様ご自身が、お辛すぎるからです。あまりにも「苦しい事」は、「言葉」に出来ません。「言葉の力」を「超えた」苦しさの中に、おられるのですから、どうかご自分の「力不足」等と思われませんように。。。 また、ご家族の方々も、「言葉の力」を超えて、ydoow様を「大切に」思われているからこそ、「言葉で表現」仕切れないのだと思います。 「いけない」かどうか、ではなく、「必要」だからそうしているのです。でもそれは「心の叫び」であって、「身体では消化」出来ないものです。 「助けて」「傍にいて」「苦しい」と言葉に出来たら良いのでしょうか。。。。私にはこのくらいしか思い付かないのですが。。。誰かにそう、一言「発する」事は出来ませんか? お役に立てなくて申し訳ありません。ただ。。。「苦しさ」は判ります。 お大事になさってください。
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何か体の役に立つことを考えてみたらどうでしょうか。心は体をいたわるためにあるのだと思います。体のことを忘れているため、心が働き場所を失ってしまって苦しいのではないでしょうか。もう一つ体の存在を思い出すために軽いジョギングをしてみたらどうですか。心臓が苦しくなると体のことを思い出せます。
お礼
回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。 体をいたわる気持ちを持つのは大切ですね。どうしても感情ばかりに振り回されてしまいます。それが身体を痛めつける行為につながります。 ジョギングですか…今はかなり体力が落ちているので、病院以外は大半の時間を(というか毎日)家の中で過ごしているのですが、外に出て太陽の温度を感じながら汗をかけたら、過呼吸の苦しみなんかよりずっともっと、きっと気持ちいいでしょうね。 少しずつよくなるように頑張ります。ありがとうございます
- hamakkotarou
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誰かに理解されたいと思うことには問題はありませんが、実際に誰かに すべてを理解されることがないことを理解しておく必要はあります。 もし誰かにそれを望むのであるのなら自分がそれを出来るかどうかを確 かめてみましょう。 もし自分で出来るのであれば誰かも出来るかもしれません。 しかし、誰でもが出来るわけではないので出来るようになるまで時間を かけて待つことです。 自分の思っていることがそのまま起こらなければいけないと思っていれ ば、実際に思っているようにならなければその思いによって自分の気持 ちは落ち着かなくなるはずです。 不安を感じることはいけないことだと思っていれば、少しの不安を感じ ただけで、自分をより不安な状態にさせてしまうのです。 不安は誰でもが感じていることです。 不安を感じたからといって現実に何かが起きているわけではなく、ただ 頭の中で感じているだけのことです。 自分で不安を感じてはいけないと思ってしまえば、不安を感じる自分の ことを責めたくなるだけです。 不安は感じてもいいのです。 そして、不安を解消しようとしないことで不安が自然と消えていくこと を学びましょう。 自分の心が落ち着かないときは、落ち着かせようとするのではなく 落ち着かない気持ちを楽しむくらいの気持ちを持つことです。
お礼
回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。先日通院の際に、質問の内容を主治医に相談して参りました。 >実際に誰かにすべてを理解されることがないことを理解しておく必要はあります。これは主治医にも言われました。たとえどれだけ信頼のおける人間でも本人にしか理解できないものは、理解できない。そうですね。 自責は症状のひとつであるので無理に解消する必要はないですが、解消しようとする努力はこれから必要であるとのことでした。お薬だけに頼らず、もっと真っ直ぐに病気と向き合えればと思います。ありがとうございました
お礼
回答ありがとうございます。 実は当方まだ二十歳になる学生です。躁鬱病と診断されたのはごく最近でありまして、おそらく鬱状態に陥る前、長い間躁状態だったと思われます。かなりハードなスケジュールを長い間過ごしていたので…。躁状態は健康的にみえるので、病気に気付きにくいです。突然鬱状態になったときは長い間、もう寝たきりの状態になってしまいました。大学も休学中です。 先日、主治医に質問内容と同じことを相談してみたところ、身体と精神のバランスが崩れているとのことでした。薬によって鬱による体調不良は改善されているが、精神面がまだまだ不安定な状態であるとのことです。 理解のある解答をいただけて嬉しく思います。やはり経験した者にしかわからない辛さって、ありますよね…。こんなことは初めてです。私は日記をつけることで、言葉による発散はもう十分に行っているのですが、それでもまだ足りずに、過呼吸という手段を自ら選ぶようになりました。それを心配する家族をみて、私は誰もかれもの負担になっている、そういう存在であるという気持ちがあったので入院を希望したこともありました。 しかし、過呼吸をはじめとする自傷は、否定するものではありませんが、病気を治すためのメリットは何もないと思うので、やはりお薬や周囲の協力を得て、少しずつ治していくべきだと思いました。主治医にはカウンセリングもすすめられたので、受けてみようと思います。 お互いゆっくり自分のペースでよくなるといいですね。ありがとうございました