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起きてしまったものはしょうがない?
埼玉県で中学生3人が路上生活者の男性を暴行で殺した事件で、中学の校長が3人に対して 「起きてしまったものはしょうがない。十分反省しなくちゃね」 と言葉をかけたそうです。 (1日朝日新聞地方版) 私はこれに身体が震えるほどの怒りを覚えました。 しかし、全国版に報じられることもないこの部分は、記事の末尾につけたされたような程度の報道でした。 つまり、新聞も「それほどの報道価値はない」と判断したと解釈できます。 たしかに校長にとっては、とんだ災難だったでしょうが、あまりにも大人としての責任を無視していませんか? 私はどうにも納得できません。 この校長の言葉は「普通の感覚」でしょうか? みなさんも「まぁ、そうだよな」くらいに思いますか? 言い過ぎなのかも知れませんが、少年ではあるものの重大な罪を犯してしまったんだから、性格が変わってしまうくらいに精神的に追い詰めて、2度とそんなことができないように洗脳してしまうのがいいのではないかと思っています。(映画「時計仕掛けのオレンジ」みたいにです)
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No.3のUKYさんの、参考URLが、まさに「参考」になりました。ありがとうございます。 同じ記事を読んだのですが、私は、違う解釈をしました。 涙を流そうが、恐怖におびえていようが、やはり生徒たちのやってしまったことは、あまりにも罪が重すぎます。号泣や、後悔ぐらいで情状酌量というわけにもいかないでしょうし。 反省などという生易しいもので償えるものでもありませんし、彼らが「こと」を起こしたきっかけ(動機)の時点で、既に人格的に大きな破壊がされております。人格の根本的なところが変わらない限り、彼らの償いはありえないでしょうし、やってしまったことに関する責任を、万民の納得するところで果たさなければなりません。 ところで、ykkw_2001さんのおっしゃる「校長の対応」についてですが、こればかりは、現場で実際に校長が述べた様子を見た人にしか、判断をすることはできません。どんな言い方をしたか、本当にその言葉どおりだったのか。 取材をした記者の主観が入っているかもしれません。 もちろん、言葉どおりに受け止めれば、あまりにも不適切な言葉かけです。どこが、といえば、「しょうがない」という言葉の重みです。 普通ならば、「起こしてしまったことに対して、どのように責任を果たせばよいか、よく考えなさい。わからなければ、教えてもらいなさい。」ぐらいは最低言うでしょうね。泣きじゃくっている生徒たちを目の前にしたならば、「その涙が、何によるものなのか、あとで考えることだ。」ぐらいは当然かな。 罪の大きさに耐えられなくなる人たちは、しばしば、人格障害を起こしてしまったり、街中にいても、急にその姿がよみがえってしまって、吐き気をもよおしてしまったり、という話を聴いたことがあります。そのレベルまで、現在その生徒たちが追い込まれているかどうか。(私はおそらくそこまではいっていないと思う) 罪を償う中で、本当に人格障害になってしまってはいけません。パニック症候群にもならないほうがよい。だからこそ、更正の施設では神経を使って、 ・罪の大きさをしっかりと自覚させる。 ・それを正視できるようになっても、人格破壊を起こさないようにする。 という、一見矛盾したことを実現させるべく、指導員はがんばっているのだと思います。 ただ、刑期を終えたから出所、というだけでは、まさに無駄な税金使いですからね。
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- shinsukenatsuki
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このコーナーは論争のためのチャットではなく,質問と回答が主のはずです。最初から,削除されるような姿勢で質問を提示するのはフェアではありません。どんな回答が来ようと,相手の意見を否定して自説を展開するのであれば,質問の意味がありません。質問者がどのような年齢や生活経験をもった上で,質問されているのか不明ですが,「少年ではあるものの重大な罪を犯してしまったんだから、性格が変わってしまうくらいに精神的に追い詰めて、2度とそんなことができないように洗脳してしまうのがいいのではないかと思っています。(映画「時計仕掛けのオレンジ」みたいにです)」と書いているのを見ると,正直,あまりにも稚拙なご意見です。少年犯罪に対しては,より厳罰的な方向に進みつつあり,それが必要であるのは確かですが,ケース・バイ・ケースで一概に言えず,洗脳などとはとんでもない意見です。新聞報道だけで,やたら「正義感」を燃焼させるのではなく,少年犯罪への対応策を含めて,もっと勉強してください。家庭裁判所の調査官や警察署の青少年課など実際の補導にあたっている専門家は,あなたのような見解を持っていませんよ。
お礼
ご回答(?)ありがとうございます
補足
>この校長の言葉は「普通の感覚」でしょうか? >みなさんも「まぁ、そうだよな」くらいに思いますか? というこのケースに限定した質問なのですが・・・ >質問と回答が主のはずです。 >専門家は,あなたのような見解を持っていませんよ。 で、ご回答は「ケース・バイ・ケースで一概に言え」ないということなんでしょうか? できれば、根拠を書いていただけるとうれしいですが・・
- UKY
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#3、#9のものです。 > つまり#3のご意見は「人権擁護論」ではあるが、#3の方を「人権擁護論者である」とは思っていません。 > 私もあなたが勘違い人権擁護論「者」だとは思ってません。 確かに ykkw_2001 さんは、私が勘違い人権擁護論者であるとの発言はしておられませんが、私には「勘違い人権擁護論者」と「勘違い人権擁護論を唱える人/持っている人」との違いがはっきりしません。(ykkw_2001 さんは、#5での補足で「勘違い人権擁護論者」という言葉を使用しておられます。) 何にせよ、私には、勘違い人権擁護論の「勘違い」という言葉が最初からどうしてもしっくりこないのです。そもそも、何をもって勘違いとするのか。 「バトルロワイヤル」という映画を見たことがありますか? この映画では、それまで仲間であった友達を敵として惨殺する子供の姿が描かれています。この世界では、「自分の身は自分で守る」が「正しく」、「人殺しは良くない」などともらせば、「勘違い」をしていると他のものから見られ、殺されます。 この現実世界でもバトルロワイヤルの世界でもいえることですが、「多数決」の理念が正当とされ、「少数派」=「勘違いしている」のレッテルが当然のごとく貼られます。しかし、「少数派」と「勘違い」を結びつける論理的根拠はあるでしょうか? 多ければ正しいという理論は成り立つでしょうか? 事実、現実のこの世界では「世界は皆が共存できるように平和であるべきだ」という多数派が「他人を殺してでも自分のみを守れ」という少数派を圧倒しており、私も前者の一人ではありますが、私には「目には目を」の多数派が「人権擁護論」の少数派を数で無理やり封じ込めようとしているように思えてならないのです。 互いを見つめ合って双方の長所・短所を見極め、互いに納得のいく解決策を見つけようとしているでしょうか? 自身の長所・他人の短所しか見えない人は、自分のことは自分で決め、さらに(他人の意見を変えようと)他人のことにまで手を出すおせっかいな「自己中心主義」ではありませんか? 確かに、自発的犯罪者が増えれば(私を含む)平和主義派『は』困りますが。 (これから数日忙しくなるので、(していないとは思いますが)私からのさらなる投稿を期待しないで下さい。) ↑こういう事を書くことが「他人のための親切」なのか「余計なおせっかい」なのかということも、議論の価値がありますが。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
たびたびのご回答に感謝します。 情報が伝えきれない場での回答は難しいことは、承知していますので、数度に渡りご回答いただいたのは私の疑問解決には大変助かります。 まず、 >私からのさらなる投稿を期待しないで下さい 十分です。(^^) 当初の私の質問 >この校長の言葉は「普通の感覚」でしょうか? >みなさんも「まぁ、そうだよな」くらいに思いますか? には、すでに「不適切だったとは思いません」というご回答をいただいていますから・・ >何をもって勘違いとするのか 悲しいことにテレビの受け売りです。 そこでは、加害者や加害者予備軍の人権擁護を叫ぶあまり、被害者や今後被害を受けるであろう人の人権を忘れてしまうことを「勘違い人権擁護論」と表現されていたので、ある程度認知されている言葉かと思ってました。 「ひとごろしする権利」を擁護することに発展するのが「勘違い」です。多数/少数は関係していません。 (全米ライフル協会などはいい例かもしれません) かなり当を得た言葉かと思いますが・・・ >バトルロワイヤルの世界 は、現実に対するアンチテーゼと受け止めています。 (ただ善悪の判断が確立していないような少年が観ると、上記の「人権擁護」の風潮とあいまって「ひとごろし」さえも歯止めできなくなる「勘違い」を誘発するかもしれませんが・・) >「少数派」=「勘違いしている」結びつける論理的根拠はあるでしょうか? >多ければ正しいという理論は成り立つでしょうか? 奇しくも、はじめに私が質問したかったのは、まさにこれです。 件の校長の発言は、「みんなそう思ってるのか?」「普通なのか?」「なんら引っかかりを感じないのか?」「多数派なのか?」・・・ そして、被害者や今後被害を受ける可能性のある人にとって「校長発言は、正しいと思うか?」を根拠とともに、お聞きしたかったのです。 そしてあなたの2つの問いかけに対する私の回答は「否」。 あなたは、あなたの考えが「少数派」というのを前提になさっているようですが、質問の時点で、また、今なお、「怒りを覚えた」「洗脳してあげよう」という私の感覚が、「少数派」である可能性もあると思っています。 >「目には目を」の多数派が「人権擁護論」の少数派を数で無理やり この件に「目には目を」を適用すると「死には死を」死刑ということですね。 「更正」「洗脳」とはまた違いますね。 >互いを見つめ合って・・・ 前回までのご回答と論旨が乱れておられるようですので、置いときます。 ありがとうございました。
- UKY
- ベストアンサー率50% (604/1207)
#3の者です。 まずはじめに言っておきますが、私は自分を「勘違い人権擁護論者」だとは思っていませんし、だからこそここに書き込みをしているのです。 > はぁ、やっと出てきてくれましたね。 と書かれておられる以上、あなたはここで「議論」をするつもりでスレッドを立てたのだと思いますので、そのつもりで書きます。(それ以前に、そのことを質問欄に書いておいてほしかったですが。) > 「もう一回くらいはそんなことができるような元気を残しておいてやれ」とでも言いたいのでしょうか? そうではなくて、「2度とそんなことができないように」するための方法が「洗脳してしまう」ことであることに反対しているのです。 > 「…その意味を一生かかっても考えろ」と言ってやるべきでしょう。 少年たちはすでに自分のしたことについて考え、悩んでいるでしょう(「涙ながらに話した」のですから)。大人がこのようなことを言う前に、大人たちもよく考えろといっているのです。頑張っているのに頑張れと言われる、勉強しているのに勉強しろと言われる、そういうことは誰だっていやでしょう? 少年らが自ら反省しているのだから、無理に介入するなということです。少年たちに反省の色が見えないのなら、厳しく言ってやることがだめだとは思いません。 > 手練れのヤクザでもここまで冷酷なことをするかという感じです。 殺す意図がなかっただけでも他の凶悪な事件に比べてましだったと言いたかっただけです。 ……さて、本来のここでの話題は校長先生の発した言葉についてでしたね。 私は、この言葉の裏には、最近よく取り沙汰されている「ゆとり教育」だとか「個性を尊重する教育」だとか言ったものがあると思っているのです。「ゆとり」や「個性の尊重」が「自主性の尊重」につながる。それは悪く言えば、大人が子供をほったらかしにするということであり、よく言えば「自分のやることは自分で決める」ということです。 校長先生もこの自主性尊重の風潮に乗ってこのようなことを言ったのでしょう。少年らが反省の色を示しているのなら、その態度を肯定してやることで十分だと思ったのでしょう。 ykkw_2001 さんは、自主性の尊重の悪い点だけを取り立てているように思えます。しかし私は、これからの社会で強い判断力を持つ人間になるには、「自分のやることは自分で決め」られるような人間になる必要があると思っています。(私はゆとり教育推進派ではありませんが、人に命令されないと自分では何もできないような人間になっては困ります。) もっとも、自主性の尊重と、熱心な教育指導というものは相反する点があるので、「一生懸命に指導していたのに残念だ」などと言われれば問題ですが。 まぁ、「起きてしまったものはしょうがない。」 とは言っても、「起きる」の主語が明確でなく、色々に解釈できるので、その点に関しては言った本人に直接聞きでもしない限り議論は尽きないでしょう。
お礼
再びご回答ありがとうございます
補足
>私は自分を「勘違い人権擁護論者」だとは思っていません 私もあなたが勘違い人権擁護論「者」だとは思ってません。 が、#3にお書きになった内容は、「勘違い人権擁護論」を感じさせています。 >少年らが自ら反省しているのだから少年らが自ら立ち直れるように、むしろ大人はそれを温かく見守ってやるべきだと思います。 なぜ、「悪いことは悪い」とぶん殴ってでも、真正面に立って教えてあげないのでしょうか? 校長先生と同様、「温かく見守」るのは余りに冷淡で、無責任ではありませんか? >これからの社会で強い判断力を持つ人間になるには、「自分のやることは自分で決め」られるような人間になる必要があると思っています。 他のたくさんの子供たちを言っているのではなく、自主性に基づいて、暴力で人を死に至らしめた「彼らの処置」について、本当にそうお考えですか? 「自分のやることは自分で決め」たが故に人を殺めた彼らに・・ >「起きる」の主語が明確でなく、色々に解釈できるので、 確かに報道の偏向姿勢や信憑性に問題があるという可能性は否めません。 しかし文章どおりには、主語は「この事件」というナンとも他人事のようなもの以外になにかありますでしょうか? #私の稚拙な挑発に乗っていただきながらも、冷静に議論いただいた姿勢に感謝します。 #すでにこの質問や、私の補足、あなたの回答は削除される可能性が大です。 #がしかし、おっしゃるように「大人が子供をほったらかしにするということ」を良しとする風潮がまかり通り、校長先生さえもが犯罪少年に対し「起きてしまったものはしょうがない」と言い、 #それを援護射撃するような方と巡り合えたのは、ある意味貴重ではあります。 >人に命令されないと自分では何もできないような人間 は確かに困りますが、 「自発的に」人殺しするような人間は、もっと困ります。 「子供をほったらかしにする大人」や「勘違い人権論」がそのような自発的犯罪者を養成しているとは思いませんか?
私もあのニュースを見て、校長が話しているのを見て疑問に思いました。 校長は「信じられないことだ」みたいに淡々と言ってますが、同級生の証言によると犯人達は日ごろから非行グループだったのでしょう?それを知っていて「信じられない」とは何事だろうと思ったんです。 普段なんの手段も講じてないということじゃないですか?なんか「一生懸命指導していたのにこういうことが起こってしまって・・・」っていう感じじゃないですね。あいつらはやるべくしてやった、なるべくしてなった奴らですよ。 この校長の姿勢が現代の教師の像を映し出しているようですね。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
>あいつらはやるべくしてやった、なるべくしてなった奴らですよ。 私より上手がいたという感じです。 確かに「路上生活者をからかいに行こう」などという思いつきは、そのように解釈されても「しかたがない」です。 >この校長の姿勢が現代の教師の像を映し出しているようですね。 ということは、今日の大多数の教師がああいう感覚を持っているのでしょうか?
- shinsukenatsuki
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まず,本当ならひどい発言と思いますが,朝日新聞は,この種の事件では文脈を無視して,一方的な取材と報道を繰り返していますので,注意して下さい。つまり「学校・校長・教師=権威主義・管理主義」という前提で解釈するのです。 通常,理解しにくい部分もありますが,青少年が犯罪を犯した場合,心理的な動揺が激しく,自殺するケースもあるので,臨床心理の専門家は,まず気持ちを落ち着ける指導をします。そのため,「おきたことは仕方がない」という言葉をかけることもあります。過去を振り返らないという意味ではありません。反省するためにも,こうした手順も必要なのです。校長が,専門家と相談している対応をしてるなら,こうした指導もするでしょう。 注意していただきたいのは,新聞記者はじめマスコミ関係者は,教育問題の具体的な知識をまったく勉強する機会もないので,不十分な理解で扇情的な記事が出ることです。私も青少年の犯罪については,本人の責任を明確にし,家庭や学校の責任にする傾向はあらため,厳罰にすべきと思っておりますが,少年犯罪の背景に学校の責任を穿り出して報道してきたのが朝日新聞なのです。あの神戸の少年殺人事件(サカキバラ)の際にも,実際にはなかった学校の体罰が一因であるかのような報道をし,元校長から告訴され,最近,告訴を認めた判決も出ました。私は,朝日新聞は比較的まともな新聞と思っていますが,常に新聞記事の背景や傾向をあたまにおきながら読むべきです。 また,人権擁護論者とかいうレッテル張りは止めましょう。このコーナーは罵倒や論争の場ではなく,情報交換の場です。#3のご意見は,後半は少し疑問ですが,少年犯罪を考えるときには常識的な観点です。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
>常に新聞記事の背景や傾向をあたまにおきながら読むべきです。 この点については、私も注意を払っているつもりです。 朝日新聞には、 >「学校・校長・教師=権威主義・管理主義」という前提 を固持しつつ報道する企業であるとのレッテルを貼っていますから・・・ >人権擁護論者とかいう ここでは、私は敢えて、「人権擁護論」と書き、「者」をはずしています。 つまり#3のご意見は「人権擁護論」ではあるが、#3の方を「人権擁護論者である」とは思っていません。 ただかなり挑発的に補足をさせていただきました。 なぜなら、私が質問させていただいた校長先生の発言は私に「勘違い人権擁護」を感じさせるに十分の要素があり、質問した時点で陰に「その立場から彼の発言をいったいどのように解説していただけるのか?」という回答を求めていたからです。 #「やっと出てきた」のは、「論者」ではなく、「論」のことです。#3の段階ではまだ、その兆候が見られるにとどまっていますから、挑発の必要がありました。 ご指摘のように報道自体の信憑性に疑義があり、偏向している可能性があるということは、よく配慮しておかなくては行けないと思いました。 >新聞記者はじめマスコミ関係者は,教育問題の具体的な知識をまったく勉強する機会もない とまでおっしゃるわけですから・・・ >このコーナーは罵倒や論争の場ではなく,情報交換の場です。 了解しています。また、質問を出した時点で内容によっては削除も覚悟しています。(あなたを含めご回答いただいている方々には申し訳ありませんが・・・)
- kabokabo
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校長の言葉に怒りというよりも呆れてしまった一人です。 犯した罪の責任はその中学生にあるのは当然ですし、質問者さんのご質問にそぐわないと思うので、割愛させて頂きます。 「起きてしまったものはしょうがない。」 この言葉は、私は全く予測できなかった結果に対して使う言葉だと思います。 一人をよってたかって暴行すれば、死に至ることくらい安易に予測できるもの。本当に殺す気は無かったかもしれないが、予測できないことではない。 本来なら「してしまったことは、今更取り返しはつかない」と表現するべきでしょう。 どういう風に取り返しがつかないのか。その3人が起こした事件によって、被害者周辺や社会にどういう影響をもたらすのかを話すべきだと思います。 >少年ではあるものの重大な罪を犯してしまったんだから、性格が変わってしまうくらいに精神的に追い詰めて、 >2度とそんなことができないように洗脳してしまうのがいいのではないかと思っています。 個人的にはこういう事件が報道されるたびに「目には目を」ではありませんが、被害者の方と同じ目に遭わせればどうなのか?と、少年犯罪に限らず思ってしまいます。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
>被害者周辺や社会にどういう影響をもたらすのかを話すべき なのですが、「仕方がない」と発言してしまったことが、加害者の少年たちや他の者ににどのように影響を与えるかを考慮せずにいた彼は、「言ってしまったことはしょうがない」と思っていることでしょう。 つまり「自分のやったことは自分の責任である」ということを自覚せず、また、生徒に自覚させずに居ることが「起きてしまった」ことは「しょうがない」などという発言に図らずも現れてしまったのではないかと思うのです。 残念なことですが、#1の方がおっしゃる「いくらなんでも」が現実にあるのかもしれません。
- p-21
- ベストアンサー率20% (265/1269)
ワタシ論ですが このような問題において 校長は何なんでしょうか? ワタシは校長などどうでも良いと思っています 校長がどういう発言をしようが おきてしまった状況は変わりようが 無いし 反省すべきは(処罰を受けるべきは)直接の加害者である 生徒ではないでしょうか? ここで責任がすりかわっていると思います 今の世の中は 全て人のせいにする風潮がありますが この件についても校長の責任を問う事はあっても 加害者の責任は何処かへ行ってしまったように思えてなりません 未成年であり 殺すつもりは無かったといえど 死んでしまった結果は変わりません 大人であれば結果的に死んだとしても 暴行殺人としての罪を問われる事は間違いありません 問題はここであると思うのですが・・・
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
>ワタシ論ですが 十分、結構です。 >加害者の責任は何処かへ行ってしまったように思えてなりません 直接の加害者が処罰されるべきであるのは明白ですし、「責任のすりかえ」をお感じになってとすれば、私の質問文が舌たらずだったのが原因でしょう。 校長を責めたからといって、加害者の責任は決してどこかへ消えてしまうものではありません。 >大人であれば結果的に死んだとしても >暴行殺人としての罪を問われる事は間違いありません おっしゃるとおり、少年犯罪の問題は少年法に端を発し、「少年は無条件に保護する」という風潮が問題です。 つまり、校長の発言はまさにこの風潮に乗じたものであり、少年だから「仕方がない」と「温かく見守られる」ことに違和感を覚えないか?と質問したかったわけです。 前のsongbookさんが書かれているように「こと」を起こした動機の時点ですでに非行といえる状態であるのに、彼らを教育する責を果たすべき校長が事後「起きてしまった」「仕方がない」と「温かく見守」っているように言っていることが、私の怒りの原点です。 つまり、犯罪を犯した未成年は相応の処罰を課すべき、犯罪を犯す(可能性がある)未成年を作っているのは「温かく見守る」勘違い人権擁護論者ではないかと・・・・
- UKY
- ベストアンサー率50% (604/1207)
アサヒコムの記事を読みました。 少年らは、被害者が息をしていることを確認してからその場を去ったとあります。ということは、少年らは被害者を殺す意図はなかったということです。 被害者が死に至ったことは、ある意味「予想外」のことだったのです。 また、少年らは事件を起こしたことについて涙ながらに話したといいます。従って、少年らは事件に対してすでに反省の色を示していたということになります。 このような少年に対して、大人たちが強く糾問などすれば(=精神的に追い詰めれば)、少年らは逆に怒りを爆発させ、(その後更生施設などに入れられたとしても)更なる非行に走る恐れがあります。 少年らが自ら反省しているのだから少年らが自ら立ち直れるように、むしろ大人はそれを温かく見守ってやるべきだと思います。校長先生の言葉が適切だったかはわかりませんが、不適切だったとは思いません。 校長先生の言葉に怒りを覚えたとおっしゃっていますが、ではあなたは校長先生にどのようなことを言ってほしかったのですか? > 性格が変わってしまうくらいに精神的に追い詰めて、2度とそんなことができないように洗脳してしまうのがいいのではないかと思っています。 少年の人格を変えろとおっしゃるのですか? 人格は人が自ら作るものです。他人が人の人格を変えることは、その人を半分殺すようなものだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
はぁ、やっと出てきてくれましたね。勘違い人権擁護論。 >その人を半分殺すようなものだと思います。 彼らは、人を全部殺してしまったんですよ。殺された人は「人格」なんてことさえ言えないで、命を奪われたんですよ。 私が >2度とそんなことができないように と書いていることに反発されるということは、「もう一回くらいはそんなことができるような元気を残しておいてやれ」とでも言いたいのでしょうか? 片腹痛いとはこのことです。 悪いことを悪いと教えてやるのが教育者であり、責任を持った校長でしょう。「おまえらが何年、何十年かかってもなくなった命は戻らない。おまえらが起こしたことなんだ。子供だからとか、状況がそうだったからとか、仕方がなくないんだ。その意味を一生かかっても考えろ」と言ってやるべきでしょう。 >温かく見守ってやるべきだ 本意かどうかは関係なく、暴力で人を殺めてから3日も経たずに「起きてしまったことは仕方がない」は、温かすぎ。それじゃあイカンでしょうよ。殺人少年は増えつづけますね。そして勘違い人権擁護さんはその責任を感じてほしいのです。 >少年らは、被害者が息をしていることを確認してからその場を去ったとあります。 手練れのヤクザでもここまで冷酷なことをするかという感じです。 >ということは、少年らは被害者を殺す意図はなかったということです。 だから?いいんですか?被害者が勝手に死んだとでもいうのですか?
「起きてしまったものはしょうがない」って、なんだか軽い感じがしますねー。 殺すつもりがなくても、数人で暴力を振るったんだととしたらそんな軽い言葉ですましちゃうなんてどうかしてるって思いました。 洗脳のことはわかりません。 だけど暴力を振るってそれが快楽になってるんだとしたら、すごく怖いことだと思いました。 私は校長先生の言葉は普通の感覚だって思いません。暴力行為を容認してるようで怖いです。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
>暴力行為を容認してるようで怖いです。 そう、まさに私が怒りを感じたのはそこです。 故なく「路上生活者をからかいに行こう」と思いつくこと、反撃に会って相手に暴力をふるい死に至らしめること(大人の男性が死ぬほどの暴力を想像してみてください)、そしてそれを「しかたがない」という感覚。 「起きてしまった」というのも、とてつもなく冷酷な他人事みたいな言い方です。 新聞記者が故意に話の流れを無視して、会見の一部分を都合よく取り出したとしても、余りに酷い発言です。
- Hageoyadi
- ベストアンサー率40% (3145/7860)
言いすぎだとは思いません。殺すつもりで暴行するようなアフォはわれわれの税金を使ってでも、一生実社会に戻ってこれないようにすべきです。たとえ中学生でも。 校長だとかいう人の発言にはワタシもあきれましたが、それ以前に新聞が真実を報道しているとは限らないので気にしてません。いくらなんでもそんなバカは教員にはなれないでしょうし。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
基本的には私と同じ感覚をお持ちとみました。 >殺すつもりで暴行するような 殺すつもりはなかったそうです。 「はじめっから殺すつもりでした」とは、言わないでしょうが・・・ >新聞が真実を報道しているとは限らないので気にしてません。 たしかに鵜呑みにはできませんね。 しかし、この発言部分はウソではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
私の質問の舌足らずな部分を的確に書いていただいたようです。 >彼らが「こと」を起こしたきっかけ(動機)の時点で、既に人格的に大きな破壊がされております。 >人格の根本的なところが変わらない限り、彼らの償いはありえないでしょうし まさにこの部分・・・ >罪を償う中で、本当に人格障害になってしまってはいけません。パニック症候群にもならないほうがよい。 そう、もしそうなったら精神的な逃亡と等しいわけですから・・・ (本題とは離れますが) 果たして「更正」とは、「更正した」とは、どう言うことなんでしょう。そこには死んでしまった被害者のことは、被害に合わずに生きた場合の人権は、どう扱われるのでしょう。 やはり釈然としないものが残ります。