今年、主人の両親を亡くし、はからずも家に仏壇を置く事になった者です。
今回、何しろ初めて尽くしでオタオタしている私達にお寺の住職が仏教の考えなどを話して下さったのですが、その中で「亡くなった人は悪さをしません。“○○しなかったからたたりが有る”なんてことはないのです」と言われた事を思い出しました。
pinさん、心配し過ぎですよ。というより、住職の諸々のお話でにわか仏教ファンになった私としては、自分の利益のために供養(もどき)をする方が邪道に思えます。本当に供養の気持ちが有るのなら、形式は問わないハズです。おじいさま、おばあさまの事を思い出して手を合わせればよいのです。
必要なら、写真や線香を用意しても良いです。あくまでも必要なら、です。
そして、ここが大事。“今生きている自分の人生を大切に正直に”生きる事、これも供養なのですよ。
例え、立派な仏壇があっても、立派な法事を行っても“心”がなければ意味が無い、という風に私は理解しています。
なので、家には仏壇がありながら形式ばったことはしていません。毎日のお供えとか、線香とか。。。
そこまでゆとりをもって信心することは私達にはできないのです。
でも、いつも皆がいる居間で、存在感をいつも漂わせ、何かにつけて話題になります。うちはコレで良いと思っています。
pinさんができる範囲のことでいいんじゃないですか?
究極な事を言えば、お骨を引き取って、しかるべき居場所を用意し、法事を営むのがいいでしょうが、ソレはお孫さん世代には負担が大きすぎると思います。
お寺にお骨を預け、保管料を払っているのは誰でしょうか?その人が普通、法事の主催者であると思いますが。ご主人の御実家に仏壇が無いとなると、そこは分家で、仏壇は本家にあるのではないでしょうか?
ご夫婦仲、何かの切っ掛けでしっくりくる様になるといいですね。そうなりますように。
お礼
ありがとうございます。主人の実家にお寺の名前聞くのなんか悪くているのです。お母さん祖父のこと嫌っててあまり話しだしにくくて・・・でもそうも言ってられないので、なんとかしたいと思います。仏壇はないので私の家でお線香だけどもあげたいと思います。