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愛するということ
主婦暦2年目です。 結婚とは『愛』を誓うことです。 でも、主人を『愛していますか?』と聞かれたら『愛しています』と即答できません。今まで、主人には沢山の嘘をつかれ、裏切られ、話し合いをしようにも、話にならないことが多々あったせいか『愛しい』という感情が皆無です。私はまだ子供はいませんが、街で赤ちゃんを見るたびに心が満たされます。見知らぬ赤ちゃんを見るだけで幸せな気持ちになります。しかし主人の顔を見ても幸せいっぱいって感情はないですし、ふと、昔裏切られたことを思い出したりしてムカつくときもあります。主人とは結婚暦はまだ短いですが、交際期間が7年ありました。 数え切れないケンカもして、何度も別れてやる!!を繰り返したせいか、結婚する大分前から『愛』に幻想を抱いてきました。 しかし、主人がお金を稼いでくれるから私は昼間のパートで済んでいます。今のマンションも私一人では絶対に手に入れられません。主人には感謝もしているし、離婚する気も一切ありません。もう、空気みたいなものです。私は空気に対して『愛』はありません。しかし空気がないと生きていけません。 この前、『愛』について調べていたら不倫女性の作ったHPにたどり着きました。そこには同じ不倫女性が沢山コメントを残しており、皆言うのです。「彼を心から愛している」と。結婚している私が『愛』がなんだか分からないのに独身の彼女たち皆が『愛』を感じています。 彼女たちは、交際期間が一ヶ月~十年と様々で、不倫相手を空気などと表現する人は一人もいないのです。 私のパート先の50代の主婦の方々は皆、旦那様のことを「鬱陶しい」といいます。「旦那を愛している」なんていう人は一人もいません。 結婚=愛ではなく、不倫=愛なのかと思ってしまいます。 不倫女性たちは結婚、出産をあきらめ、生活を扶養されることなく彼のためだけに生きているようです。こういった、相手に見返りを求めない関係こそが『愛』で、『無償の愛』と言うようです。結婚とは扶養されることなので、夫に対して『無償の愛』を示すことは無理です。 彼女たちは言います。彼と付き合って『愛』を知ったと。普通に結婚をしていたら経験できない『与える愛』を、注げる相手がいるんだと。 なんだか、不倫の経験のない私は人を『愛』することが出来ないみたいです。 私の両親は父の女性関係で仮面夫婦になってしまいました。それがトラウマで既婚男性は父親に見えてしまいます。もしも、将来既婚者を好きになり関係を持ってしまったら自殺しようと考えています。仮面夫婦の家庭の歪んだ空間を経験しているせいか、自分のせいであの空間で苦しむ人がいると考えると生きていけません。 皆様、『愛』ってなんでしょうか?
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他の回答者様が、聖書の話を出されたのを拝見して、何だか笑ってしまいました。 変な意味ではないです。 人間は、聖書の時代から『愛』というものが何なのかを模索し続けているのだな、と思ったからです。 そして、未だ答えが見つからないからこそ、人は飽くことなく愛を人生のテーマにし続けるのだなと。 それこそ、神話の時代から人が考え続けてきたことなのに、簡単に答えが出るはすがないのです。 たかが数十年生きただけのひとりの人間ですから。 『これこそ完璧な愛だ!』なんて全人類を納得させることができるような答えは、多分誰一人持ち合わせていないのではないでしょうか? みんな、わからないなりに自分が納得できる答えを見つけているのです。 それはきっと、正しくもないし、間違ってもいないのでしょう。 ちなみに。 テレビドラマでもマンガや小説でも、『愛』をテーマにしたものが沢山あります。 何故なら、『愛』は素晴しいものと信じられているので、みんながそれを欲しているからです。 けれども、本当はみんなそれが何なのかは知らない。 作り手だって本当のところは良くわっていない。 だから何やらそれらしいものに『愛』という言葉を付ける。 どうせみんな知らないのだから、言ったモン勝ちです。 その結果、あっちでもこっちでも『愛』の大安売りです。 そして知らないが故に、みんな簡単に騙される。 これが『愛』だと言われたら、そうだそうだと思い込んでしまう。 プラシーボ効果と同じです。 ただの小麦粉を、素晴しい薬ですと言って病人に飲ませたら、本当に病気が治ってしまうというアレです。 人間は、思い込みだけで病気も治せるし、結婚だってできてしまうのです。 そして恋愛なんて、そもそもが思い込みです。 とりあえず、ドラマやマンガ・小説に書いてあることなんかを頭から信じてはダメですよ。 あれはただのエンターテイメントです。 聴衆を喜ばせるために存在するものであって、虚実何でもアリなのです。 真剣に検討するものではありません。 ただ楽しめばいいのです。 そして、『気が狂いそうなほど愛している』というのが『確固たる愛』だなんていうのも、私は納得しかねます。 それはただの思い込みと生理現象ではないかと思います。 恋をすると、ホルモンが分泌されて、その結果感情的になります。 ドキドキワクワクしたり、ちょっとしたことで喜んだり悲しんだりします。 そこに「私はこの人を愛している」という思い込みが加われば最強です。 一気に感情の触れ幅が増大し、喜びも悲しみもより強いものになるでしょう。 涙を流して『愛してる』なんて言える人は、思い込みの激しい人で、なおかつ感情の起伏が激しいだけなのだと思います。 結婚して数十年経てば、どんなに愛し合っていても、その激情はいつか冷めます。 気が狂うほど愛しているというのが確固たる愛だとしたら、長年連れ添った夫婦には愛が無いということになってしまいませんか? 顔を見るたびに「愛してる」と思わないといけないなんてことは全く無いのです。 激情と愛情を混同されている人が、世の中には案外多いものです。 やっぱりドラマやマンガの影響ですかね? まぁ、他人から見てどうかということよりも、本人が納得していることが一番なのだとは思いますが。 ご自分で納得できる『愛』を探してみてください。 愛を知らないこと、わからないことは、決して恥ずかしいことでも、まして不幸でもありません。 同じように、愛を口にする人間が優れているわけでも、より幸福なわけでもありません。 むしろ、わかったつもりになって口にする人よりも、わからないと探求し続ける人の方が、本質的に理解する可能性が高いと私は思っています。 「無知の知」ですね。 きっと他の誰とも違った、あなただけの『愛』の形があると思います。 もちろん、それを知るためには対象者の存在は欠かせませんよ。 人生先は長いですが、頑張ってください。 私も頑張ります。
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- kadowaki
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「結婚制度」に関するご質問にも回答した者です。 前回、質問者さんがこういう困難な事情を抱えていた上でのご質問だと分かっていたら、もう少し違った回答をしていたかもしれません。 >結婚とは『愛』を誓うことです。 偽善抜きで申し上げますと、よほどの人格者か聖人君子でないと実現できない、こういう困難な理想でご自分を呪縛し、それができないからといって自己卑下するのはバカげていますから、すぐに『愛』の呪縛からご自分を解放して上げることです。 結婚する男女に神の前で『愛』を誓うことを強制したのは、キリスト教でして、キリスト教はそもそも肉体(=セックス)を罪悪しつつ、セックスなくして子孫の繁栄も不可能と分かっていただけに、聖職者たちは窮余の策として、『愛』というセックスの免罪符を考えついたというのが歴史的事実だとご理解下さい。 当然ながら、『愛』は日本の伝統的な生活文化とは無関係な、輸入文化・舶来思想でして、その証拠に、『愛』(アイ=漢音)に対応する訓(和語読み)がないですよね。 むしろ、日本では『愛』は、伝統的に「愛執」、「愛染」、「愛着」という煩悩の執着心を意味する忌むべき熟語として使用されてきた事実を見落としてはいけないと思います。 『愛』について最も分かりやすく説いたのはパウロでして、『聖書』の「コリント書」第13章をご覧になると、『愛』がなぜ他のどんな価値(信仰や希望等)よりも尊くて素晴らしいかについて、感動的な言葉で語られておりますので、もしまだなら、是非一度お読みになってください。 でも、日本の文化的、精神的土壌には、こういうキリスト教的な『愛』を育む養分も、必然性もなかったのでして、これは他でもなく、『愛』がなくても別に結婚生活に困らなかったからと考えた方がよいと思います。 ちなみに、日本人の神前結婚式にしても、明治初期の神主たちが横浜のキリスト教会で行われている西洋の結婚式を見て、それを真似したのが起源だという説があるくらい、神前結婚式の歴史なんてものも実に浅いのです。 それよりは、日本の男にとっても、女にとっても、適齢期になったら結婚した方がしないよりも、多少の不満はあっても、より幸福になれると信じられたから結婚しただけのことでして、そういう彼らにとって『愛』がどうのこうのなんてことははじめから関心の対象たり得なかったはずです。 最後に、私は、自分をも含めたほとんどの人間は『愛』によってでなく、損得勘定、ソロバン勘定、打算によってしか生活できないはずだし、それが悪いことだと思う必要は全くないと考えています。 言い換えますと、男女が幸福な結婚生活を実現する上で一等大切なのは、やはり男女が“give&take”の関係で結ばれていることだと思います。 『愛』は確かに尊くて素晴らしいのですが、それは“give=take”という逆説によってはじめて実現できる価値だからです。 でも、私のように人間ができていない者にとって、一時的にはともかく、ずっと“give”(=犠牲)ばかりで“take”(=見返り)のない関係を強いられるのはゴメンです。 ということで、得々と『愛』を説きたがる方については、聖職者は別にして、自分に対して不正直な《偽善者》か《嘘つき》に他ならないと私は思っております。
お礼
なんだか、お騒がせな質問ばかりですみません。 以前の質問はkadowaki様がお答えいただいたような、ああいう意味での質問でした。本当に、結婚は女性のためにあることなのかが知りたくて ネットや図書館などで調べても、結婚を題材に扱ったものがなく、ここで聞くにいたりました。 超大昔の人類なんて倫理やルールもなく、本能の赴くままに生活していったのだと思います。そこから何故、婚姻が生まれたのか。婚姻制度がないことにどんな不具合があったのか知りたかったのです。 主人との結婚生活の継続を選んだ理由と言うのが、損得勘定、打算もかなり大きく占めています。愛しくて継続を選んだわけではないのです。 確かに日本では寵愛と言う言葉がありますね。 これって奥さんには使わないことば(笑) そうなんです。夫婦関係はどう考えたってギブ&テイクです。 無償の愛なんて成り立ちません。 また、性懲りもなく変な質問するかと思いますが、 またお付き合いください(笑) 回答ありがとうございました。
愛は育てるものだと思いますよ。 私も大昔、付き合っていた頃の夫には何度か裏切られています。 大切な人(私)に対してしてはいけない事が、夫は理解出来ていなかったんだと思います。その頃は、そこまで大切な人ではなかったのかもしれませんが。 でも結婚25年、お互いとても愛情が深まりました。 不倫している女性は、既婚者である彼の一部分しか見ていないんですよ。嫌われたら終わってしまう関係だから、自分をさらけ出してる訳でもないでしょうしね。そんな関係に本物の『愛』があるとは思えません。 毎日一緒に生活している夫婦の『愛』とは、次元が違います。 昔の裏切りがどのようなものだったかは分かりませんが、それを根に持ちいつまでもムカついていては、あなた自身が幸せから遠のいてしまいますよ。 もし、女性関係での裏切りであったなら、他に目が行かないように努力する事です。これからも夫婦を続けるおつもりなら、妻の座にあぐらをかく事のないよう、常に御主人を立て優しく接し、これ以上の女は居ないと思わせる事です。 とにかくそうして努力していると、御主人が変わって来ますよ。 御主人の事を鬱陶しいと言うような女性は、努力が足りない女性です。 参考にはしても良いでしょうが、目指してはいけません。 私は夫の寝顔を見てもニヤケテしまうほど夫の事が大好きです。 何があっても私の味方で居てくれる夫が居いる安心感は、私の大きな幸せとなっています。 あなたには充分愛情があるように思いますよ。 それをどれだけ上手に育てるかだと思います。
お礼
修復を決意してからもなかなか受け入れられなかったことがあります。 「私にも非があった」ということです。 どうしても、被害者の意識が強くて主人ばかり責めていました。 今はよき妻でなかった自分も悪かったんだと少しずつ、考えられるようになりました。 質問者様は私たち夫婦より、結婚年数も長いですから、きっと何度も困難なことが立ちふさがったことと思います。 それでもなお、ご主人のことを「大好き」と言えるなんて、 素晴らしいです。言葉の重さが違います。 質問者様の「大好き」は、ご主人との歴史の集大成のように感じます。 回答ありがとうございます。
「愛」っておだやかな日だまりのようなものだと思います。 もし、質問者さんが旦那さんの隣にいて、「ああ、幸せだな」と思えたり、「この人に悲しい思いをさせたくないな」と思うなら、十分に彼を愛しているのだと思いますよ。 不倫している人の言う「愛」が、全部が全部幻想だとは思いませんが、「刺激」というスパイスつきの愛だから、蜜の味なのだと思います。 「不幸」は「幸福」よりも感情を刺激します。 「不幸」があるから、「幸福」をより深く味わえる。 「不幸」なくして、「幸福」もない。 それが不倫の蜜の味の秘密なんだと思います。 不倫している人たちは、恒常的に自分のノドをからからにさせているから、たった一口の水がワインのように甘美だったりする。 でも、質問者さんは普段からワインを水のように飲んでいるから、もう何がなんだか味もわからない。 たまにコルクのかすがわずかに混じっていたりして、それだけで「ふざけるな、最低」という気分になってしまったり。 ただそれだけのことなのだと思います。 それと・・・私は、「愛」って誰しもが内側に豊かに持っているものだと思います。 ただ、それを映し出す相手がいないと、自分の内側にあることを忘れてしまう。 質問者さんの「愛」を映し出す「鏡」としての旦那さんは、今曇ってしまっているのでしょうね。 でも、ご主人の反射面としての曇りとは関係なく、質問者さんの中に愛は豊かにある。たとえば子供たちを通して、それに気づけたりするといいですね。
お礼
<<「愛」っておだやかな日だまりのようなものだと思います 不倫女性たちのコメントは穏やかとは程遠いです。 奥さんに嫉妬、彼に猜疑心、将来への不安、会えない寂しさ。 精神状態はめちゃくちゃです。でも、それでも彼に会えるから、彼に会ったときは極上の幸せを感じられるから、私は頑張れる!! 不倫女性のHPで気になるものがありました。 彼女は世の中の不倫がメディアによってドロドロの愛憎劇って仕立て上げられているのに、自分と彼の関係が当てはまらない。こんなに穏やかな不倫もあるんだと皆に知って欲しくてHPを立ち上げたそうです。 彼との会ったときの日記まで付けていたので読んでみました。 彼女は、妻子持ちの男性に恋をし、告白をします。男は当然乗ってきてすぐに体の関係になりました。彼女は初体験がなんとこの既婚者だったのです。それを知った既婚者は慌てふためき、「子供が大学を卒業するまでは離婚は出来ない」と言います。彼女は既婚者に離婚して欲しくて告白したのではないという。「離婚してあなたが不幸になって欲しくない。私は、自分の結婚抜きであなたと付き合いたい」と言います。 しかし、半年後に男から突然別れを言い渡されます。 「私はあなたに結婚を要求してないのになぜ」とさんざんつきまとい、ついには復縁してしまいます。 全部書くと膨大な量になりますのでここで切りますが、本人が言う以上にドロドロしています。「結婚を要求しない」が男を強く縛り付けている感じです。 回答ありがとうございます。
- hurasuke
- ベストアンサー率18% (191/1056)
思ったことそのまま書きますが、あなたは主婦暦二年の女性、それだけです。愛を語るには幼いのではありませんか?二十歳の若者が人生を語るが如しです。二十歳の若者なりに将来の先行きの困難さを思い悩みますが、先人からは頭でっかちに見えること度々です。 世間によくある話なのですが、女性は父親を最初の恋人像とします。うまくいけば優しく頼りになる人を理想像として成長し、それと似た人を好きになります。しかし悪くすれば、DVを起こす人間、嘘つき、浮気者を正として恋人を選んでしまいます。実際あなたにもその影響があるように思います。この悪循環をどこかでうまく断ち切らなければなりません。 今あなたが考えるべきは、愛という言葉の定義や、人によって違う考え方を知ることではなく、あなたとご主人の関係をどう好転させるのか、ではないでしょうか?そういう視野でもっと良好な結果を産めるようにがんばることで、今とは違う視点の愛がご理解できるようになると思います。 今までご主人にたくさんの裏切りを受けたことは残念なことです。しかし、その原因がご主人にあったと一方的に思うのであれば、長い交際期間を経て結婚までは到達してないと思います。どこかであなたなりに彼の行動の理由に合点がいったのでしょうね。今まではかろうじて許せたかも知れなくても、今後は極力減らせるように努力していくべきでしょうね。そうでなければ、あなたが気になっているお子さんを産んでの生活は遠のいてしまいます。前を向いてがんばって下さい。
お礼
<<愛を語るには幼いのではありませんか? そうです。だから語れず、分からないんだと思います。 主人とは結婚し、離婚の危機を乗り越えて再出発をしています。 去年の私は憎悪の塊でした。主人を殺してやりたいと本気で思っていました。今のこの状態は大分安定したほうで、主人を見ても殺意は湧きません。また、一緒にがんばろうね。って言うところまで回復しました。 主人にあそこまでの憎しみをもってしまったせいか、コロッと愛のほうにたやすくは転がってくれません。 今はフラッシュバックもほとんどなくなり、主人のワイシャツをアイロンしたり、ご飯を作ったり・・・。 回答ありがとうございます
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
「相手に見返りを求めない関係こそが『愛』で、『無償の愛』と言うようです。」 なあ~~んてことを言葉にして宣言する「必要」があるって、あんまり幸せとも思えない。 といっても、「主人には感謝もしているし、離婚する気も一切ありません。もう、空気みたいなものです。私は空気に対して『愛』はありません。しかし空気がないと生きていけません。」というのも、ちっとも幸せじゃあなさそうだ。 ■皆様、『愛』ってなんでしょうか? 先ずは、「幸せ」にならないと、見えないと思いますよ。 「幸せ」を感じない関係に、愛情なんて生まれる余地は無いんですから。 僕は「幸せ」だ! だから、妻を愛しているし、愛する能力を身に付けることが出来た。 妻を愛しているから幸せなわけじゃあない。 その点は妻も同じだと思う。
お礼
不倫女性たちは本当によく『愛』を連呼します。 出会うのが遅すぎた、と皆さん悔やんでいます。 彼女達は「彼に出会えただけでも幸せ」といいますが、会えない期間が続くと「寂しくて死にそう、彼の送る三日にいっぺんのメールが心の支え」と、何かに乾いているかんじがします。 幸せな人とは程遠い、淋しさオーラがネットを通して伝わります。 走り続けて、走り続けて、息が続かなくても走って、フルマラソンを100メートル走る勢いで早く!早く!ゴールするんだ!っていう感じですかね。 私は戦争時代に生まれたわけでもなく、発展途上国で難民になっているわけでもないです。五体満足で生まれ、元気に働き、結婚することも出来ました。これを幸せと言わずしてなにを幸せというのでしょうか? 何か嫌なことがあると自分が世界一不幸だって思ってしまうけどそうじゃない。人間、満たされているともっともっと満たして欲しいと思ってしまう生き物です。際限なく。欲深いです。 回答ありがとうございます。 奥様を愛し、ご自分の幸せを傍で感じることのできる回答者様、とてもすばらしいと思います。全ての夫婦が心の根底にこういった考え方があると離婚率も減りそうです。
- 0423sato
- ベストアンサー率33% (45/135)
私も、7~8年、主人と付き合って、結婚をしました。 今年で、3年ぐらいたつのでしょうか、結婚して。 もう、付き合いが長いから、もう、忘れちゃった感じですがね。 でも、私たちは、愛し合っていますよ! そのお陰で、めでたく赤ちゃんも授かることができ、現在、妊娠7か月に入ったところです。 私たち夫婦は、何時頃からか、「好き!」とか、「愛してる」なんて言葉、言わなくなりましたね。 時々、Hをしているときに、私が言うぐらいで・・・。 お互い、私たちは、信じあっていますす、はっきし言って、どちらかがいない人生なんて、もう、考えられません。 土日など、休みの日には、前までは、買い物には、いつも一緒に、どこか行くのも、一緒でしたが、今は、一人で行ったりしています。 今は、妊娠しているということもあり、買い物には、付いてきてくれますが。 言葉などに「好き」「愛してる」などと、むやみやたらに言わなくてもいいんじゃないですか?逆に、軽い言葉のように、感じてしまうんですが。 「愛」などの感じ方、考え方は、人それぞれ違うので、なんとも言えませんが、一緒にいて、ホットできるとか、安心できるとか、そうういうのも、大切じゃないんですかね。
お礼
妊娠おめでとうございます。 回答者様のもとに産まれてくる赤ちゃんは幸せですね。 私も赤ちゃん早くほしいです。 主人は子供嫌いでずっといらない!と言っていて、それでもよく揉めました。しかし最近では「お前が産みたいのなら協力してやらないでもない」と、とてもよい傾向です。 結婚してから『愛』を軽々しく扱えなくなりました。 私にとってとても特別な言葉で生きているうちにその高みにまでいけるのかわかりません。 わが子は無条件で愛せます(虐待する親も増えてるけど) しかし男女のこととなると泥沼になったり、変な諦めみたいのが入ったりとても継続するのが難しいです。 お体を大事にし元気な子を産んでください。 この世のパパとママが愛し合い、子供が幸せになるようなそんな世の中になったらいいな。と思います。 回答ありがとうございます。
- matusyou
- ベストアンサー率6% (13/192)
愛を真剣に考えたことが無いので興味深く読んでしまいました。今、愛とは何だとか、結婚て何だろうと思うがままに書いてみます。 今のカミサンは学生時代につきあった数人のうちのひとりです、当時は愛よりも若かったので性欲のほうが優先していたのかな、就職をしてけじめとして結婚しました。 よく外国映画で、既婚・未婚問わず死ぬ直前に『愛してる』と言うセリフが出ますが、日本人は未婚であれば出す人もいるかもしれませんが、結婚すると言わないか、恥ずかしくて言えない人も多いのではと思います。 愛は言葉では表現出来ませんが、愛はいろいろ状況において変化してるように思います。 ふたりの愛、子供が出来れば家族への愛と命をかけて守る相手に対して愛が存在するのではと思います。 人生を相手にかけるんです、愛が無ければ耐えられないし、お金だけで耐えるのは、オメカケさんと一緒で陰の女性と思います。 また、愛があるから子供が欲しくなるんであって、愛が無ければ当然子供もいらなでしょうね。 不倫が愛というのはSEXにこだわり過ぎと思います、確かに不倫のSEXは燃える、若いうちは華やかに見えますが、老人になり不倫で陰の人生を行く女性はみじめに思えます。 愛がまったく無いのなら離婚したほうがいいのではと思いました、たった1度の人生で、1番綺麗な姿を愛する相手に捧げる、たかがマンションに住めるとか、自分を安売りしては後悔しますよ。 最後に、愛はトキメキからマンネリに変わります、それって何でも一緒です。金曜日、ボーナスが出ました、うん百万入りました、カミさんはかなり愛を感じてるようです(笑)。
お礼
父親の父親(私のおじいちゃん)はなんと結婚を三回も経験しています。父は一度目の結婚の子で、父が産まれてすぐ浮気をします。 おばあちゃんは何度も別れて欲しいと言ったそうなんですが、「彼女が好きすぎて別れられない」と言われ、激怒して離婚し、父を会わせませんでした。 一昨年、おじいちゃんを探し出し、おじいちゃんは泣いて「すまなかった」と父に言ったそうです。おばあちゃんと離婚した後、例の浮気相手と結婚をし、子供も作るものの結局離婚。 性懲りもなく、また結婚して去年亡くなりました。 最後の奥様は離婚はしませんでしたが、おじいちゃんに対して苦労したそうです。おじいちゃんが死ぬ少し前に言っていたことがあって「三回も結婚したけど、結婚生活は相手が変わっただけで中身自体は何も変わらなかった」と言ったそうです。 私は結婚生活はなにか『魔』が潜んでいるのではないのかと思います。 回答ありがとうございます。
- Sahrzad
- ベストアンサー率42% (3/7)
『不倫をして本当の愛を知った』 それは不倫をしている女性たちの常套句です。 不倫は社会的にも人道的にも非難されるべき行為です。 ところが、彼女たちは不倫を『美しいもの』に仕立て上げ、自分たちの行為を正当化しようとするのです。 そのために使われる言葉が『愛』です。 彼女たちの『愛』は決して『無償の愛』ではありません。 見返りも無く、心底ただ相手の幸せだけを考えているのなら、不倫などやめて潔く身を引けば良いのです。 『無償の愛』を語るのならば、是非そうして欲しいものです。 けれどそれができないのは、そこに願望があるからです。 自分が幸せになりたい、愉しみたい、刺激のある生活がしたい。 不倫をして苦しむのが幸せや楽しみにつながるのかと思うかもしれませんが、 不思議なことに彼女たちは自分の不幸を愉しんでいるのです。 可哀相な自分に酔いしれているのです。 もしくは、背徳的な行為を一種のステータスと考えているのです。 (万引きしたことを得意げに話されたこと、ないですか? あるいは未成年で煙草を吸っていることをカッコイイと思っている人とか) 何にせよ、物理的に得るものがなくても精神的に得るものがあるからこそ、彼女たちは不倫をするのです。 それは既に無償ではありません。 人間は千差万別です。 ひとりひとり違っているように、愛の形もそれぞれでいいと思います。 不倫をしている女性が、それを『愛』と呼ぶなら、それもいいと思います。 けれども、それが『無償の愛』で、更に見返りを求めない関係こそが『愛』なのだと決め付けてしまうのはどうかと思うのです。 そして『愛』という言葉に振り回されてはいけません。 お手軽な『愛』が世の中に溢れ返っているせいで、みんな簡単に『愛』を口にするようですが、本当の意味で理解している人は一体どれほどいるのかと疑問に思います。 わからないならわからなくていいのです。 相手のことを思いやり、大切にすることができれば、それで充分だと思います。 かく言う私も、『愛』というものがどういうものなのか、明確な答えを持ち合わせていません。 ただ、carmen-様のご質問を拝見して、ひとつ素晴しいと思ったことがあります。 ご主人様に感謝をしているという一文です。 長く夫婦でいると、日常のことを当たり前のことと思ってしまいがちです。 夫が働いてお金を稼ぐ、妻が毎日食事を作る、そういったことを「やって当たり前」だと思ってしまってはいけないのです。 常に感謝の気持ちを忘れないで、時々はそれを言葉にして相手に伝えてあげてください。 簡単なようでいて、それがなかなかできないのです。 ANo.3様もおっしゃっていますが、例え空気のような存在でも、ちゃんと感情のある一人の人間です。 粗雑に扱っていれば、いつしか自分も同じように扱われるようになってしまいます。 旦那さまのことを『鬱陶しい』とおっしゃる方々は、そういう扱いを受け続けた結果なのではないでしょうか? 旦那さまがいないと生きていけないと思っていらっしゃるのなら、旦那さまを大切にしてあげてください。 基本はやっぱり「ありがとう」と「ごめんなさい」ですね。 自分の態度も見直すいいきっかけになりました(笑)
お礼
人を好きになり、「好き」が「大好き」になると『愛』と表現すものだと思っていました。何年も同じ人を一途に好きでいることも『愛』だと思っていました。 結婚してからは『愛』とはそういうことじゃない、って思うようになりました。では、どういうことなのか?分からないのです。 最近、少女マンガを読みましたが大抵、少女マンガの主人公は高校生です。性描写も激しく、性行為をすると『愛』しあうということになちゃうストーリーばかりです。性行為が『愛』だとすると、風俗業界はとても深い慈愛に満ちた世界になります。 主人を全く愛せない、鬱陶しいとしか思えない、と言うわけではなく運命の相手だとか、「愛しくて愛しくて、気が狂いそうなほど愛してる」 というような、確固たる『愛』とは言い切れないのです。 これから人生は長いです。夫婦生活も気が遠くなるほどたっぷりとあります。主人がまた、私を裏切るかもしれないし、私が裏切る側にまわるかも知れません。 夫婦とは、この長い時間をかけて、お互いが相手に失望をし、何度も真剣に離婚を考え、それでも元の鞘に収まり、またケンカして・・・の繰り返しのような気がします。 許す、ということがどれだけできるか。 回答ありがとうございます。
- uniunix
- ベストアンサー率17% (51/293)
空気みたいな存在、居て当たり前のような人 両親、家族、恋人、人によって居て当たり前の存在は様々だと思いますが そういった人達は失ったり離れてみて初めてその価値に気づくことが多いと思います。 私も別れた人から空気のような存在と言われたことがあります。 でも私は空気ではなくて一人の人間です。 空気には感情はありませんから、いつまでも周りにありますが 一人の人間である私は大切にされていないと感じたから もっと自分を大切にしてくれる所へ または私を一人の人間として扱ってくれる所へ行きました。 失いたくない、離れたくないならそれなりの努力をしなくてはいけないと思います。 旦那さんは質問者様を想い、愛し、それを行動で表しているから 質問者様は旦那さんが無くては生きていけないという存在であると思われているのではないですか 旦那さんは質問者様を空気としてなんて扱ってはいないでしょう。 旦那さんには愛があり、それを上手く体現していると思います。 質問者様はそれを受け止め切れていないだけだと思います。 旦那さんを信じるというよりかも もっと愛されているご自身を信じてみてはいかがですか。
お礼
主人の顔を見るたびに涙を流し、「愛しているわ!」っていう気持ちがないのです。 不倫女性は彼の顔を見るだけで幸せいっぱいで寝顔も愛しいそうです。 私は主人の寝顔を見ても「ああ、寝ているな」ってだけであふれ出す『愛』はないのです。 そして、不倫女性は奥様と言う存在(自分以外の異性)を容認し、それでも彼を『愛』し続けているそうです。 主人がもし、素人の彼女を作ってしまったら彼女込みで主人を愛すことなんて私には無理です。死んでも容認できません。 自分以外の異性を容認するなんて、『愛』すれば容易のないことなのでしょうか?
- rapisupyon
- ベストアンサー率39% (908/2278)
「愛」とは、何か・・・言葉で表すことってすごく難しいですよね。 でも、私が思うのは、不倫女性たちが言葉にする「愛」というのは、夫婦間の絆に比べれば、非常に浅はかなものだと思います。 不倫は、要は、無責任な関係同士のただの恋愛関係ですから、相手を好きだという気持ちもあれば、愛しく会いたいという気持ちも強く持っているでしょう。 しかし、夫婦はきれいごとではすまされません。 24時間365日ずっと一緒で、煩わしいしがらみの中で、厳しい現実生活を送り、自分たちの人生や命そのものがかかっているのですから、「愛」だの「恋」だの言ってられるほど甘くもなく、毎日必死ですよ。 けれど、それなりに絆の出来た夫婦は、そんな忙しく、苦しい中でも、ふとした瞬間や些細な出来事で、相手に対する感謝の気持ちや相手への愛情を感じるものです。 私は、主人と10年以上の付き合いですが、主人のことは愛していると言えます。 でも、言葉にはしません。 言葉にしないのは、言葉に出来るほど浅はかな気持ちではないからです。 愛している・・・というよりも、温かい気持ちになるというか、感謝の気持ちというか、愛おしいという気持ちというか・・・言葉では表せないものになっていきます。 確かに、愛の形はドンドン変わっていき、恋人同士のような感情ではないですが、運命共同体としてもっともっと深いものになったと実感します。 私の母も、結婚して26年、恋愛期間を入れれば30年ほどになりますが、どんなに大喧嘩をしても、泣き叫んでいても、最後にはいつも「お父さん以上の男性はいない。お母さんはお父さんと結婚して本当に良かった。」といい続けており、今でも「お父さんと結婚して正解だった。」と言ってます。 でも、私も母も不倫経験なんてないどころか、付き合った男性は、夫ただ一人です。 不倫経験の有無は、愛には関係ありません。 距離のある関係の方が、「愛」というものを実感しやすく、また、単なる恋愛感情を愛だと錯覚しやすいのでしょう。 私が、自分の両親や自分たち夫婦のことを振り返って思う「愛」とは、相手を無条件に信じて、自分の人生や命、全てをかけても大切なものを守り抜く力だと思っています。
お礼
結婚してからは、『愛』と言うものに畏れを抱くようになりました。 私のような若造が、触れてはならない領域のように感じます。 目に見えるものではなく、本当に存在するのだろうか? とも思います。淋しがり屋の人間が作り上げた心の拠り所。 宗教のようでもあります。 付き合っているときは三日に一度はけんかをし、結婚してすぐに離婚の話すら出ました。最初は主人だからこんなにうまくいかないんだって思っていましたが、なんだか誰と結婚してもうまくいかないときはうまくいかないと思うようになり、主人を許そうと思い、結婚生活を続ける決断をしました。 なぜか今は交際期間を含め、一番安定しています。 激しいケンカはなくなりました。主人の世話をするのが少しずつですが私の喜びになろうとしています。これは『愛』なのか・・? と思ったりもしましたが、やはり「ダーリン大好き!あいしてるわ!」 っていうのとは違います。 不倫女性の言うような「彼を愛しています」「いいところも悪いところも含めてもう愛しい!」という情熱というか、両手を広げて「愛してる!!」ではないのです。ほとばしるような感情がないのです。 昔、裏切られたことを思い出しながら、ムカつきつつ、主人の好きなメニュー(手作りマーボー豆腐)を主人が喜ぶと想像しながら作っています。 回答ありがとうございます。
お礼
<<人間は、聖書の時代から『愛』というものが何なのかを模索し続けているのだな そうですね~。大昔なんて今のように法律が完備されているわけではないので裏切りだったり、犯罪だったり、一体自分は何を信じて生きていけばいいのかわからないから『愛』という虚構?よりどころ? 自分が信じられるもの、揺るぎのない絶対的なものを作ったのでしょうね。多分・・・? この前、テレビのなつかしの歌謡曲で小林明子の「恋におちて」が流れ、テロップで歌詞が流れました。番組のゲストはおしどり夫婦で有名な方もいたのですが、「歌詞が切なくて、本当にいい歌です」と言っていました。 あの歌は不倫の歌で、彼を土日も独占したいのにそれを口に出せない願いとしてそれでも男性が好き。ってな歌詞なのですが、不倫には妻子がつき物です。何故歌詞に「奥さん子供ごめんなさいね。あなたのパパを私にください」「出会うのが早かっただけのババァ離婚しろ」「慰謝料はまけてやー」何故、男の家庭の話がでないの!! あの歌詞は美しすぎます。私の両親を見ているとあの歌詞の「だーりんあいうぉんちゅー」ってあんな寝言言ってられません。修羅場です。 地獄絵図です。「ときめく恋に駆け出しそうなの」とか「私をすぐに届けたくて」とか、お前、本当に悩んでいるのか?と思ってしまいます。 <<人生先は長いですが、頑張ってください 私はまだ半分も生きていない気がします。 嫌になるくらい長いです・・ 回答ありがとうございました