竹島の歴史
6月5日付けの地方新聞に元駐日韓国大使の方の記事というか論文というか文章が載っていたのですが、
竹島について、韓国の立場から見ると 日本の竹島(新聞には独島と書いてある)編入は日本が韓国に対して取った強圧的な措置の一つで、1905年2月の島根県による編入の告示も、朝鮮の外交・財政を監督する顧問政治を強要した1904年の「第一次日韓協約」から、朝鮮の外交権を完全に剥奪した1905年の「乙巳保護条約(第二次日韓協約)」、そして1910年の「日韓併合」へと続く日本の韓国植民地課程の産物であった。
と書いてありました。私自身は竹島は日本の領土であり、江戸時代から漁業に日本人が向かっていた島と思っております。上記にあります、1905年の編入云々というのはほんとに植民地課程の産物なのでしょうか?
”韓国から見ると”という但し書きで始まっていますが、韓国お得意の、日帝支配だの日韓併合だのにかこつけた、ウリナラ理論炸裂ではないかと疑ってしまいます。
WBC以来、韓国についてや歴史についてネットを中心に読みあさり、日韓併合や竹島についても日本はもっと主張すべきだと思うようになりました。が、いかんせん、中途半端な知識であるため、このあたりについて詳しい方に竹島の歴史についてご教示いただきたく、よろしくお願いいたします。
なお記事については、全国の各地方紙にもたぶん掲載されていると思いますので、興味ある方は探してみてください。(今日付けであるかどうかはわかりませんが)
お礼
ヘタレでごめんなさいね。