こころの病気に限らず、他の病気も同じだと思っています。
経験していれば全ては理解出来なくても部分的には理解出来ますが、経験者したことがない人に理解してもらうことは、非常に難しいことだと感じています。
またこころの病気は外観では判断できず、そのため理解され難い面があることが非常に辛いと思います。
健康な時に出来たことが出来なくなっている状態を変えたくても体は受け付けず、歯車が空回りしている状況に似ているのかもしれません。
それでも何とか理解してもらおうと本人は精一杯の努力をしていても周りから見れば普通レベルとしか受け止められないことが多々あります。
この様な悪循環が始まり出すと更に悪化してしまう危険が高くなってしまう恐れがあり、なかなか環境を整える(=治療)は難しくなっていってしまいます。
やはり十分に体を休め、回復してくれる時間を待つしかないと思います。
その期間は患者によって様々であり、例えば風邪となっても早く治る人もいれば回復に時間を要する人と同じではないでしょうか。
それがこころの病気の場合、回復するまで多大な時間と乗り越えないといけない山が多々あるため、気長に見守ってあげることが必要だと思います。
*ただ病人であるから全てのことが許されるのではなく、時にはブレーキーとしての役割を担ってあげることも必要となってくると思います。
ひとつの手段として、相手の話しを聞き、負担や苦しみから少しでも和らげばと思いながら接することだと思います。
『頑張れ』等の励ましの言葉は禁句と言われていますが、これはあくまでも一般論であり、その人の性格や行動、回復度合いに対して素晴らしいと感じれば、『凄いよ、よく頑張ったね』と言っても構わないケースがあると思います。
これも時と場合にもよりますが、心から褒めてあげる言葉もプラスに転じることがあります。
そしてそれが活力となれば最高のことだと思います。
最後に健康であれば得られることと病気により得られることは全く異質であり、それぞれの経験からの個々の財産となると思います。
しかし病気により得られる財産の多くは回復前後の段階で言えるのであって、それまでは相手の聞き役むに徹してもらえれば良いと思います。
それにより病気から一時的に開放される場合もあり、また新たなきっかけとなるかもしれせん。
この時大切なことは、病人が今出来るレベルを考慮し目線や考え方を変えてあげることだけだと思います。
ただ気を付けないといけない点は、病人の良い状態と悪い状態は刻々と変化してしまう恐れがあることだけを覚えておけばよいと思います。
そうすれば相手の突然の変化に対して『何故』とは思わずにいられる可能性が高くなると思います。
ご参考となれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今は、十分に身体の回復を待つことにしようと思います。 治ってない状態で病気の説明をするのも、気が引ける感じがしました。