- ベストアンサー
プロ野球の応援(変わってゆくものと変わらないものの違い)
日本のプロ野球を見ていると、スタンドの応援風景を中心に激しい変化を感じます。かつてなかったものは、例えば大音量の曲を流す、トランペットを吹き鳴らし歌を歌う、勝利インタビュー、ライトスタンドへ挨拶に行く、ぬいぐるみマスコットの数が増える…等々いくらでも挙げられます。 一方でアメリカのプロ野球MLBは半世紀前と比べてもほとんど変わっていません。ヨーロッパのサッカーもそうですね。日本でいえば大相撲や甲子園の高校野球は変わっていません。 日本は十年もすれば町並みが一変してしまいますが、神社仏閣のたたずまいだけは何百年も変わりません。これは建築様式などが教義と密接に関係しているからだと考え、プロ野球の応援風景がどんどん変わってゆくのは「日本には野球の神様がいないから」と(野球カテゴリーで)抽象的に回答したのですが、私自身よく解っていないところがあります。 甲子園大会のように厳しく規制すれば応援方法を変えることができません。しかしMLBやヨーロッパのサッカーは規制のあるなしではなく、変える意思がないように見えます。 スポーツの応援というものは上から強制されるものではなく、下からの一人一人の熱狂ですから民族性がストレートに出ると思います。日本のスポーツを代表するプロ野球と欧米のプロスポーツとの応援風景の違いを説明することはできるでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (2)
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2
- nidonen
- ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.1
お礼
回答ありがとうございました。 狩猟民族と農耕民族の違い、という説は最初に思い浮かべそうですが迂闊でした。なぜ鳴り物のようなものが放置されるのかという疑問は、この説でかなり説明がつきそうな気がします。ただし「変わってゆくものと変わらないものの違い」についてはどうでしょうか。私は女性ファンが多いということも原因の一つかな、と思い始めたのですが。 >欧米でトランペットで応援……とたんに追い払われるでしょう。 >日本では……臆病であるという根性が培われている。 >周りで起こる不埒なこと無作法なことに対して、ほうっておくことは決してしません。 >DNAの問題だと感じています。 これで思い出した何年か前のテレビニュースがあります。アメリカの屋外で行われたボクシングの試合会場へ上空からパラシュートを着けた男が降下したのです。目立ちたがり屋のいたずらですが、日本ではあり得ないことです。さらに驚いたのが、客席に「着地」した男を、待ちかまえていたかのように客が袋だたきにしていたことです。 冒険好き遺伝子というのがあって、それを調べると「アメリカ人(白人?)は日本人より冒険心がある」という科学的根拠のある数字が出るのだそうです。それは私もいろいろなことで実感します。