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相手に勝ちたいのなら、まずは自分自身に打ち克って摂生に努めねばならないと気づきました

私は20代後半、身長169cm、体重50kg前後の男です。知人には 子供の頃からキックボクシングをやってる20代前半、身長177cm、 体重70kg前後の女性がいます。キックボクシングにおいて 体力面や技術面で彼女に全く勝てません。 でも、彼女に勝てないのはよく考えてみれば当然のことなのです。 私は子供の頃から成人になるまでスポーツとは縁の遠いインドア派 で病気がちで偏食だったのですが、彼女はもともと大きな病気や怪我 をしたことがなく、水泳やサイクリングを好み、食べ物も好き嫌いしないでしっかり食べて育った健康的なアウトドア派です。 生い立ちの時点で、彼女の方が体力的に勝る要素があったのです。 おまけに彼女はトレーニングだけでなく、料理も得意で栄養面に 優れた食事メニューを作ることができて、摂生や体のケアに 務めてます。それと比較すると、私は内臓が丈夫とはいえず、 食欲が湧かずに食べ物を満足に食べられない時があります。 そうなると栄養不足になり、体力自体が身につかないので、 必然的に技術を身につけるだけの練習量も不足しがちです。 これでは彼女に勝てる訳がありません。 本当に彼女に勝ちたい、もしくは彼女に近づきたいと思うのなら、 「彼女に勝つ」というよりも、「不健康な自分自身を摂生により 克服する」という姿勢でなくてはいけません。そして、まずは 「彼女に勝ちたい」という意識よりも「彼女を見習う」という 意識に切り替える必要があると気づきました。 彼女を見習い、自分自身もトレーニングや体のケアに務め、 必要な栄養素を過不足無く摂取できるようにする。 それが彼女に勝つための大切な一歩なのだと思います。 以上のような境地に達することができただけでも、 ほんの少しですが自分は成長できたかな?と思うのですが、 皆様は私の姿勢に対しては、どう思いますか?

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  • flood114
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回答No.3

こんばんわ 一連の投稿、興味深く拝見していました。 >ほんの少しですが自分は成長できたかな?と思うのですが 「彼女に勝ちたい」から「彼女を見習い己を鍛える」ことへの視点のシフトは、間違いなく、ひとつの成長です。人に勝つのは簡単ですが、己(特に過去の自分のライフスタイル)に克っていくことは、なかなか難しいです。その点は自信を持ってよいと思います。 また、目標と設定するに、ご友人は、とてもよい存在だと思います。ただ、難点を挙げるならば、質問者さんとご友人の間の大きな距離です。この距離は、一朝一夕には縮まるものではありません。シンプルに、「格闘技で勝つ」ことを目標としていても、なかなか到達できるものではないですし、「ライフスタイルを彼女のような形にシフトしていく」ことは、膂力と技術で勝つことに増して、難しいものです。 しかしながら、「こうありたい」という姿を自分の内に持っている人は、少しずつであれ、成長を続けていくものではなかろうか、と考えます。 やれることから始め、少しずつ、過去の自分に打ち克っていくことは、まさしく武道や格闘技のメンタリティの根幹を成す、重要な部分です。同時に、仮に、武道や格闘技が「人格形成」に役立つとするならば、そうした部分がそれにあたるのかもしれません。 問題は、目標を高くしすぎたり、「こうありたい」という姿に執着しすぎたりして、現時点での自分の姿を見失うことです。 人間は変化していきますが、ある日突然に昨日とは違う、理想の自分になっているわけではありません。釈迦やキリストのように、宗教的に非常に高いステージに至り、なおかつ、現実との接点を模索し続けた、いわゆる聖人たちならともかく、我々凡夫は、いつまでも続く、だらしない昨日の自分の延長線上でしか生きていけません。 そういう部分も含めて、自分に打ち克っていくことができれば、それは大いなる成長だと思います。 そうした視点から、 >自分自身もトレーニングや体のケアに務め、 >必要な栄養素を過不足無く摂取できるようにする ことは、非常によい観点だと思います。 もちろん、「そうしなければならない」と考えてしまうと、飯も筋トレも苦痛でしかなくなり、人生までもが苦痛になってしまうので、やりつつも、執着しないバランスが大事になります。最も、これが一番難しいですが^^; 「彼女に勝ちたい」という動機から体を鍛えたとしても、いわゆる「心」は伴いません。勝てたとしても、単に、「勝負に勝った」だけの話です。「鍛えた、勝った、わーいわーい」だけでは、なんともしまらない話になってしまいます。 しかし、「彼女に勝つのではなく、彼女を見習うことで自分に打ち克つ。その先に、おそらくは『彼女に勝つ』ということがあるのだろう」という気づきは、その時点で「心」が伴った一歩だと言えると思います。そしておそらくは、本当の意味でご友人を見習い、自身に打ち克っていけば、いつの間にか(狭義の)「彼女に勝ちたい」という思いは、大きなものではなくなっているのではないかな、とも思います。 過去の己に打ち克つことを志しつつ、独善に陥ることなく泰然自若として、何事にも執着せず、しかしながら、現実に根差して、生きる。そういう姿は武の本懐です。 そういう大きな枠組みで、是非、「体」を鍛え、「心」を養っていってください。その過程(こうありたいという目標を持ちつつも自分を見失わず、まず、食生活や運動を見直し、人に勝つのではなく自分に打ち克つことを志していく過程)で、心身にしんどさのある毎日が、「なるほど、体を鍛えてよかった」と思える毎日になったとしたら、それは、武道や格闘技に大きな価値があった、ということであり、武道や格闘技をやる人間にとっても喜びとなります。 末筆ながら、統合失調症を患ってらっしゃるのですか?ならば、トレーニングジムと同等にクリニックも重要な場所です。また、肉体を鍛える栄養素と同等に、メンタルのバランスを整える薬も重要です。もし現在服薬中ならば、間違っても、体を鍛えていく過程で「お、最近なんかタフになってきたなぁ。もう飲まなくてもいいだろう」と自己判断で服薬を中断しないようにしてくださいね。 長々と失礼いたしました。 何かの足しになれば幸いです。

sketemiel
質問者

お礼

皆様ご回答誠にありがとうございました

その他の回答 (2)

  • yama1998
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回答No.2

あなたが人間的に成長したのか、ですか。あなたの姿勢ですか?何か勘違いしてませんか? まず統合失調症の方を克服しなければ成長したといっても説得力がありません。就職が出来たのなら成長したか?やっと同じスタートラインに立てただけのことであってむしろ他の方より遅れているわけです。成長かどうかという以前の問題です。 いつまでも病気を克服しようともせずに彼女に勝ちたいばかりを考えていては、成長など絶対にありえません。いくら体を鍛えても心も鍛えることが出来なければ彼女には一生勝つことなど無理です。 http://okwave.jp/user.php3?u=82451

  • panta2008
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回答No.1

節制は自分が続けられるものでなければ意味がありません。 トレーニングも同様ですが。 無理して高い設定を設けず、できることから始めてはいかがでしょうか? 健康にいいけど味はまずい物を食べ続けるとかいうのは、なかなか続きません。 なお、「勝ちたい」という部分について言わせてください。 私には偉そうなことを言える腕はありませんが、これだけは確信しています。 格闘技が他のスポーツともっとも異なる点は精神的な強さ、メンタリティが大きく物言う点です。 もちろん他のスポーツでもメンタルは重要でしょう。 しかし、技術や身体能力が仮に3:2の開きでもあれば、この差を埋めることは難しいのでは? 格闘技ではそのくらいの差はメンタルで補えるのです。 そういう例をいくつも見てきました。 脳震盪起こして気絶でもしなければ、メンタルの強い者がどうにかしてしまえる世界なのです。

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