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自信過剰で叱られた時に怒りの感情しかわきません。
私は自分でも自信過剰だと思います。これは生まれつきではなく、大学受験時に自信を持った方がいいだろうと考え、常に「周りの奴らは屑ばっかり」「僕が落ちるわけない。どうせ周りの屑が落ちるんやろう」と考えていたからです。実際受験時には非常に有効でした。 大学受験を終え、バイトを最近始めました。バイト先では当然叱られることも多いです。それが絶対的に自分のミスである場合、非常に落ち込み、泣く事もありますが、納得して受け入れます。ただ、自分も悪いけど他にも多く原因がある、という時には、落ち込み泣きますが、その後ものすごい憎しみが沸きます。「お前(怒った人)は30手前にもなってフリーターか。お前ごときがこの僕に意見するな。」とか「なんでお前みたいな屑に叱られないといけないんだ」と思ってしまいます。 こういった感情がわいてもんもんとするのは非常に不快です。ただ、自分でも、自信を持って生きていかなければ潰れてしまうのではないだろうか、と思うこともあり、常に自分が正しいと思っていたがってるような気もします。 どうすればいいでしょうか。怒った相手に感謝しろと言われても、相手が憎くてとてもじゃないですが無理です。
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- crivelli45
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2さんの仰るとおり、自信過剰とは違うようですね。 まず、ほんとうに自信がある人は、滅多なことでは怒りません。 怒られたことで自分の価値が下がるなんてこれっぽっちも思っていないし、自信がある人は他人と自分を比較する必要もないからです。 自信は、意思の力で湧かせることができるものではありません。 ですから、「自信を持って生きていかなければ潰れてしまう」という文言の中の「自信」は、実体のない幻影=虚栄だということをまずご自覚されるところからスタートかな、と思います。 ほんとうに自分が正しくなるためには、すごーく沢山の正しいモノ、間違ったモノを見なければなりません。仮に、正しいモノだけを見て生きていたとしたら、間違ったモノとの区別の付け方を知らないまま生きていくということだからです。だから、ある意味では、正しいモノやコトと間違ったモノやコトには、自己の経験や自信を構築するためには同じくらいの価値があると言えるのです。間違ったモノ、劣ったモノを否定しているうちは、まだまだ青い!です。 別に、感謝なんかしなくても構いません(個々人の心のもちようですから)。質問者さまがほんとうの自信を身につけるためのエサとして、全ての叱責や不条理を活用してしまいましょう。
- yakushimas
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私も同様の問題点をもち悩みをもっていました。いまも多少あります。ですのでトピ主さんの悩み お気持ち 多少理解できるように感じます。 私の気づきと心がけ (1)大学受験合格に必要なノウハウは考え方資質と 生きかたと社会生活を上手にやっていくのに必要なそれとは「あまり関係ない!」「内容によっては全く関係ないか、かえって邪魔になる!」ということにきづきました。 ⇒大学受験に失敗された方は高校出の方で 社会や家庭生活 充実させ幸福にされている方多くいます。その逆も多くいます。これにきづいたことです。 (2)社会生活は 相手の立場に思いやり 相手を尊重し敬意を払い 受け容れ、理解につとめ、自分は一歩下がり相手をたてることがとても大切なようです。ここに気がついてなかった自分にきづいてから人間関係改善してきています。 御参考まで。 お互い成長しましょうね!
- ap10
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そんな屑に叱られる自分ってどんだけ屑なんだ・・・とでも考えてみてはいかがですか? 相手の事を屑だなんだと思うなら、自分がそれを越えてやると考えて実行すればいかがでしょうか? >自分でも、自信を持って生きていかなければ潰れてしまうのではないだろうか、と思う >こともあり、常に自分が正しいと思っていたがってるような気もします。 多分、これ正解だと思います つまり実際は自信がなく、その気持ちの裏返しかなと・・・ 完璧に理不尽に怒られない限り、自分に悪いところがあってそれを注意してくれているんだと謙虚になるといいのですが・・・ 多分、現状では実力はあるかもしれませんが、他者から見てかなり魅力のない人だと思いますよ そんな魅力のない自分を反省して、魅力ある人間とはどんな人だろうと考えて自分の行動を振り返ってみたら少しは変わるのではないでしょうか
自信を持つということと、傲慢になるということをはきちがえていたということでしょうか。 周りに批判的だったり、感情的になりやすいのは、劣等感のかたまり である証拠です。 私も仕事をしていて怒られたら落ち込むし、理不尽だと感じる内容の時は腹がたって悶々とすることがあります。でもそういう時はいつも 「周りに寛容になれないのは、自分が充実していないからでしょ」って自分を戒めます。本当に言葉の通り。 完璧な人はいないし、大人だって弱い。それを重箱の隅をつつくみたいにお前だって、、と責められるほど自分は人間ができてるの? って思うと怒りで悶々としてた気持ちがすーってひいていきます。 あと、私がいつも大事に思ってるのは 「類は友を呼ぶ」ってことですね。 ろくなやついない、こんな屑みたいなやつ、、が周りに多いなら 自分がそういうやつなんです。昔の人はいいこと言うなあってつくづく感じてます。 人間って単純で、前向きになれて、自分に余裕がある時は周りを取り囲む人達に寛容でいられるし、素直に思いやれる。それに呼応するようにしていい人達に恵まれるもんです。 でも嫌なことが続いて、責任転嫁して否定的な時には、余計な嫉妬したり、粗さがしのように人の悪いところばかり目につく。そんな自分に好んで寄ってくるのは同レベルです。 それが分かると、理不尽に感じて憎しみで頭からはなれない、、なんてことなくなりますよ。
- galma_zabi
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こんにちは。 確かに頑張って大学受験の試練に耐え、突破したことは評価すべきことです。 また、やり抜けば実現するという自信が付いたのも分かります。 ただ、なぜその自信があらゆることの自信(自分は正しい)に繋がるのでしょうか。 同じように、いやそれ以上に努力して大学受験に臨んだ人もたくさんいるでしょうに、、。 自信を持つことは、常に自分が正しいと思うことではないのは分かりますよね。 自信を持つということは、本来中身が伴っているものです。 中身が伴っていない自信なんて、何の特にもなりません。 まず、素直になることです。 自分だけの責任ではないにしても、まずは自分のミスを素直に受け入れることです。 (受け入れきれずに怒った人の経歴や人間性を蔑むなんて子供がすることです。) そして、自分のミスを誤る。 これが先決です。 その後に訴えたいことがあれば訴える。 ただし感情的にならず、事実関係のみを伝える。 根拠のない自信を持つより、素直に受け入れられる人の方がよっぽど格好いいですよ。 あなたは、神ではない。 だから、あなたが全て正しいわけではないし、ミスもする。 そこを受け入れる勇気を持ってください。