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間引かれた子猫への対応
先日、母猫に間引かれた脚が奇形の子猫を蘇生した後の対応について質問したものです。 読んで下さった方、そして回答を下さった方、ありがとうございました。 つい先程、わずか10日の短い生涯を閉じました。 最初の一週間は、兄弟達と変わらず元気に鳴いてお乳を飲んでいたのですが、その後少しずつ元気が無くなり、病院に連れて行ったもののなすすべも無く眠りにつきました。 子猫ゆえに診断が難しかったようですが、奇形が内蔵にも及んでおり、おそらく腎臓が萎縮して老廃物をろ過する機能が働かず、尿毒症を起こしたのだろうと言われました。 間引かれたまま冷たくなるまでそっとしておけば、10日間も苦しむことも無かったかと思うと、とことん余計な真似をしてしまったと後悔しています。 短い間でも、母猫のぬくもりを感じお乳を味わえて幸せだったと慰めて下さる方もいました。 でも私には、自然の摂理に逆らった罰として今この無力感と罪悪感を与えられているとの思いがあります。 教えてください、母猫に間引かれた子猫は人間が手を尽くしても助かる可能性はほとんど無いと考え、行動を自重するべきなのでしょうか? 助けたいと思うこと自体、人間の思い上がりでしかないのでしょうか? もしかして正解の無い質問をしてしまっているかも知れません。 私ならこうする、というお考えをお聞かせ下さればありがたいです。
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- may1995
- ベストアンサー率56% (712/1262)
こんにちは。私は前の質問、存じ上げなかったのですが、 ちょっと似たような体験をしました。 目も開かない子猫を、バケツに入れて水死させようと ぐいぐいと沈めているところに行き合わせたのです。 必死で止めたけれど、とめられず数分間以上沈んだところを 救い上げ、人工呼吸して蘇生したのですけれど、 2週間の命でした。 ぜんぜん大きくならず、ミルクもあまりのまず... でも、そういうときって、ほおっておけないものではないでしょうか。 なにか、理性的に「これは、もう助からない」とおもって、 放置できるものでしょうか?私は、その子の短い 一生を思うと今でもつらいです。 機能不全だったということのようですが、 もともと育たない弱い子猫の1匹だったのか、 (その子の兄弟も保護しましたが、体弱いので) 母猫も、その前の猫もずっと虐待、あるいは殺虫剤などを かけたりして殺していたところなので、母体の影響もあったのか... まだ、母乳も飲まないうちに水につけられた子。 でも、1%でも可能性があるならば、ついつい助けてしまうものではないでしょうか。 いったん息が止まっていたのに、人工呼吸をしてしまったのは、 何も考えずにただ体が動いて、敷地に勝手に入って...ということ からです。 質問者様の場合の猫ちゃんも、ひょっとしたらひょっとして、 という場合もあったのかもしれないし、難病の猫ちゃんでも がんばって生きている子達もたくさんいます。 そこで、理性的に冷静になれたなら、...またちがう 行動をとるのかもしれません。 でも、また同じことが目の前で起こったらどうするんだろう、と 思うと、やっぱり同じ事をしてしまいそうです。 ただ、とてもつらいことだとわかっているのに。 母親が育児放棄する動物はたくさんいます。 でも、それを人間や、また、猫の場合そばにいた犬が妊娠をした こともないのに母乳が出だして、猫を育てたりもすることも あったりするみたいです。 自然の摂理の罰、というのはつらい考えです。 人間が出来る手を尽くす、それも自然ではないでしょうか。 見なかったところでおこったことならいざ知らず、 目の前で起こったこと、それで、もうかかわりが出来てしまっているのだと思います。 それも、自然の摂理に組み込まれているのではないでしょうか? 出会い、そして救おうとする努力も。 もちろん、助からなかったのは、うちのばあいも質問者様の場合も とてもつらいです。 ただ、やっぱり、私としては、私見ですが、 やってはいけないこととか、摂理に逆らった罰とは 思いたくありません。 可能性は全くない、といわれても、 目の前にそんな子猫たちがいたら、やっぱり それは、私に託された命だと思って、 出来る限り、助けられなくても全力を尽くしたいと考えています。 その2週間しかいなかった子も、名前をつけ、2時間おきのミルクを上げ、抱っこして、寝かせて、せいいっぱいかわいがりました。 もっとなにか出来たらと、今でも思ってしまいます。 でも、あの子も、あんなバケツで死にたくはなかったと思いたい。 思い上がりかもしれません。 ほおっておけない、それだけです。
- frogkero
- ベストアンサー率30% (66/217)
前回ご質問されたときも読ませていただき、かげながら子猫ちゃんが 元気になるようにと願っておりました。 本当に残念です。。。 ご質問の答えになってなくて申し訳ございません。 でもこの子猫ちゃんは命のあった期間はとても短いものでしたが 十分に幸せだったと思います。だって質問者さまのようなお優しいかたにめぐり合ったのですもの。 質問者様がとられた行動は正しい行いです!!! 天国で子猫ちゃんは「生まれてきてよかった!すばらしいめぐり合いが あったから!」と思っているに間違いありません。 さぞかしお気をおとしのことと存じますが、どうぞ 質問者さまご自身が早くお元気になってください。
お礼
回答ありがとうございます。 前回の質問もご覧になって下さったのですね。重ねてありがとうございます。 frogkero様の願いに応えることができなくて申し訳ありません。 今日になって、なぜかあの仔猫との短い日々が思い返されて、胸が詰まっています。 昨日までは後悔の気持ちだけでいっぱいで、押しつぶされまいと必死に冷静さを装っていました。 皆様の回答を読ませていただいて、やっと悲しむことができるようになったみたいです。 最初、母猫の捕まえてきたねずみのおみやげと勘違いしするほどみすぼらしかったあの子が、7日目にして目が開き、目と口を大きく開けて笑うような顔でピーピー鳴くのを見て、「任せなさい!ちゃんと面倒はみるからね。」なんて言っていたのがついさっきのことのようです。 「アンヨ」「ハイハイ」「ヨッチー」、名前はほかの人につけてもらったほうが良かったでしょうか? 思い出をくれるだけで自分は何ももらわずに行ってしまったあの子のために、いつか同じような子に出会ったら、あの子の分も精一杯お礼したいです。 頭の中がごちゃごちゃでまともなお礼ができずにすみません。 ありがとうございました。
- chineko
- ベストアンサー率25% (8/32)
仔猫のこと、残念でしたね。 でも、生まれたまま、母猫のぬくもりも知らず、一人ぽっちで死んでゆくより、短い10日間でしたが、母親や兄弟と一緒に過ごしたその仔猫は幸せだったと思いますよ。 うちの子のことを聞いてください。 飼い猫だった母猫が間引くことはしませんでしたが、 その子は生れつき片目がなく、心臓の壁に大きな穴が開いていて、 そのままでは1歳まで生きられるかどうかと言われました。 唯一助かる方法は心臓手術を受けることですが、何しろ身体が小さいため、その小さい心臓を切り開いて穴を塞ぐのは至難の業。 そのまま麻酔から目覚めることがないかもしれないとも言われました。 もし早死にがこの子の運命なら、身体を切り開くなんてかわいそうなことをせず、そのまま自然に任せようかとも悩みましたが、 当の仔猫の一生懸命生きようとする姿を見て、手術することを決断しました。 手術は無事成功し、2年経った今、仔猫は健康の猫とほとんど変わりなく元気に走り回っています。(もう仔猫ではないけれど) もちろん成功したから手術してよかったと思いますが、失敗したとしても、手を全部尽くしたから、後悔したりしないと思います。 母猫は自力で育てられないと本能で判断しても、人間の力で助けられる場合もありますし、消え行く命を目の前にして、「助けたい!」と思うことは自然の摂理に沿ったことだと思います。 ですから、gizennsya様のしたことは間違いではありません。どうかご自分を責めないでください。逆にもしそのまま放っておいたら、心優しいgizennsya様はきっといつまでも悔やんでいたと思います。 最後に私の好きな言葉を、 「人事を尽くして、天命を待つ」 できることを全部して、どんな結果になっても受け入れることが大切です。
お礼
回答ありがとうございます。 chineko様の仔猫ちゃんも重い障害をもって生まれてしまったのですね。 でも、chineko様の勇気ある決断で幸せに暮らしている・・・。 もし、その御決断が無ければ、今まで猫ちゃんの存在しているところがぽっかり空いてしまう・・・。 すみません、物騒なことを言ってしまって。 今、あの仔猫との10日間を思い返してしまいました。 私が最初から手を出さなければ、あの仔猫との記憶、骨折と勘違いしてあわてて病院へ駆け込み、一生懸命お乳を吸う姿に胸を打たれ、病院へ連れて行こうとして母猫に引っかかれ、つらそうな笑顔の先生が仔猫に「うん、今日までよくがんばったね。」とおっしゃり・・・、全部無くなってしまうんですよね。 もしこの思い出を失うとしたら、やはり後悔してしまいます。 chineko様のように、どんな結果でも受け入れられるような心の強さは私には無いようです。 でも、どの道を選んでも後悔するなら、やれるだけのことをしてからのほうがまだ救われるように思えてきました。 その時になって迷うかもしれません、でもchineko様の回答でたどり着けたこの思いがあれば、また人事を尽くす道を選べそうな気がします。 ありがとうございました。
- sigrd
- ベストアンサー率30% (11/36)
「自然の摂理に逆らった」と、私は思いません。 自然界の生き物のその殆どは、人の目に触れず一生を終えます。 事故などを除き亡骸を目にする事はないですよね。 その狭間に貴方は立ち会ったのです、必然です。 今回は大変残念ではありましたが、次に命を助けられた場合には自然に戻さず手元(人間界)で育てて下さい。 一度、自然界から淘汰されたものの命を助けてそのまま自然界に放す事こそ「自然の摂理に逆らう」ことです。 勿論、事故などで怪我をした場合は話が違いますが。。。 気を落とさずにこれからも生き物と仲良くして下さいね。
お礼
回答下さってありがとうございます。 皆さんのご意見を参考にして、自分なりの考えをまとめてみます。 文章にすることができましたならば、補足のほうに書き込ませていただきますので、ご覧下されば幸いです。 何より、話を聞いて下さったというだけで落ち着くことができました。 まずは取り急ぎお礼のみ述べさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
母乳の大切さや授乳の大変さを言い訳に、障害のある子猫を蘇生させただけで母猫に押し付けてしまったことは、私の間違いだったのかもしれません。 病院に預けてしっかり検査を受けさせていれば、子猫とはいえ内臓の障害なども判明して、適切な治療を施すこともできたのでしょうか? 助かりそうもない障害なら、苦しみを長引かせることもなかったのかと思うと、自分の浅はかさが悔やまれます。 もし、今一度同じような機会があれば、経験を踏まえ病院ともう少しよく打ち合わせて対応します。 皆さんが下さったご意見を何度も読み返し考えているうちに、頭を抱えんばかりの後悔の念が少しずつ軽くなり、前を向く力が出てきました。 子猫を苦しませた、死なせたという事実を消し去ることはできませんが、これからまた命と向き合うときに、今回のことを貴重な経験として生かせれば、と考えます。 貴重なご意見、ありがとうございました。
- ouzak
- ベストアンサー率22% (14/62)
とても重いご質問ですね。 このことは生命体の一員である人間にも当てはまります。 最近の医学の発達はめまぐるしく、1000g未満の子でも十分助かるケースが増えてきました。 以前は自然の摂理で丈夫な子しか育たず、弱い子は自然淘汰されてきたと思います。 今でも発展途上国では不幸な子がたくさん生まれ、亡くなっているのが現実です。そのほとんどが栄養不足によるものと思われます。 猫さんの世界に戻ると、親猫が弱い子を省いて強い子だけに乳をふくませ、又、生存競争で他の丈夫な子に押されて十分に飲むことができず、自然淘汰されることが自然ともいえます。 パンダも双子は自然界では育たないそうです。 従ってgizennsyaさんの行いは自然界の摂理では混乱をもたらしました。 しかし、人として我が子であれば不幸な子に手を貸さない親はいないと思います。 子猫ちゃんにとっては、わずか10日間の命でしたが、無意識の中で楽しか ったのではと思います。 この件に関しては正解はないと思いますが、生き物に対する暖かい思いやりを、いつまでも持ちつづけていられる事が一番大切と思いました。
お礼
回答下さってありがとうございます。 皆さんのご意見を参考にして、自分なりの考えをまとめてみます。 文章にすることができましたならば、補足のほうに書き込ませていただきますので、ご覧下されば幸いです。 何より、話を聞いて下さったというだけで落ち着くことができました。 まずは取り急ぎお礼のみ述べさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
おっしゃるとおり、私たちは、直接手を差し伸べられない遠くにいることを理由に、毎日多くの同族を見殺しにしていることに気付かされました。 これほどの大罪を犯していながら、手の届く近くにいる異種族を救えなかったからと罪悪感に浸るのは、少々身勝手に過ぎるのでしょうか。 それでも、子猫のなきがらを手にして罪の意識を感じてしまうあたり、人間という種の限界を思わずにはいられません。 人であれ動物であれ、救おうとする対象を個人的主観で選別せざるを得ない自分の無力さをごまかそうという無意識がそうさせるのでしょうか。 生き物に思いやりを持ち続けるにはその思いに相応の力が必要であり、その力を得て初めて救うという行為に迷いや後悔が生じなくなるものなのでしょう。 逆に考えれば、十分な力の無い者でも、後悔する覚悟があれば救うという行為を真似ることが許されるということでもあるわけですね。 おそらく私はこれからも、自分や他の生き物の救いのために、後悔する選択をし続けることになってしまいそうです。 少々脇道にそれてしまいましたが、人類の事についてのご意見を考えていると、子猫のことについての辛い思いが少し楽に感じられてくるような気がします。 そのおかげで落ち着いた今、自然というものの厳しさをしっかり認識していないばかりに、感情に任せて正解の無い質問をしてしまったことを少々恥ずかしくも思っています。 お許しください。 貴重なご意見、ありがとうございました。
- bunbun001
- ベストアンサー率27% (71/254)
個人的な意見です。 可能性は、もちろん0ではないと思います。 ときに人間とは、母猫の想い以上に「命」を助けようとするものです。 それは、人間の持つ、すばらしい感性、意識、知性ではないでしょうか。 ですから、思い上がりだとは想いません。 苦しんだ子猫は(私は)あなたの愛情を感じていたことと思います。 自然の摂理とは何か? すごく難しい問題ですが、人間とはそもそも自然の摂理には逆らいまくって生きています。ですから、その罰などではないと思います。 あなたの無力感と罪悪感は、ご自分の力のなさへの単なる失望ではないでしょうか。 これから、もっと動物について学ばれ、経験をつんでいかれれば、自然と判ってくることだと思います。 私ならどうするか? 尽力します。できる限りの。 そして、だめだったとしたら、何かもっとできたか?いけなかったことは何か?と、分析します。 そして、前を向きます。 命は弄ぶものではないが、自然に任せるというのは、もはや「人間にはできないこと」ではないでしょうか。 人の命も、散々運命に逆らってでも、人智を尽くそうとしていますから。 尊厳死について学んだことはありますか? それは、あなたにとって、何かしら考え方のヒントになるかもしれませんね。
お礼
回答下さってありがとうございます。 皆さんのご意見を参考にして、自分なりの考えをまとめてみます。 文章にすることができましたならば、補足のほうに書き込ませていただきますので、ご覧下されば幸いです。 何より、話を聞いて下さったというだけで落ち着くことができました。 まずは取り急ぎお礼のみ述べさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
母猫は本能的に、間引いた子猫は「物」、極限状態では「栄養源」と認識するようにできていると聞いたことがあります。 でも、目の前で必死に動いて自分の存在を示し、生への望みをつなごうとしていた胎児を、「物」と認識することは私にはできませんでした。 bunbun001さんのおっしゃる人間特有の感性や知性がそうさせたのでしょう。 そしてそれらがまた、人間が自然の摂理から除外される原因でもあるのですね。 生き物が次第に弱っていき、成すすべも無く死に至る過程を一度も間近にしたことの無い私は、確かに経験不足でした。 いざとなれば病院に連れて行くから大丈夫、という何の根拠も無い自信が打ち砕かれて、悔しさすら感じていたのかもしれません。 今はまだ少し混乱していますが、今回の経験から救えない命もあるということ以外にも、できる限り多くのことを学び取り、命を救うという行為の意義を突き詰めてみます。 尊厳死、ですか。学んでいれば、今も大きく残っている罪悪感の形が多少なりとも変わっていたのでしょうね。勉強してみます。 貴重なご意見、ありがとうございました。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
命ある限り助けようとするのが正しい道だと思います。 例え苦しんでも、人間の思い上がりでも、 私なら、奇跡を信じて助けようとします。 そして、もう限界だと悟ればそこで止めます。
お礼
回答下さってありがとうございます。 皆さんのご意見を参考にして、自分なりの考えをまとめてみます。 文章にすることができましたならば、補足のほうに書き込ませていただきますので、ご覧下されば幸いです。 何より、話を聞いて下さったというだけで落ち着くことができました。 まずは取り急ぎお礼のみ述べさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
胎盤の付いたまま放置された子猫を見つけたときは、ほとんど条件反射的に拾い上げて蘇生を試みました。 後先など考えず、ただ助かって欲しいという思いだけで行動しました。 ちょっとだけ落ち着いた今、もし何もしなかったらどのような気持ちでいたか考えてみました。 もっと深く後悔していたのではないかと思えてきます。できる事を何一つしないで見殺しなのですから。 十分には程遠くても、何かをしたという事実が気休めになっているようです。 もちろん、子猫に死に至るまでの苦痛を与えてしまったのですから、それは一生引きずっていかなければなりません。 でも、助けようとするのが正しいとおっしゃるmat983さんのご意見に救われています。 貴重なご意見、ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 may1995様の出会った衝撃的な体験に驚きました。 生まれたばかりの子猫にそんな酷いことをする必要など断じてありえません。 奪う必要の無い命を積極的に奪う人間がいるということがたまらなく悲しいです。 その場にいたら、私も無条件で助けようとしたでしょう。助かるかどうかなど考えずに。 皆さんの回答を拝見して、泣くことができて、やっとすべてを受け入れることができたような気がします。 may1995様のおっしゃる「かかわり」の意味が今なら分かります。 あの時子猫は私を呼んだのです。まだ出すことのできない声以外の何かで。 母猫に間引かれた自分が生き延びる最後の可能性を私に賭けてくれたのです。 力及ばず助けることはできませんでしたが、子猫の生きるための能力に従い手を貸した私の行為は、罰を受けるようなものではないはずです。 may1995様の時も、その子猫が何かの力であなた様が自分を助けてくれる最後の希望だと感じ取り、導いたのではないかと思います。 もしまた同じような場面に出会い、助けなければと思ったら、迷わず全力で助けます。 人間以外の生き物が、自ら生きることを拒否することはない、全力で生きようとしているはずです。 たとえ力及ばず残念な結果になっても、後悔と辛い思いを私がすればいいだけなのですから。 思い出すのもつらいであろう体験を教えて下さってありがとうございました。