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言い負かしてください
以下の文章のどれでも良いです。(複数を言い負かしていただいても構いません。) 「それは偏見だ。なぜならば~」という文章で言い負かしてください。 もし、私が読んで、?と思った回答があれば、質問や補足をさせていただきますが、その補足にもご回答いただけると尚ありがたいです。 言い負かす文章ナンバーを必ず書いた上で、論破してください。 「同性愛に偏見はありますか?」に関する答え 1.偏見はありません。ですが理解もできません。 理解はできませんが偏見はありません。 2. 偏見はありません。月日が流れればそういう人も異性を好きになることもあるかも知れませんし、自分も同性を好きになるかも知れないからです。 3.偏見はありません。でも告白されたら引きます。自分に関わりがなければ恋愛は自由だと思っているので偏見はありません。 4.偏見はありません。周りにもたくさんいます。 5.偏見はありません。でも自分の子どもや夫(妻)がそうなら大変ショックです。他人と身近な人では、全ての事において見る目が違います。ですから子や夫(妻)は別ですが、他人の場合は全く気になりません。 6.偏見はありません。たまたま好きになった相手が同性だっただけでしょう。 7.偏見はありません。同性同士の恋愛は異性同士よりも真の愛と言う気がします。 ※質問の意図※ 差別、偏見に関して非常に頻繁に見かけるフレーズ。これらに反対する納得できる答えをほとんど見たことがない。反対するとしたらどのような角度から論破するのか他の人の意見を聞き、参考意見にしたいと思ったため。
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そもそも納得出来る反論が必要な内容なのでしょうか? 質問自体が是非を問うものではないので、結局は個人の問題(ケーキとプリンどっちが好きですか?みたいなもの)ですし、だとしたら発言の矛盾を指摘するくらいしか手はありませんが、それはすなわち「難癖をつけている」だけです。言い負かせ、という内容なのでそれで良いのかもしれませんけど。 という前提の下で、難癖をつけてみます。 1.偏見とは物事の一面だけを見て、個人の主観で判断する事で生まれるものであるから、理解出来ないあなたが偏見がないと言い切る事は出来ない。 2.未来の仮定は現在の事象を証拠づけるものではない。従って将来そうなるかもしれないという仮定の下で、現在偏見が無いということは証明出来ない。 3.あなた自身を対象外にすることは、質問の意味と合致しない(答えになっていない)。 4.周囲にいることと、偏見が無い事はイコールではないし、それを証明し得るものでもない。 5.先述の様に一部を対象外にすることは、質問の意味と合致しない(答えになっていない)。 6.「たまたま好きになった相手が同性だっただけ」という文章は、事象を表現しているに過ぎず、あなたに偏見が無い事を説明していない。 7.「同性同士の恋愛は異性同士よりも真の愛と言う気がします。」この文章自体が偏見である可能性を見落としている。
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>ゲンズバーグとバーキンの映画でも シャルル・ゲンズブールですね。 http://blog.goo.ne.jp/yogorouza_1979/e/6094880ffd56bda8fa7a1e6a9c5a8761 ジュテーム・ノン・モア・プリュ というのが、件のゲイ男とバーキンの恋の映画で 愛してる。オレも・・愛してないよ とはゲンズブールの決めゼリフだったんですね。
お礼
再回答ありがとうございます。 全部初めて知った話ばかりで、ネットサーフィンして見ました。 映画を見てみたいと思いました。 >二人の男が、何度も出かけてグランドキャニオンの山中でキャンプをしながら 暮らすんですね。でも奥さんが怪しんで二人は別れます。 でも切ない恋心はふたたび二人を引き寄せます。 こちらの方も気になります・・・ ありがとうございました。
- dell_OK
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なるほど。 回答でなくてすみません。 私は、すべて文章で納得させられましたので、論破どころか負かされてしまいました。 何か、考えさせられました。 ご出題、ありがとうございます。
お礼
>ご出題、ありがとうございます そのように言われたのは初めてで、こちらこそありがとうございます。 >回答でなくてすみません。 いえ、 >私は、すべて文章で納得させられましたので、論破どころか負かされてしまいました。 この文で十分回答いただいたように感じました。 ありがとうございました。
注記 #5で経験者と書いたのは、同性に好きだといわれた経験が2度 あるからで結構オレってゲイにモテるんだな・・って思っただけで それ以上の意味はないです。 ・・・ってやっぱ同性愛に偏見のある自分 スマソ これって「偏見」の根底をつく設問なんでしょうね。 自分はいい。でも村八分になりたくない。周りの目に引きづられて自分の人間性を失う弱い心。
お礼
再回答ありがとうございます。 一番最後の一文、私も同じです。身に染みます。 なかなか理屈通りに生きられないです。。。
マジレスすると怖い話題なのでもうすこしやわらかく >1.偏見はありません。ですが理解もできません。 >理解はできませんが偏見はありません。 イッコーさん風に そうかしら。「理解できません」なんていっておいて、偏見がないなんて どうしていえる訳?ぜんぜん意味わかんないわよ。それじゃ。 女性は理解できません。といって女性に偏見がないと言えるかしら? 中国人は理解できませんといって中国に対する偏見がないと言えるかしら? ゲイに偏見がありませんというのは、ゲイの気持ちをわかった上で言える言葉よね。 ふつーにあたしたちとつきあっていたらゲイの気持ちも普通の男の気持ちも同じって ことが理解できるはずなのに >2. 偏見はありません。月日が流れればそういう人も異性を好きになることもあるかも知れませんし、>自分も同性を好きになるかも知れないからです。 三輪明宏風に あーら、どういうことなのかしらね。 月日がながれようとどうしようと変わらぬ気持ちだから愛なんじゃないの。月日がたって 変わるなんて、あなた、賞味期限切れの果物じゃないんだから、どうかと思うわよ。 ご自身だって同性を好きになるかもしれない?あなた、そういう不確かな自分がいるからって 他人様がみんなそうだという理屈はないでしょ。 人には因縁というものがあるのよ。持って生まれた宿縁というのかしら。そういうレベルで 人間をとらえたらどんな属性の人も、みな同等に生きる価値、意味を持っているんだって わかるのよね。偏見がないという言葉は裏返せば愛があるってことなの。 人に愛があれば、そのひとの属性や嗜好などにかんけいなくその人をありのままで 受け入れることができるということよ。 いやね。ベッドのはなしなんかしてないでしょ。心。心のうけとめかたなのよ。 >3.偏見はありません。でも告白されたら引きます。自分に関わりがなければ >恋愛は自由だと思っているので偏見はありません。 平井賢風に 瞳を閉じて・・・うーん。そうですか。僕も恋人はニューヨークにいるけど告白されるまえから なんとなくわかってましたね。え?愛の告白でなくてカミングアウト?それで引いちゃうわけ ですか?大丈夫ですよ。ゲイだって好みがあるから。自分のタイプにしかコクったりしないです。 僕なんか、受身だから寄ってこられるほうだけど、だいたい仲間内で恋愛しちゃうのが多いですから サラリーマンの世界でゲイが生きていくのは大変ですよね。だいたい結婚しないだけで 不審がられる。恋愛は自由だからお好きにどうぞっていうのなら、あなたを好きになった男の 気持ちもわかってあげるやさしさがあってもいいですよね。 モテる男なら、好みじゃない女性の愛を断るマナーくらい心得ていますよね。そう、相手を 傷つけず、相手から去っていくように拒む。それだけです。偏見がないというのは、ゲイだから とか婆あだからとかブスだからというのと同じで、最初から予選落ちさせちゃう無慈悲な心ですよ。 愛を知らないんだな。僕の歌を聴いてください。瞳を閉じて・・・ >4.偏見はありません。周りにもたくさんいます。 オスギとピー子風に なによ。そりゃ映画評論家も服飾業界も周りにたくさんいますよ。オ・カ・マ。 だからって偏見ありませんって言うのって変じゃない? そうよね。数の問題じゃないわよね。自分はどうなのって聞きたいわ。 平気でつきあえるって意味でも心のそこで、こいつオカマって区別してみていたり するんじゃないかしらね。 偏見ということばがネガティブだからいけないのよ。偏見がない・・・というのは 逆に何があるという意味なのかって話じゃないの? そうよ。正しい理解とか共感があるという意味なのよ。 だってそうじゃない?SMに偏見がないっていう話なら、いつでもプレーOKよ。 自分も今すぐやってみたい・・・されてみたいって話でしょ? 周りに、縛られて喜ぶ男が何人いようが、SMに偏見がないなんて言えない わよ。 そうよ今すぐ縛っちゃいなさいよ。 >5.偏見はありません。でも自分の子どもや夫(妻)がそうなら大変ショックです。 他人と身近な人では、全ての事において見る目が違います。 ですから子や夫(妻)は別ですが、他人の場合は全く気になりません。 美川憲一風に あーら、大丈夫よっ。オカマに子供はできっこないでしょ。恋人がゲイになった って、もともとゲイ同士なら単なる浮気でしょ? え、違うの?なーんかややこしいわねぇ。 >6.偏見はありません。たまたま好きになった相手が同性だっただけでしょう。 淀川長治風に はい。またお会いしましたね。そう、この映画、アカデミー賞候補にもなりました 二人の男が、何度も出かけてグランドキャニオンの山中でキャンプをしながら 暮らすんですね。でも奥さんが怪しんで二人は別れます。 でも切ない恋心はふたたび二人を引き寄せます。 このほかにも、ゲンズバーグとバーキンの映画でも似たようなシチェーションが ありましたね。バーキンはやせっぽちの男の子のような女の子を演じていて チャーミングでしたね。魅力的でした。でも、相手の男はゲイで、彼はかわいい バーキンを男を愛する愛しかたでしか愛せないんですね。つらいですね 痛そうですね。 でもこちらの胸も同じように痛くなりますね。 たまたま好きになった男がゲイだったら、たいへんなことだというのがわかる 映画でしたね。 >7.偏見はありません。同性同士の恋愛は異性同士よりも真の愛と言う気がします。 新宿のゲイバーのママ風に なんだか、おこちゃまの発言よね。なにが同性愛が真実の愛よ。そんなの宝塚の 観すぎよ、ベルサイユのバラじゃないんだから。切ない乙女の恋心に男も女も ありゃしないのよ。ったくもう。最近のノンケはろくなのがいないわね。 え?ゲイが言ってる?そんなはずがあるわけないわよ。「気がします」っていう ところが生ぬるい。なんか動物園の珍獣を観察して「おっすげえ。やっぱこっちのほうが 深い愛なんじゃないか」って言われて気分よ。失礼しちゃうわ。たくもう。
お礼
えっと・・ すみません。お見事です。 言い負かすとか、論破とか以前に、彼ら(彼女ら?)の生の声を聞いているようで、これ以上、何も言い返すことは出来ない感じです。 うん・・論理的な正しさを求めていたのですが、 何か根本的に考えさせられました。 ありがとうございます。
念のため 私自身は50代の結婚2回目の女好きのオッサンで 筋金入りのヘテロですけど論理トレーニングとして参加します。 >1.偏見はありません。ですが理解もできません。 >理解はできませんが偏見はありません。 偏見がないというのは、理解し歩み寄りたいということで、理解できない と言い切った時点で、自分と相手のコミュニケーションに厚い壁を自分で 作ってきている。 たとえば、そういう人が、自分とふたりで食事をしたいというとき、あなたは 同性の友達として普通に付き合うことができますか? 気持ち悪いとか嫌だとか遠ざける気持ちだけが偏見というのでなく、普通に 何の予断もなくつきあえるのが「偏見なし」という状態でしょう。 それは換言すれば相手の嗜好・性癖をあるがままに受け入れて「そういうことも あるのだ」という風に肯定するのが、理解するということで、理解とは何も自分も 裸になって同性とベッドに入らなければいけないわけではない。 理解しようという気持ちがあってはじめて偏見がないといえる。 理解することが、その世界に自分が足を踏み入れることではないという点を まず理解すべきだ。 なぜ、そのように考えるかというと、恐怖心があるからだろう。自分がそういう 領域を忌避しているがゆえにあえて「理解」という言葉で線を引きたがる。 >2. 偏見はありません。月日が流れればそういう人も異性を好きになることもあるかも知れませんし、自分も同性を好きになるかも知れないからです。 なるかもしれないから偏見がない。という言い方は変だ。病のようなものと捉えている。 一方に健常な「恋愛」があって、一方に「障害」としての「性同一性障害」のようなものが あるかに聞こえる。 月日が流れれば、そういう人も病が直って普通の人になるだろうし、わたしも何かの きっかけでそうなるかも・・・だからお気の毒・・・って意識を感じる。 自分がヘテロで幸福なのと同様に彼ら彼女らはいまのままで正常だし幸福。それが わかっていないならやはり「正しいうけとめかたができていない」という意味で偏見。 >3.偏見はありません。でも告白されたら引きます。 >自分に関わりがなければ恋愛は自由だと思っているので偏見はありません。 これが、一番難しい。実際友情だと思っていた行為が「恋愛感情」からだ という風にかわっても、うれしくうけとめるべきなのです。自分に魅力を感じてくれるのが 異性であろうと同性であろうと同じくうれしいじゃないですか。 異性で好みでない人から、告白されたりホテルに行こうとかせまられたりするのを断る のと同性で好みでない人から愛をささやかれるのを断るのは同じことです。 ユングは、内なる異性「アニムスとアニマ」という仮説を立てました。 誰しも自分の中に、女性的な自分、男性的な自分を内包している。そういう考え方です。 仕事の相性でもよくワンマン社長と女房役みたいな組み合わせや、緻密なマネージャーに 大胆な参謀役というように男女的役割分担のような組み合わせがでてきます。 自分は、ヘテロの世界から一歩も出ないぞ。と思っている時点で偏見。 たとえば、犬は嫌いだ。人が犬を飼うのはかまわないが、我が家にはいれない。 これが犬に対する偏見であるのと同様、 ゲイが自分に告白したら引く。そう言い放った時点で、相手が誰でも駄目という 話になる。話ぐらい聴いてやってもいいじゃないかと思う。 それで友情を続けていくことだってある。漫画の島耕作にそういうエピソードが出てくる。 もちろん、そういう恋愛関係を受けいられないのは素直な気持ちでいいけど、彼が 恋心をよせていることを感謝しながら断るのは、やさしさがなくちゃ出来ない仕業。 >4.偏見はありません。周りにもたくさんいます。 不良に偏見はないです。そういう学校で育ったから。犯罪に偏見はないです まわりに犯罪者がいっぱいいましたから。でも私はそうじゃない。 人の一般的性向として同性を愛することは、内的な感情として普通のことだ というのが「偏見のない理解」 理解することと、まわりにいくらでもいることは別。 貧しい人に偏見はありません。だって貧乏な人は世の中にいくらでもいる。 ・・・でも自分はそういう人をみて見下したりはしない・・・という意味で言って いるけど、区分けした時点で差をつけているんですね。 >5.偏見はありません。でも自分の子どもや夫(妻)がそうなら大変ショックです。 >他人と身近な人では、全ての事において見る目が違います。 >ですから子や夫(妻)は別ですが、他人の場合は全く気になりません。 他人だから気にならないというのと「偏見がない」というのは別問題。 自分の息子がゲイであっても、それは本人のありのままの姿とみとめることが 偏見のない姿だろう。ゲイやレズビアンを性的マイノリティーや「障害」と考える 発想が「ショック」や「落胆」を招く。 他人様はお好きにどうぞというのは、自分の世界とは一線を画すという意味で 同性愛を攻撃はしないが、一緒になりたくないという違和感の表明でしょう。 かつての「同和問題」どうよう、自分とかかわりなければいいが、娘が結婚する となったら反対・・・というレベルとなんらかわらない。 人は、身内であれ自分自身であれ、もっとももっと自由に開放的に既成の偏見を すてて生きるべきだという考えに至ってはじめて、何かそこから得るものがあるのでは ないでしょうか。 これでなくてはいけない。これは絶対に受け入れない。そういう頑なさを 捨てると、もっと自由な豊かさが得られたりします。 でも、先入観を捨てるのは、大事にした高価な上着を捨てるのと同様に 怖いことなのだと思います。わかりますけど。 >6.偏見はありません。たまたま好きになった相手が同性だっただけでしょう。 それは間違い。同性が好きで、同性をみてきてそのなかで自分が魅かれるものが あってたまりかねて告白する。 だって逆に「ぼくは女が好きなんじゃありませんよ、春子さん。春子さんがすきなんです。 それでもってたまたま春子さんが女だったっていうでけで」・・・そういう落語があります。 >7.偏見はありません。同性同士の恋愛は異性同士よりも真の愛と言う気がします。 こりゃまた根拠のない偏見。 異性同士の愛も同性同士の愛も同じく愛という意味で等価です。 性愛という点で女性同士は終わりがないし男性同士は女性以上に深い快感を与える 技法があるらしい。しかしそういうレベルではなくて、人を好きになって人と心身ともに 同化して一緒に暮らしたいという思いは、どっちも同じですよ。 差がないと認めることが理解そのものでしょう。
お礼
>3. >これが、一番難しい。 難しいですね。 私自身は7つの中でも、「3」が一番よく見かける考え方だと感じています。マジョリティの潜在的な本音であり、多くの当事者が最も社会的に生きにくくなっている原因でもある考え方だと思っています。 「○○という属性を持つ人」ならその人がどんな人だろうと「引きます」と言われたら、その相手に直接どうこうするつもりが無くても、自分が「○○」であることだけは知られちゃいけない。と私なら思います。 「○○」に、「同性愛」よりもっと、目に見える人口の多い「血液△型」「××県出身」などを当てはめてみると明らかに偏見の気がするのですが、なぜか論理的にはなかなかうまく言い返しにくい。 それは自分自身も同様の偏見を別の分野で抱えているからかも知れません。 私は >犬は嫌いだ。人が犬を飼うのはかまわないが、我が家にはいれない。 が偏見とは気づきませんでした。なぜなら私は蜘蛛が大嫌いで、人が飼っていると聞くだけでも本当は嫌ですが、それはどうしようもないとしても、我が家には足一本入れて欲しくありません。論理も何もなく絶対に嫌だから嫌としか言えません。 だから、「3」のように言う人と議論を重ねても、結局、自分にもそういう部分があるので、説得力のある事が言えないのかも知れません。 なんだか、ごくほんの少しだけですが、差別問題の根深い部分が見えて来るような気がしました。ありがとうございます。 ここまでみなさんの回答を読んで、 「4」と「5」についても、反論の角度が明確になって来たと思います。 ご回答ありがとうございました。
7です。 >同性同士の恋愛は異性同士よりも真の愛と言う気がします。 これこそ偏見でしょう。 この言葉、発言自体が「偏見」です。 何故、比較して同性愛がさも純粋なように語るのか。 これは発言者によってはコンプレックスとも取れます。 同性愛者が語ることで社会倫理に反した言い訳にも聞こえます。 同性愛者ではない者が発言したのであれば只の慰めです。 隠を含んだ逆説であると考えます。 つまりどの立場でも同性愛を否定している発言です。 比較する必要は全くありません。 どんな形の愛であっても優劣をつけること自体が無意味であり それを意味付けようとする行為が後ろめたさの裏付けになります。 よって「偏見」です。 すみませんけど、私はそんな頭良くないので更に質問されても答えられませんよ。気軽に答えたので流して下さいね。
お礼
みなさんの回答を見ていると、7は確実に偏見であり、かつ、論破も容易いようですね。 が、しかし、もし 男×男、これこそ純愛だ という文章を 男×不治の病の美少女、これこそ純愛だ に代えると(私は)なかなか偏見に気づかなかったりするから不思議だと思います。 すみません、これは完全な余談でした。 ご回答ありがとうございました。
1.理解できないのは偏見ではない。と思う。 それが通れば、価値観は存在しないのでは。と思う。 2.同性愛は性的少数派であるが、性的嗜好は個人ではどうしようもない事である。 偏見とは呼べないのかもしれない。理解を示そうとしているから偏見と呼ぶのはどうだろう。 まぁ、ある種特別視していると言えば、言えない事もない・・。 3.そういった性的嗜好が存在しないため、性的対象者として捉えた場合、 不快に感じてしまうのは止むを得ない気がする。 だが、そういった事を加味した上でも引くというのは・・・。 「そうか。そういう嗜好だったのね。でもゴメン私は違うんだ。 でも人によって性的嗜好は異なるから、仕方がないといえば仕方がないよね」 どこか不快に感じてしまうが、理解しようと努めているなら偏見とは呼べないと思う。 4.その見方が既に偏見である。と言えるといえば言えるけど。 難しい。価値観とか偏った見方とか、曖昧な基準だから・・。 というか周りに沢山いるから~と言うのもなんか話がずれてる気がする。 5.・・・。まぁショックを受けるほど特別視されるべき事ではないのだし、個人にはどうしようもないと言う問題であって 理解する事が大事。偏見的であるかもしれない。 6.たまたま。というのがどういったニュアンスで~。によるのかな・・。 今回たまたま同姓の人が好きだっただけ。 ならば対象が完全に同性にしか興味が持てない人だった場合、 明言されていないが偏見を持っている可能性がある。 先天的に(たまたま)そういう嗜好を持ち生まれただけなのだから~。 と言うなら偏見ではないと思う。 誰にでも有り得た事という意味で理解していると思う。 7.意味がわからない・・・。偏見である。そういうイメージが有るだけだとしても偏見だと思う。 ただ、それは偏見だ!等と糾弾してもあんまり意味はない。と思う。 ・・・・・・。 全然論破出来ませんでした。。というか論破は不可能な気がします。。 一歩間違えば、こっちの言ってる事こそ詭弁や偏見、価値観、定義の押し付けになってしまう。 なんか品評みたいですね・・。偏見であると論破できる、猛者の登場を待ちましょう
お礼
4.は確かに話がずれていますね。「周りにたくさんいること」が、「偏見はありません」を補っていませんね。論破する以前に、「それで?」と、発言者自身の考えをさらに引き出さないと話にならないということですね。 6.ここでも「たまたま」の定義が出てきましたね。 4と同様、「たまたま」ってどう言う意味?と聞いてみる必要があるみたいですね。 7.糾弾して欲しいのではなく、論破して欲しいので・・。 偏見だと思う理由をいただければ尚ありがたいです。 論破とは「議論をして相手の説を破ること」 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%CF%C0%C7%CB という意味らしいですので、「私はAです。なぜならばBだからです」を 「そのB→Aは成立しない」と証明できれば良いのかなと思います。 私もいろいろ考えたのですが、いずれも難しかったです。 猛者を待ちましょう。 いただいた回答に反論することを目的としていないので、ナルホド、そういう受け止め方もあるのかと思ったご回答には、特に何もコメントいたしませんが、参考になりました。 ありがとうございました。
1.「それは偏見だ。なぜならば理解する事と偏見を持たないことは同じ事だからだ」 ただ、これは理解をちょっと違うニュアンスで使っているのかもしれません。 その人の感情をや感覚を細かく分かることを理解と言っているとか。 3.「それは偏見だ。なぜならば偏見が無いと言うのは引かずに受け入れることの出来ることを指すからだ。」 5.「それは偏見だ。なぜならば自分に親しい人間だとショックだということは、良からぬ事だと思っている事の現われだからだ」 6.「それは偏見だ。なぜならばたまたま同性だったのだろうと、その人の中でも特殊なケースと見ているからだ。」 7.「それは偏見だ。なぜならばどういう相手だろうと1つの恋の形だと思わず、同性愛だけ特別に感じているからだ。」 こんな感じでどうでしょうか。 4は偏見とは感じませんでしたが、周りにいなければ偏見を持つのか?と深読みされてしまう事があるかもしれません。 2も同様。
お礼
1に関しては確かに「理解」の定義によってはまだ双方別の回答がありそうな内容ですね。「細かく他人の感情を分かりきる事を理解と言うのなら、それは出来ませんでした。ですが、別段同性愛そのものに、とやかく言うつもりはありません。」というのなら偏見ではないと言い切る事もできるのでしょう。 6も同様ですね「たまたま」をどう言う意味で使用したのか。 特殊に、稀に、という意味で使用したなら回答者様に返せる答えが私にはありません。 が、今回は「たまたま異性だった」、「たまたま同性だった」、「たまたま幼女だった・・」。。。など、好きな人の属しているカテゴリ(性や年齢やその他諸々)は、好きになるのにあたっては、なんら影響はなかった。後で言われて気づいたら、偶然そうだっただけ、という意味で使用しているなら偏見では無いと思います。 いただいた回答に反論することを目的としていないので、ナルホド、そういう受け止め方もあるのかと思ったご回答には、特に何もコメントいたしませんが、参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
確かに「同性愛に偏見はありますか?」と聞いて、「あります」「ありません」と答えた回答に対して、反論するのはおかしいですね。 これは質問者の手落ちです。論破された気分です。 これらの「偏見はありません」は本当に偏見がないのか?と言うのが最初に持った疑問でした。が、質問文にも書いたように、反論者はいても納得のいく反論はほとんど見たことがなかったので、果たして論破は可能なのか?それが知りたくて質問をしました。 3の場合は「恋愛は自由だと思っているので」の部分が回答になっていると考える事もできると思います。 6の場合も、自分は同性愛を「たまたま好きになった相手が同性だっただけ」(つまり、特別奇異な事とは思っていない)と見なしているのだから偏見がない事の証明になっていると思います。 という考えもあるかと思いました。 しかし、それ以外の考え方は、ナルホドと思いました。 論破しているというよりは、確実に相手の論理が不成立である事を暴いていると思いました。 ありがとうございます。