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山口県光市の母子殺害の死刑判決のついて

山口県光市の母子殺害の裁判で、 死刑判決が出ました。 みんさんの率直なご意見をお聞かせください。

みんなの回答

  • 486125
  • ベストアンサー率6% (31/475)
回答No.23

本村さん、長い間お疲れ様でした。 それだけです。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.22

南無。

回答No.21

弁護士軍団は、意図と結果を招き損ねた為死刑の判決を導いてしまった。 何でも有りの弁護活動は見直すべきだと思う。

  • hirarno36
  • ベストアンサー率20% (274/1336)
回答No.20

この件に関しては死刑が妥当でしょう。死刑そのものの是非論は別としてです。本村氏の更生させることと罪を償うことは別の問題との発言が深く心に残っています。 もし自分の立場ならと誰しも許しがたい思いに駆られることでしょう。中でも氏が許しがたかったのは供述を一変させたこと。供述自体が弁護側の戦術としか取れず、被告の気持ちの一片だに語られている気がしなかったとのことに同感です。 もし、死刑以外にその道があればいいのですが、前回答者さんの中にも指摘がありましたように、無期懲役は出所可能な刑罰です。 死を持って被害者の死を帳消しには出来ませんが、さりとてそれに変わるものがあるのでしょうか。いつもながら凶悪犯罪の刑罰というものを考えさせられます。

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7417/18945)
回答No.19

やったことと、反省がみられないことを考えれば 幼児期に虐待受けたことを考慮しても極刑(死刑or無期)は間逃れないでしょう。 今の法務大臣の下、100人いる死刑囚の中で順番が回ってくるのがいつかは分かりません。 でも、それを待つ間、自分の犯した罪に向き合って欲しいです。 彼が不幸にしたのは、被害者の遺族だけではありません。 自分の家族も不幸にしてるのですから... しかし、弁護団のほうも、もう少し別のやり方はなかったのですかね。 あれじゃー世間の反感買うだけでしょう。 じきに裁判員制度も始まることだし、勉強しなおして欲しいですね。

  • gon987
  • ベストアンサー率16% (53/312)
回答No.18

>で、もう1つ、「2人の人間を殺した未成年者」で、死刑になった人間がいるかどうかも調べてみるといい。そんな例は、ない。この被告以外は、な。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080422-OYT1T00269.htm >連続4人リンチ殺人事件に対する2005年の名古屋高裁判決(上告中)以来で、少年の重大事件に対する厳罰化の流れに沿った判断となった。最高裁が83年に示した死刑適用基準の指標とされる「永山基準」以降、犯行時に少年だった被告の死刑判決が確定したのは2件。いずれも犯行時19歳、被害者は4人。 二人ならセーフで四人ならダメってことはないだろうし 残虐性なども含めて人数は関係なしってことで ってことで未成年ってことで はあるみたいだね。

回答No.17

「人を殺したら、死刑になるのが当たり前」とかいう人が多いんだよねーって、 この考え、いけないことでしょうか。 「当たり前」というのは言い過ぎかもしれませんが、 少なくとも、人の命を奪うということは、自分の命が奪われても仕方が無いほどの行為でしょう。 そういう意味では、「人を殺したら、死刑になる(なっても仕方ない)」という考えに対して、 今の日本の法律がどうとか、そういうことは関係ない気がします。 それに、1人を殺しても基本無期、未成年だから刑が軽い、なんて子供に教えるのですか? 今回の判決は、世間で話題になったから、世間の不満のガス抜きをしたいから、 死刑が下されたのですかね? それこそ思い込みじゃないですか?

ogappa
質問者

お礼

ありがとうございます。 本村さんは以前、死刑について、 下記のように仰っていました。 加害者が心から反省をして、できれば生きて、 贖罪の日々を過ごそうと生まれ変わろうとするときに、 「死刑」という名のもとで社会がその命を奪う。 その非業さと残酷さを思い知ることで、 等価だという真実の裏返しで、 初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、 また、人の命の尊厳を社会が知る。 それが死刑の持つ意義である。 これに尽きると思います。

noname#63054
noname#63054
回答No.16

本村洋さんが判決文を聞いたあと記者会見の時の表情です。 http://www.nikkei.co.jp/news/main/imimage/im20080422AT5C220102204200813.jpg これがすべてを物語っています。 これは、刑事裁判ではありますが、当事者同士の争いです。 直接関係ないわれわれがいたずらに死刑はいけないだとか、子供ころされ最愛の妻を強姦殺人 されても私怨をはらすなとか、犯人の育った環境が云々とかしたり顔で解説すべき問題ではなく 事件自体がお気の毒な、犯人も被害者もあってはならない不幸な事件と考えるべきです。 もちろん、ここから私たちが学ぶもの、考えなくてはいけないものは多くありますが、それは 決して犯人や判決や訴訟自体にむかうものではなく、自分の生き方のなかで何を考えるか でしょう。 当事者の思いを考えたら皮相的な感想などさしはさめるほと軽々しい問題ではないです。

ogappa
質問者

お礼

ありがとうございます。 同感です。 本村さんの会見の発言がすべてだと思います。

noname#59131
noname#59131
回答No.15

「人を殺したら死刑になるのは当たり前」と考える人が多いというのが そもそも勝手な思い込みでしかないような気もしますが なんか下らないことを偉そうに語らないでくださいな。 なにが、俺はイヤだね。ですかねぇ・・・。 法が平等という事は、どういうことなのか。 それこそ考えるべきなのかもしれません。

ogappa
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • cocobat
  • ベストアンサー率6% (2/31)
回答No.14

私は妥当だと思います。 犯罪を犯した年齢や、殺した人の人数を 過去の判例と照らし合わせて、死刑かどうかを決定するなんて、おかしいと思いますし。 衣食住揃っている場所で延々と生きて、反省さえしない可能性があるのなら 死刑を免れたいと思っているのならなおさら、死刑宣告に向き合って、自分がどれだけのことをしたのか、身を持って知って、反省でも後悔でも何でもしてほしい。 でなければ、死刑判決の意味がありません。

ogappa
質問者

お礼

ありがとうございます。 本村さんも会見で仰っていたとおり、 その事案、事案でしっかり審理すればいいと思います。

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