同性愛嫌悪は自己嫌悪の矛盾になるのでは?
同性愛を嫌う人って多いです。
キショいとか言う人がよくいます。
あれこれ言って同性愛に関連するコンテンツやアイテムを叩く人も居ます。
しかし、同性愛嫌悪は自己嫌悪の矛盾となりませんか?
僕は、比較的同性愛を是としていますが、その理由の一つに自己嫌悪の矛盾を抱える為です。
一番近い、一番身近なところにいる同性とは誰かといえば、それは自分です。
同性愛を否定することの一部は、自己愛を否定する行為でもあります。
それで良いんでしょうか?そうなるんじゃないでしょうか?
僕は男性なので、また男性の方が同性愛嫌悪の傾向が強いと感じるので、主に男性目線に立った話になることご容赦ください。
例えば異性愛者の男性は、女性の水着姿だったり、女性のミニスカート姿だったりを好むことが多いです。
一方で、そういうアイテムに準ずる同等のアイテムを男性が着用することや、その行為に賛同する行為を、同性愛の予備行為として悪く言う人が結構います。
男性の肉体的魅力を否定する様な発言をしたり、男性の肉体的魅力を肯定する発言を同性愛の予備行為として悪く言う人がいます。
正直なところ、僕が男目線でそれを見てどう思うかというと、凄くいやだなーと思います。
僕は男ですが、男性性の範疇で女性に見劣りしない様なアイテムを着てみたいですし、水着とかも女性がビキニを穿くなら男性としてはブーメランを穿きたくなりますし、女性が脚線美をアピールするためにミニスカートを穿くなら、同様にメンズスカートを穿くなどして、ファッションの面で男性が決して女性に劣らないことを主張していきたいです。
それに自分で判断した限りだと、主観的にはこの試みはそれなりにうまく行っている様に思います。
だから、女性にセクシーさや美を求める一方で、男性が持つそれを否定する様な発言は断じて受け入れる訳にはいかないです。
特に男性自身がその様な言動をするならば、それは自己否定、自己嫌悪という矛盾がついている様に感じます。
だから、同性愛嫌悪は僕から見ると完全に自己嫌悪そのものに見えます。
むしろ男だからこそ、本当は男にもある美しさや、それをアピールする為の衣服という物を、肯定的に考えて着用していきたいと思っています。
以上、同性愛は自己嫌悪なんじゃないでしょうか?