> いつも狙われて被害に遭っているのは弱い老人や子供や女性などおとなしい無抵抗の人ばかりですね。
それはそうでしょう。
なにしろ、狙われて被害にあっているから弱くて無抵抗だと判定されているのですから。
実際問題として、激しく抵抗したとしても、被害にあったり殺されたりした場合、抵抗した→抵抗むなしく云々、という形になり、弱いことにされますし、弱いどころかものすごく強い人はそもそも襲われても被害にあいません。なので、結果的に、無抵抗で弱い人が被害にあっているという構図は成り立ちますが、実際どうだかはケースバイケースとしかいいようがありません。
戦争でも何でもそうですが、弱いほうが負けるのではなく、負けたほうが弱いと「認定される」のです。
> ヤンキーとかチンピラヤクザとか暴走族とかロクデナシの不良学生とかそういう類のクズ的人間を殺せばいいのに
こういった人たちを十把一からげにくず人間というのはちょっと偏見が過ぎるかな、と思いますが、多分、「ヤンキーとかチンピラヤクザとか暴走族とかロクデナシの不良学生とかそういう類のクズ的人間」であっても、狙われて殺害されでもしたら、善良だったり、学生なら成績優秀だったり、義侠心に富んでいたりすることになるでしょう。
そういった意味で、クズ的人間は絶対に被害にあわないのです(なにしろ、被害にあった瞬間からクズ的人間ではなくなるのですから)。
時々不思議に思うのですが、日本では、殺された被害者はなぜ善良で温厚な人だと、なぜ無条件に信じられているのでしょうか。
一般の人はみんな善良で温厚な人ばかりというわけでもなさそうですし、善良で温厚な人だけを選んで被害を与えるような何かの組織があるようにも思えません。それなのに、なぜ、善良で温厚な人ばかりが被害にあうと、信じるのでしょうか?
もちろん、善良で温厚な人ばかりではないことはみんなわかっていて、でも死んだ人のことを悪く言わないという文化があるからだ、という解釈は、当然成り立つと思いますが、時折、善良で温厚な人たちばかりが被害にあっていると心のそこから信じているらしい人を見かけるので、非常に不可思議でならないのです。