- ベストアンサー
「幸せ」の概念がないという夫
34歳、結婚4年目の共働き夫婦です。子供はいません。 同い年の夫は研究職の理系です。日常の細かなことを考えるのが好きな人なので、家事も進んで分担してくれて、とても助かっています。 甘い雰囲気は付き合い当初から皆無でしたが、仲のいい友達みたいな夫婦だと思います。 私はことあるごとに「お茶がおいしくて幸せだな…」とか「健康で幸せだな…」などと考えるタイプです。 そしてそれを夫に言うと、今までは「そうだね」と相槌が返ってきてました。 今日、なにげなく「○○(夫の名前)はどういう時に幸せを感じるの?」と聞いたら、きっぱりと 「幸せとか不幸せとかを感じることはない。日常のことで、こっちを選んでよかった、悪かった、と思うだけ」 とのことでした。 「幸せ」という概念がそもそもないらしいです。 私は夫が私と結婚して幸せな気分でいてくれてると、4年間信じて疑わなかったので、ちょっとビックリしました。 「じゃあ妻を幸せにしたいと思うこともないの?」「なんで優しくしてくれるの?」と聞いたら、「言ってる意味が判らない」と言われました。 別に直前にケンカをして不機嫌だった、ということもないので、心底そう思っている様子です。 ほかにもいろいろと突っ込んで聞いてみましたが、真剣に考えた末に「…判らない」という答えが多く、のれんに腕押しでした。 今までなるべく、夫が幸せな気持ちでいられるよう工夫してきたつもりだったので、一気にカラまわりだった?徒労感が押し寄せてきました。 と同時に、幸せを感じることのない人と、「幸せな結婚生活」を送るには今後どうすればいいのか、根本的なところで混乱しています。 とりあえず、自分が幸せと思えることだけしていたらいいのか…でも一人で幸せを感じるのはさびしい…。 相手にも「幸せな気持ち」になってほしい、と思うのは私のエゴなんでしょうか? というか、私が「幸せ」にこだわりすぎ? 多くの人が「どういう時幸せ?」などと聞かれても答えられないもの? それとも、理系の人はこういう傾向が強いとか?? そして、今後どんな幸せも共有できないという衝撃…。(大げさ?) 一番怖いのは、私の気持ちが夫から離れることです。 それを防ぐために、夫を理解し、お互いが居心地いい関係を築きたいと思っています。 「自分もそんなタイプ」「夫がそんなタイプ」という方、いらっしゃいましたら、もうすこし判りやすく表現して頂けると助かります。お願い致します。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
然るに。 私もどちらかというと感情でさほど動かないタイプなので。 本件のご亭主様のご意見は判らないではないです。 女性の方は直接的な言葉での返答をお求めになる傾向がありますが。 「幸せ」という言葉はどうも重くてこっぱずかしくて、いけすかない 言葉ってのかな。(笑) わざわざ口で出すものでもなくって。 ぼーっと、フィーリング的に、「旨いネェ」とか、「いい曲だな」 とか、そういう余韻に浸ったときに、「Happyやなぁ」と思えて、 それだけでエエカナと。 人に同情してわかってもらえるほどのもんでもないかなという ニュアンスが私にもあります。 けど、これは別に「幸せじゃないこと」ではなくって。 ごく単純に、口で言うほどでもなく。 ちょっと恥ずかしいやん。 「ええなぁ」と思っている、それでええんちゃいますか?判って くれへんの?というレベルのニュアンスだと思いますので、 きっと、貴方の「幸せ」という言葉とはイコールだとは思います。 同じ物食べて、「美味しいやんね?」と問うた時。 「そうやな」レベルで「幸せやな」と言っていると感じていただけ れば、いいんじゃないかと思います。 押しつけてどうのこうのってもんでもないかもっ知れませんけどネ。 あー、こういう表現。 むずかしいね。
その他の回答 (11)
- ame830
- ベストアンサー率28% (195/684)
僕もあまり「幸せ」って感じたことがないです。 だからといって、毎日が辛いとか、楽しくないかと言うと、全然そうではないんですよね。 うまく伝えられないのですけれど、楽しいとは思うし、この選択してよかった、とは思いますよ。 でも「幸せだ…」って言うのは感じたことがないです。 ちなみに僕も理系の大学院で研究してるのですけれど(笑) ここまでが自分の体験談で、こっからが本筋になるのですけれど。 じゃあ、そもそも「幸せ」ってなんでしょうか? お金がある状態で幸せって人もいるし、愛がある状態が幸せって人もいる。 幸せを感じる対象は人によって違う。 それは言われるまでもなく、ご存知だと思います。 じゃあね、幸せを感じてる人が言う「幸せ」って、みんな同じものを指して「幸せ」って言ってるのでしょうか? そうじゃないと思うのですよね。 ある人は楽しいという状態を「幸せ」と呼んでいるのかもしれない、ある人は「安堵感」を幸せと呼んでいるのかもしれない、ある人は満足感を幸せと呼んでいるのかもしれない。 きっと、幸せの概念も人によって違うと思うのですよ。 だから質問者様が幸せと言ってる状態を他の人は安心感と言ってるかもしれない。 逆に他の人が言ってる幸は、質問者様は満足感と呼んでいるのかもしれない。 「お母さん」という単語なら話は簡単なんですよね。 誰でも指してる意味はほぼ一緒。 生物学的に自分を産んだ人物、もしくは後天的に自分を生育した人物という意味でしょう。 でも「幸せ」みたいな抽象的な言葉って、実はみんなそれぞれが違う意味で使ってるのではないでしょうかね。 (もっと言うなら、先に書いた安堵感や満足感だって、ほんとに誰もが同じ意味で使ってるのかな?) もし超能力で人の心を読めるとします。 きっとそうするとびっくりすると思うんですよ。 「あれ?あいつの幸せの概念、俺の幸せの概念と違うぞ…」みたいに。 だからね、もし質問者様夫婦も超能力でお互いの心を読めるとします。 そうするとね質問者様は「あれ?私でいう幸せを、この人は楽しいって呼んでるんだ」とか、旦那は「あれ?俺が言うところの楽しいを、こいつは幸せって呼んでるんだ」みたいな感じなのではないでしょうか? だからね、「私、今幸せを感じるわ」「あ、私も~同じだね~」と賛同しあう二人が実は全然違うことを感じあっていたり、逆に「私、今幸せだ」「私は楽しいけれど、幸せではないなあ」という二人が実は同じことを感じている可能性だってあるわけですよ。 余談ですけど、何か哲学的な議論をするときって、最初に言葉の定義をしないといけないと思うのですよね。 例えば「愛は人間に必要か!?」ってテーマで話し合うとする。 じゃあね、そのときそれぞれが「愛」をどういう風に定義してるか、最初にはっきりさせないといけないんですよ。 もっというなら「必要」の定義も各自はっきりさせておかないといけないです。 「愛」とか「必要」の定義は人によって違うから、最初に合わせておかないと、一見同じ話をしてるようで、実は全然別の話をしてる可能性もある。 そこをはっきりさせないまま議論しちゃうと、必要だ!いや必要じゃない!って10時間も議論したあげく、「あ、俺の言ってる愛と、お前の言ってる愛って意味違うんだな…。その定義だったら、俺と言ってること全く一緒だったわ…。今までの議論ってなんだったんだ…」と成りかねない。 さて、話がズレました。 そういう風に考えたとき、あなたが定義するところの「幸せ」は、旦那や僕も感じているのかもしれないですよね。 でも、あなたが定義している「幸せ」を、旦那や僕は別の言葉で呼んでいるのかもしれない。 旦那は「こっちを選んでよかった」とか、僕は「楽しい」なんていう風にね。 同じことを言ってるのに、ある人は幸せ、ある人はこっちでよかった、ある人は楽しい、そんな風に呼び名が違うのですよ。 そして、僕や旦那は何らかの理由で(理系は関係あるのかな?)「幸せ」という名前をどの感情にもつけてあげなかっただけなのかもしれない。 幸せという名前がついた感情がないから、人から「幸せ?」と聞かれたら「そんな概念は自分の中にはない」となる。 じゃあ、まず問い掛けたあなた自身が「幸せ」をどう定義してるか示さないことには、旦那や僕はその議論には参加できない。 その定義を示しても「ああ、じゃあやっぱ俺らには幸せとかないわ」となるかもしれないし、「ああ、それをお前は幸せって呼んでるんだ。俺らはそれ、違う言葉で呼んでるから」となるかもしれない。 なんにしろ、あなたが「幸せ」をどう定義してるかが分からないことには、議論のしようがないと思いますよ。 定義しないままだと、それこそさっきの例みたいに、夫婦で茶碗を投げつけるまでの喧嘩をしたあげく「あれ?呼び名が違うだけで、言ってること同じなんジャン…。アホらしい」となったりね。
お礼
回答ありがとうございます。 最初に二行で、すごく安心しました。幸せを感じないからといって、本人にとっては悪いことではないんですね。 幸せの概念が人によって違う…ハッとしました。 自分は何を「幸せ」と定義しているのか、改めて考えてみると、私自身の両親が不仲&病弱だったため、「団欒」とか「健康」には人一倍敏感なのです。 なので、少しでもそういうことを感じると「今最高に幸せ…!」と興奮(?)してしまうのです。 私が「幸せ」を口にするとき、実は言葉の前に(結婚前に比べて)という前置きがあった気がします。 でもそれは、私だけの体験ですし…。 考えてみれば、夫の両親は70代ですが健康で、今もラブラブなので、夫が「団欒」「健康」ぐらいじゃビクともしないのは自然なことです。 でも逆に、口にしないだけで、私が「当然」と感じることが、夫は「よかった」「楽しい」と思えることもあるのでしょうね。どんなことだろう? すごく気になるけど言葉にできないらしいので、想像するしかないです。 夫が団欒や健康をとくに幸せと思ってないのに、4年間私の言葉に「そうだね」と相槌を打ってくれていたのと同じ「優しさ」を、私も夫の様子から「何を幸せと感じているか」を読み取って、お返ししてあげたいと思いました。 ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
微妙なニュアンスながら大変明快な回答ありがとうございます。 深く深く、なるほど~と思いました。 「こっぱずかしくて、いけすかない」 ここにすべてあるような気がします。 夫も「こういう会話自体好きじゃない」と言っていたので…。 思い返せば私も高校の時は、「自分の気持ちを他人に判られてたまるか」と思っていました。 その後、女性らしい丸さみたいなものが身につくにつれ、「身近な人にだけは、自分の気持ちはできるだけ素直に伝えたい」と思うようになりました。 その方が、相手が安心してくれる気がして… つまりコレって、女性特有の考え方なのかもしれないですね。 (ただ単に、自分が安心させてほしい女心かもしれません) そして男性はいつまでも、思春期の反骨精神?のようなものを持ち続けているのかもしれないですね。 もしかすると、私の「幸せ観」も大げさなのかも。 そして夫は、女性には判らないけれど重要な何かにこだわって、自分の中から「幸せ」という概念を排除している。 極端な二人の感覚を足して2で割ったくらいの「ええな」が、たくさんある家庭になればいいのかな…。 お蔭様で混乱がおちつき、希望が見えてきた気がします。 本当にありがとうございました。