• ベストアンサー

クジラと鰯の命

 クジラの命も鰯の命も同じ命だと思います。 でも鰯の子どものいりこなら何十匹も一人でも食べるのに鯨の一つ命は何百人の人が食べることが出来ます。なぜ、環境保護団体はクジラの命だけを守ってクジラにも人間にも食べられる鰯の命は守らないのでしょうか?  鯨の命は大切で鰯の命は大切でない論理的な解答を教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 1ha2ha3ha
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.5

 命が同じというのは確かに正しいと思います。全体的にみてもそうです。自分の足の下に歩いてる蟻も、どこにでもいる虫も、おじいちゃんもおばあちゃんも命です。 ですが人間には感情があります。  全体的に見て鯨と鰯では価値が違うとほとんどの人間は思ってしまうのではないでしょうか。世界にいるほとんどの人がクジラと鰯の正確な数など知りません。本当の希少性などわかりません。  環境保護団体の方々は鯨の命が大切だから保護しているのではありません。クジラの数がへっているから保護するのです。  それに鰯とクジラではやはり全体的な数も違います。一度の出産でうまれる子供の数や生存率も。そう考えるとやっぱり鰯は数が多いのです。数が多い以上、やはり私たちの食卓にあがる頻度も多くなるのではないでしょうか。  クジラと鰯の命。確かに両方大切です。ですが私たちが生きている以上なにかしらの命を奪って生きているのです。クジラは保護されるけど鰯は保護されない。確かに平等ではなくて憤りを感じるかもしれません。  鰯は守られないなんておかしいと思うのかもしれません。ですが、考えてみてください。私たちはたくさんの命を奪って生きています。豚も牛も鯖も野菜も。みんな感情があるならば守られたいと思うのではないのでしょうか。人間は価値や優先順位というものをもっています。そうである以上、やはり生きていくためには命を奪います。  たくさんの命を奪うにあたって、その種がとだえてしまうから保護するのではないでしょうか?  クジラと鰯の命の価値がちがうのはおかしいと思うのは間違っていないと思います。ですが私たちは生きる事を選択する以上。他者の命を摘み取って生きているという事を自覚するのも大切だと思います。

papabeatles
質問者

お礼

 人が毎日の暮らしで多くの命を奪って生きていくのは仕方がない事です。しかし、なるべくなら、100の命を奪う食生活でなく10位の命で生活したいと思います。しかも牛を育てるには多くの穀物を必要としますがクジラは育てる為に無いもする必要はありません。  クジラこそが地球に優しい食べ物だと思います。

その他の回答 (5)

  • ptyfsu
  • ベストアンサー率14% (52/371)
回答No.6

>クジラの命も鰯の命も同じ命だと思います。 →同意します。 >でも鰯の子どものいりこなら何十匹も一人でも食べるのに鯨の一つ命は何百人の人が食べることが出来ます。 →鯨を何十匹も一人で食べることは物理的に不可能なのでこれはしかたないです。 >なぜ、環境保護団体はクジラの命だけを守ってクジラにも人間にも食べられる鰯の命は守らないのでしょうか? →環境保護団体は「環境」を保護している(つもりな)ので、いくら食べても絶滅する心配のない(と思っている)鰯の命は守る必要がないからだと思います。 >鯨の命は大切で鰯の命は大切でない論理的な解答を教えて下さい。 →その考えは正しくないと思うので論理的な回答はありません。 ちなみに私は環境保護団体の唱える鯨保護には賛成しません。 鰯でも鯨でも食える分だけならいくらでも取って食えばいいと思ってるうちの一人です。

papabeatles
質問者

お礼

 クジラが絶滅危惧のある動物かどうかは調査捕鯨をしないと何とも言えませんね。  同意して頂いてありがとうございます。

  • bouhan_kun
  • ベストアンサー率19% (1032/5208)
回答No.4

理論的な回答はできません。反論はできますが。 あなたの感性のほうが、本来まともです。保護団体なるものが、勝手に差別してるだけです。まあ、そういう団体の奴らって、そもそも白人がほとんどであり、有色人種の野蛮な風習を・・・という観点は、少なからずあるのでしょう。要は、正しいとか何とかでなく、ただの優位主義です。 で、優位主義の観点から「鯨は頭がいいからかわいそう」等という論点がでてきます。先も言ったように、確かに絶命までの攻撃時間は大きいのですが、人ははそういうものを食する罪深い生き物であることを自覚し、感謝するしかないのです。たとえベジタリアンだって、植物も命ですから、まったく無罪とはいきません。 数の問題で言えば、確かに絶対数が違いますが、逆に絶対数が多いものは、その数が直接生態系維持になっていることが多いのです。数がある程度のデッドラインを割ると、何万頭いても絶滅への坂道を一気に転げ落ちることがあります。リョコウバトやアメリカバッファローの例が、それです。だから、多いからいいやと言う話ではありません。むしろ数は少なくとも、大型である鯨は、生殖可能年齢も長いですし、その分安心感があるともいえます。

papabeatles
質問者

お礼

 私も欧米人の鯨保護には、クジラを食べる民族は野蛮と言う意識があるように思います。  クジラを食べる民族がいかに自然を大切にしてきたのかを国際社会に訴えるしか方法は内容ですね。  クジラの刺身が食べたいです。オバクジラも美味しいですね。  今でも居酒屋などで食べることは出来ますが、昔の味と全然違いますよ。

noname#254711
noname#254711
回答No.3

No.2です。 >とのかく「保護」 とにかく「保護」の間違いです。 すみませんでした。

noname#254711
noname#254711
回答No.2

数の問題です。 少なくなって、放置すれば絶滅する恐れがあると ある時に判断したからです。 それ以来、とのかく「保護」という観念しかない人々が居る訳です。 鰯も、数が激変して「保護動物」と認証されれば 手厚く「保護」(?)されるようになります。 トキやコウノトリも、昔は殺されて、色々と利用されていたはずです。

noname#215107
noname#215107
回答No.1

鯨には魂があり、牛にはないと信じているからです。

関連するQ&A