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共依存と恋愛
別れて今は友達関係になっている彼女に「自分との関係は今思えば共依存になっていたのかもしれない」と言われました。 共依存という言葉は知らなかったのでネットなどでいくつかのHPを見ていたのですが、自分にはやぱり共依存というもの自体はわかったつもりなのですが、じゃあ健全な恋愛との違いは何なのか?悩んでしまいます。 (http://trauma.or.tv/1kouisho/6.htmlやhttp://media.excite.co.jp/daily/tuesday/030617/topics.html)とかみてました。 たとえば恋人が病気なら自分も力になりたいと思うし、悩んでいたら何とかしてあげたい、共感したいと思うのは普通だと思っています。 健全な恋愛関係と共依存な恋愛関係の大きな違いってありますか? また、共依存な関係は修復できるものなのでしょうか?
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私のイメージですが、良くあるケースとしてダメ男を支える献身的な女性という姿が浮かんできますよね、そのケースを例にとってみます。 もしダメ男が、その女性の支えによって癒され、発憤して立派な男性に成長したとします。その時に、その女性が心の底から嬉しいと思い、お互いに理想的な関係になれるなら、それは共依存とは言わないでしょう。 共依存関係なら、その女性が心の奥底(無意識的なレベル)で、ダメ男のままでいて欲しいと望んでいることが多い。すなわち、この女性は「ダメ男を献身的に支える」事を人生の目的にしている、、、そんな感じです。従って、当然のごとくその女性は自ら望んでダメ男と付き合い、自ら望んでダメ男のダメっぷりの犠牲になっているわけです。 もちろん男性側としては、そうやって耐えてくれる女性(自立しないで依存してちょうだいと無意識的に望んでいる女性)がいれば、堂々とダメ男でいられるわけですから、こんなに楽なことはありません(実際は苦しんでいたりしますが、その苦しみは、自立しようとする苦しみに比べたら楽なもんです)そして(無意識的に)その女性のためにダメ男を演じ続けるわけです。 そうやって共依存に陥り、 男性は「どうせ俺はダメなんだよ。どうやっても自立できないんだ」と開き直った人生を送ることが許される。 女性は「私がこの人を支えている」といういわば自己陶酔のために男性をダメ男のままでいさせてしまい、周囲からは「けなげでかわいそうな女性」という高評価も得る。 こうなってしまって、お互いに抜け出せなくなる。 これが典型的な共依存なのだと思います。 修復するためには、どちらかがそのメカニズムに気づき、お互いに「精神的に自立しよう」と話し合って二人とも共依存から抜け出す努力をすればいいでしょうが、なかなか難しいですよね。
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- 大空 二千翔(@oozora2000)
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健全な「愛情」とは、まずお互いが自立し、相手も同様に自立した人間だということを認めあった上で、お互いの幸せと向上のために、プラスになるように良い影響を与えあうことだと思います。この場合、それぞれの行動の意志・行動決定権はすべてそれぞれの個人にあり、お互いに親身にアドバイスすることまでは結構ですが、たとえ親しい間柄でも押し付けはいけません。 よく「夫婦は一体」だとか「同じ方向や価値観を持つべきだ」という人もいますが、夫婦といえどもひとりひとり個性や価値観・宗教・趣味・嗜好は違うのが当たり前であり、その違いを認めた上で、仲良くし、お互いが幸せになるよう最大限の努力をすることが、真に相手を想い、愛する態度だと思います。まさに、私のモットーである「君は君、我は我なり、されど仲良き」(武者小路実篤のことば)の世界です。 しかし、結婚すると、とかく相手の意思を尊重せず、自分の思っている通りに誘導し、おせっかいを焼き、考えを押し付けることになり勝ちです。 又、相手が自分以外の人と親しくしたらやきもちを焼いたり、自由な行動ができないように束縛することも「愛情」とはかけ離れた、相手を支配するDV性の行為です。 「依存」とは、自分の自立、意志・行動決定権を放棄し、相手にこれらを委ねることです。子供が親から乳離れすべき年頃になっても、いつまでも「パラサイトシングル」でいるのが良い例です。 「共依存」には双方向からの「依存」という意味もあるかと思いますが、「相手も自分を必要としているんだ」、「相手は自分がいなければ生きていけないんだ」といった「相手の依存体質を先読みした」行動に起因し、自分も相手の存在抜きに生きていけない、などと相手に依存してしまうようになることだと思います。 パートナーのDVやモラハラを助長する背景として、よくこの「共依存」のことが言われます。 どんなにパートナーから、ひどい仕打ちを受けても、被害者は、「自分も悪いのだから」とか、「相手も本当は良い人なんだから我慢すればよい」とか、先ほど書いたとおり、「相手は自分がいなければ生きていけないんだ」などと考え、ひたすら相手の「善意」と「改心」に期待し勝ちのようで、こういった相手に迎合したり、相手に率直に向き合わない態度が、益々相手を増長させ、傷を深くするというわけです。 近年では、この「共依存」というとらえ方が、あたかも被害者にも問題があるという考えを増幅し、加害者の犯罪性を軽視することにつながるという批判もあり、この「共依存」という言葉を使わず、「ストックホルム症候群」(検索すればいくつか出てきます。)という言葉に言い換えようという向きもあるようです。 最後に「共依存」(「ストックホルム症候群」)からどうやって抜け出すかですが、次のような方法が挙げられると思います。 1) 自分や相手と真剣に向き合うこと 「相手に嫌われたくない、怒らせたくない」というKY的態度を止め、例え摩擦を起こしても、何とかしたい、という熱意とパートナーにまっとうな人間になってほしい、という真の愛情を持って、向き合い、はっきりと自分の考えを伝えること しかし、相手が聞く耳を持たなかったり、暴力をふるったり、責任転嫁したりして、正常な対話が成立しない場合は、明らかにDVの兆候が認められますので、以下の方法を検討してみてください。 2) 一人で悩まず、家族や友人に相談すること 「人に心配や迷惑をかけたりしてはいけない」という考えは禁物です。困ったことを相談できてこそ、真の家族であり友人です。 3) 日常の心構えとしては、パートナーや子供以外にも、多くの人と交流し、趣味や仕事、関心事項を持つこと 4) 日常の雑事に流されず、何事も自分で考える習慣をつけること。そのために読書や人との付き合いは、自分を成長させます。
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お互いに自立した「個人」であることを踏まえ、相手の価値観、行動も尊重する、譲り合う精神が大切なんですね
- hipotama
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恋愛も共依存ではないでしょうか。相手に対して力になってやろうと思うのは、自然な感情の発露だと思います。 それは、正常な恋愛です。 では、正常と異常とはどこで、線引きするのでしょうか。それは、社会通念上とか、社会生活に営む上で支障がない場合が正常だと思います。そうでない場合が異常だと思います。 共依存の場合は、だめ男(女)に対してとことん尽くしてしまい、それが結局はローン地獄、DVなどの暴力で社会生活に支障を来してしまいます。 当の本人は、「そのような状態は悪い」と思っていても、「私がいなければあの人は生きていけない。」と思いずるずると関係を引きずってしまいます。 また、そのような関係を断ち切っても、同じような人と同じような関係になってしまいます。 頭では「いけない」と分かっていても、感情では「私がいなければ」 と思ってしまうのが共依存です。 あなたの場合は、共依存ではないと思います。 共依存の関係の修復は、カウンセリングでできると思います。
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私がいなければ>この感情を一方的に押し付け支配するのが共依存であるのですね。依存したがる相手と重なると関係が悪化するわけですね。
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自己犠牲の精神と依存精神によりお互い成長することなく(成長しないことを望んでいる)関係なのですね。わかってきました