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道徳教育以外で秩序を取り戻す方法とは?
私は20代前半の若者です。私と同年代の人達の間では、「道徳・常識」 ということはあまり考えられていない気がします。会話の中でそのよう な単語を聞くこともほとんどありません。 そして、私はそれを特に悪いことだとは思っていません。時代の流れで、 仕方のない現象だと捕らえています。なので、懐古的に「学校に道 徳教育を取り入れろ」というような主張には賛成できません。 しかしそれでも、今のなんだか無秩序でぐちゃぐちゃになってしまった ような世の中がいいとはとても思えません。なにか他に、この状態を解 決できるオルタナティブな方法はないものでしょうか? 法律等ルールを厳格にする、ぐらいしか私は思いつかないのですが。
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- gohara_gohara
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私は、まず統計であるとかを冷静に見る訓練をする、ということだと思います。 No.1さんが仰っていますが、別に若者世代の犯罪が増加したであるとか、はたまた、幼児の誘拐事件が多発しているだとか、そんなことはありません(件数で言えば、20代よりも殺人率の高い中高年の方が厄介です)。 しかしながら、そのような不安だけが一人歩きし、その不安感によってグチャグチャな世の中に思えている状態だと思います。 例えば、「不審者メール」などと言うのが流行していますが、「あの人は不審に思える」となれば、ちょっと人と異なることをした人は皆、不審者になってしまいます。 実際にその中身を見ると「子供に、こんにちはと挨拶した」とか、中には「繁華街で遊んでいないで早く帰りなさい」と注意した「不審者」情報があったり…などと、最早、ただの過敏状態と思えるようなものがしばしばあります。 こういった活動をしている人は恐らく「子供を守る」と言う目的を持って、頑張っているのでしょう。 しかし、「目的」を達成するには、しっかりと状況を見極め、手段を考えなければなりません。 日本で年間に起こる殺人事件は1300件程度です。そして、その殆どが、家族、友人、恋人、ご近所…など、顔見知りによるものです。不審者監視パトロールなどに殆ど効果がなく、上に書いたような問題点があるのは間違いありません(ちょっと挨拶したら、不審者、とされてしまうのでは、挨拶すら出来ず、却ってコミュニティの破壊を促進してしまいます。そうなれば、さらに不安が増幅されてしまいます) 一方、交通事故での死者は年間6000人近くいます(しかも、これは事故後24時間以内で死亡した数ですので、実際の死者はその数倍といえます) 「子供を守る」のならば、交差点で交通指導の方がよほど効果があります(また、そういう場所に親がいれば、不審者に対する抑止効果もあるでしょう) 主に犯罪に関して書きましたが、他にも教育であるとか、労働問題であるとかにしても、派手な事例ばかりを一般化してしまうことが多々あります。 それは、偏見を促すだけでなく、対策に無駄な労力を課すことにもなりかねません。時間も労働力もお金も全て有限の資源です。あることに集中させれば、他は減ってしまいます。 まず、統計などの見方を学び、冷静に物事を見る、と言うことが大事ではないでしょうか?
- eroero1919
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個人的印象ですが、私には今の10代から20代前半の若者の多くはむしろ私たちやもっと上の世代より非常に秩序的で従順だと思います。今の大人というのは子供っぽい人があまりに多いので、自分たちのことを棚にあげて若い人に責任を押し付けていると思います。 よくいわれることですが、20世紀はイデオロギーの世紀でした。世の中の白黒が比較的はっきりしていました。ファシズムと自由主義、資本主義と社会主義、背反する思想がありどちらかを選べばそれは「正義」であったわけです。 しかし現在は何が正義かわからない時代です。将来が読めた時代と違いこの先どうなるのか誰もわからない時代です。20世紀、10年後どうなっているかと聞かれれば誰もが「今の流れのまま10年後はこうなる」と答えられました。例えば、新入社員が10年たてば主任や係長になると予想され、それが外れることはあまりありませんでした。でも今は新入社員が10年たってもその会社があるかどうかすらわからなかったりします。合併して社名が変わることぐらい平気であります。 ただ、歴史の流れからすると、世の中が無秩序でムチャクチャになると必ずまとめる人が現れて新しい秩序が生まれます。覆水盆に返らずという言葉がありますが、「元に戻そう」と思うからダメなんです。時間の流れは絶対に一方向で、現在から未来に向かってのみ進みます。 今の時代がさほど煮詰まっているとも思いませんが、行き詰まってる感は否めません。いつか必ずそれをブレイクスルーする新しい秩序が生まれることでしょう。残念ながら、私にはそれほど偉大な仕事をする能力はないのでヒーローの登場を待ちたいと思います。
社会保障の充実でしょう。 マスコミは派手で異常な事件ばかりを取り上げ無意味な厳罰化を煽りますが実態はこれです。 ↓ ル激トーク・オン・ディマンド 第296回(2006年12月01日) 「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの http://www.videonews.com/on-demand/291300/000936.php 法務省が全国15の刑務所で調査した受刑者の80%が生活苦が主な犯罪の誘引 http://blog.livedoor.jp/crvmain/archives/50181879.html
- harepanda
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「反社会学」という面白い本があり、その本の趣旨を、比較的公正に紹介しているサイトを見つけましたので、長文ですが、こちらをご覧ください。目から鱗が落ちるかもしれません。 結論とポイントだけ先に述べておくと、「少年犯罪が近年急増したというのは、マスコミが捏造したものであり、戦後最もキレやすかったのは、昭和35年の17歳である」とされています。 http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html 私も懐古趣味的な道徳教育を学校に持ち込むことは反対です。これについては、安倍前首相が熱心に導入を検討して「美しい国」などという気持ちの悪いスローガンを掲げていましたが、安部の偽善性について、大手マスコミではいちいち報道しないような事実があります。つまり、安倍をはじめ自民党のトップの人たちは、統一教会とのつながりが強く、統一教会は共産主義に反対する勝共連合という気持ちの悪い活動を行っていました。冷戦時代にはある程度の意味があったことですが、昨今でははっきりと弊害のほうが大きいです。安倍は北朝鮮に拉致された日本人数十名を全員帰国させると言っていましたが、統一教会の合同結婚式の習慣により、日本から韓国に連れて行かれて韓国人と結婚し、不幸な境遇に置かれているひとは1000人単位でいるのです。つまり、統一教会による日本人拉致のほうがはるかに重大な問題なのに、祖父の代からの右翼であるアフォの安倍は、この事実を無視していたわけで、露骨なダブルスタンダードと偽善であることが良く分かります。 さて、本題に戻りますが、社会秩序の維持については、以下の手段のほうが復古調の道徳教育より有効かと思います。 1)国語の授業を根本から見直し、ディスカッションや討論などを導入、明確な意思表明と、反対派との相互理解の能力を高める。また、自分の意見を文章としても書かせ、表現力をアップさせる。クラスをひとつのテーマについて反対派と賛成派に分けさせ、討論形式の授業を行う。 2)社会科の授業を根本から見直し、新聞の記事やインターネット上の情報を元に、それぞれの意見表明をさせるスタイルに変える。討論も価値あり。また、教科書を丸読みして暗記させるというスタイルを改め、「なぜ教科書のxページに書いてあるような出来事が起こったのか、背景を説明し自分の意見を述べなさい。必要であれば、インターネットで調べなさい」という問いを生徒側にふる。 3)学校行事として、文化祭、体育祭、音楽祭(合唱)などに加え、弁論大会を導入する。 4)外国人とのコミュニケーションを図る。日本はいずれ移民を受け入れなければ成り立たない国になることは確実。都市部であれば、トルコ・中央アジア文化センターやドイツ文化センターなどの力を借り、異文化交流の大切さを早い段階で身につけさせる。地方であれば、インターネットを利用して、外国の学校と英語で文通したり、様々な社会問題について生徒どうしで議論させたりする。本当は、在日米軍が、学校に遊びに来るという制度を作るのが一番手っ取り早いのだが、沖縄等では特に、住民の在日米軍に対する感情が悪い。 なお、私の中学・高校(6年一貫校です)には、弁論大会がありました。これは非常に優れた仕組みです。当時はバブル真っ最中。今でも良く覚えている弁論が2つあります。ひとつは、「地上げ屋には悪いイメージがついているようだが、地上げ自体は悪いことではない。都市部の再開発には必要なプロセスだ」というもので、このレベルの意見を中学生や高校生が出せるというのは、やはり、私の出身校に良い社会科教師が多数いたことの影響だと思います。また、「早弁の奨め(つまり昼休み前に弁当を食べてしまうこと)」という奇抜なテーマで弁論を行った同級生がおり、彼は今、国家公務員としてがんばっています。