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李承晩ライン
かの悪名高い李承晩ラインについて教えてください。 李承晩がこのラインの主権を宣言した時日本側の抗議に対して、中国もアメリカも韓国を非難したそうですが、なぜうやむやのまま終わり,将来に争いの種を残したのでしょうか? また,この問題に付いて、中立的な立場にたってのサイト、文献などご存知でしたら教えていただきたいのですが。 よろしくお願いします。
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当時の時代背景として、「トルーマン宣言」(1945年)などはご存知でしょうか。拙文でよろしければ、次の質問のNo.4回答の該当個所をご覧ください。『世界大百科事典』(平凡社)から、かなりパクってますが……。 竹島が日本の領土という根拠を教えてください http://okwave.jp/qa3170526.html (引用開始) 韓国は戦後の海洋法秩序の混乱を巧みに利用したのでもあった。昔の海洋法は「領海」と「公海自由の原則」で比較的安定していたが、1945年9月のトルーマン宣言で動揺し始めた(大陸棚、保存水域)。多くの国がこれをまね、てんでに権利を主張した。52年1月の「李承晩ライン」宣言もこの風潮に乗っていたため、日本漁船を苛烈に取り締まったにもかかわらず、韓国は国際的な指弾を浴びなかったようだ。 このように混乱した海洋法秩序は、国連海洋法条約で再建されることになるのだが、まとまるまで長い年月がかかった。58年にひとまず4条約が採択されたが、安定せずに再検討を迫られた。82年に現行条約の採択に漕ぎ着けたが、60カ国の批准が効力発生の要件だったため、発効までに12年もかかった。こうした過渡期、日本は李承晩ラインの非を鳴らし続けたが、ようやく撤廃されたのは65年のことだった(日韓条約・日韓漁業協定の締結)。 (引用終り) また、ウィキペディアもご参考になさってみてください。 李承晩ライン - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3 (引用開始) 李承晩ライン設定に踏み切った際、韓国側は次の2点によって行動を正当化しようとした。第1は1945年のトルーマン宣言で示された排他的経済水域(EEZ)という考え方を援用することである。(中略)アメリカの主張をなぞることで批判されにくくしている。第2にマッカーサー・ラインを踏襲して区画設定している点である。これもたとえ批判されることがあるとしても、アメリカによって行われたことをやっているだけである、という説明がつけられる。 その点では、李承晩ラインの主張は、米国の海洋政策と軌を一にするものであった。ちなみに、その当時、トルーマン宣言に沿った主張が、アルゼンチン(1946年)、パナマ(1946年)、チリ(1947年)、ペルー(1947年)、コスタリカ(1948年)、エルサルバドル(1950年)、ホンジュラス(1951年)、チリ・ペルー・エクアドル(1952年)などによって行われている (中略) 問題解決には長い年月を要した。その原因は、 1. 日韓両国に正式な国交がなかったこと、 2. 国交正常化交渉は賠償請求権を巡り紛糾し、遅々として進まなかったこと 3. アメリカが二国間問題であるとの立場を取り積極的に介入してこなかったため である。 (引用終り)
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- rin00003
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ANo.1です。 李承晩ラインについては、サンフランシスコ講和会議より前に韓国とアメリカでやりとりされた[ラスク書簡]から調べられたら、詳しくわかると思われます。 ようは竹島は日韓併合以前は、どちらの領土であったかということですが、韓国の主張はアメリカに認められていないと言うことです。 なお、サンフランシスコ講和条約の条文の内容は日本の領土を決めると言うよりも、日本の放棄した領土を決める。ということであり、それには竹島は含まれていないということです。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E8%AC%9B%E5%92%8C%E4%BC%9A%E8%AD%B0 サンフランシスコ会議で、 大日本帝国が、日本と韓国に分裂し そこで朝鮮の独立したのだが? ※それで、何処が誰の領土かを認定されています。 当時の韓国は国扱いされていないので、オブザーバー扱いだが参加しており (中国やソ連を除く)50ヶ国が集まっています。
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↓ サンフランシスコ会議にて、「竹島は韓国領土だ」と主張したが 連合軍側(日本の敵国)が証拠を出す様に言った時点で、出せなかったので 「日本固有の領土」扱いとして、日本に返還される事になりましたよ? その後、韓国が「日本領土を侵略」した点については 「一旦返還した以降の出来事は、両国間の問題」としているだけですね。
お礼
回答有り難うございます。 サンフランシスコ会議には韓国は出席していたのですか?
- rin00003
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李承晩ラインのいきさつについては、質問者様は知ってらっしゃると思われますので省きます。 竹島の領土問題に対し1954年に日本政府が韓国政府に求めた国際司法裁判所への付託を韓国側が拒否しました。 領土紛争解決のための国際司法裁判は関係当事国の了解がなければ開くことができません。 つまり片一方が拒否すると裁判は開廷できないということであり、日本政府はそれで韓国政府を批判しています。 韓国政府側の言い分としては日韓併合時に、韓国の正式な領土とされる有力な資料等が日本政府により隠蔽された。 それで、裁判は受けられない。と言うことだったと思います。 いずれにしても、サンフランシスコ平和条約が発効される前の1952年に武力により李承晩ラインを引いたため、日本以外の国からも批判されたのだと思います。 また、この[李承晩ライン]がサンフランシスコ講和条約に接触していないか、などは私は知らないのですが、韓国自体サンフランシスコ講和会議には出席していないので、条約には関係ないのかもしれません。
お礼
こんにちは、 李承晩ラインについては,恥ずかしいんですが,大枠しか知りません。 しかし,今日の日韓の摩擦やお互いの反感の基が此処にあるような気がして,少し詳しく知りたいと思ったわけです。 回答有り難うございました。
お礼
ご提示の過去の回答読ませていただきました。 結局はアメリカの二枚舌外交のために、未だに日本と韓国は本当に和解しあえないという事になるのですね。 「それは二国間の問題]というのは、現在拉致問題でもアメリカの取っているスタンスですから、今さら驚きはしませんが。 また戦後、日本が力を削がれた時に、海洋法秩序の混乱を利用して、李ラインを宣言した韓国の強かさには舌を巻くしかありませんね。 ネットでは「竹島は日本固有の領土]という主張がほとんどでしたので違った角度からの見解も聞きたく思って質問しましたが、とても参考になりました。 それにしても、あんな何も無い小さな島を取り合って争うのは何故でしょうか? 回答有り難うございました。