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いじめの原理 人間関係
大卒後、入社した会社を人間関係が原因で退職しました。その後、人間不信に陥り、しばらくニートでしたが、現在、アルバイトをしています。私は、小さいころにいじめにあっています。 時々、その記憶がよみがえってきて、人を信用できくなくなってしまいます。最近、人との距離のおき方がわからなくなりました。いじめはどうしておこるのでしょうか? 思い当たる原因として、精神的弱さかなと思います。攻められるとなかなかいいかえせない内気な性格なので、つけこまれやすいのでしょうか? また、人との衝突が苦手で、9対1で9割、相手が悪くても、1割りでも悪いとすぐ謝ってしまうような性格です。この性格がなおらない限り、どこにいってもいじめらるとはいわないまでも、人間関係で苦労するのでしょうか? すぐ怒る人はなぜ、自分が悪いのを棚において一方的に怒るのでしょうか?
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- groovyreality
- ベストアンサー率22% (97/437)
僕は面白いことに気づいています。 よく怒る人って、誰かのせいにしていますけど、大抵自分のふがいなさを怒っているんですよね。 もちろんマジに抵抗力に対して怒っている人もいる場合もあるのですけど、抵抗しない協力者のような人に対して怒るのは大抵、自分に怒っています。 それを人のせいにしているだけなのです。 甘えの一種なんですね。 怒るほうも、自分のことが解らなくなっていて、勝手に思い込んでいるんですね。 つまり、本当の問題点は、あなたではなく、怒る側にあるのです。問題解決能力が無いのです。 だから、あなたがいくら考えたって、あなたの中に答えはありません。 こういう人は、大抵うつ的精神状態になっているので、他の人を排除します。何にも理解しようとしないし、抵抗的精神状態に対して、攻撃してしまうのです。こういう人とうまく付き合ってる人は、「はい、そうですね」とまず受け入れます。それから、やり方を確認するように、論理的質問をして、相手の考え方の間違いを気づかせるようにしましょう。 相手の人は、かたくなだった心を、開かざる終えなくなって、間違いを指摘してるあなたがいても、自分が間違いに気づいたと勘違いします。 自分で間違いに気づいちゃったんだから、誰も怒りません。 難しそうですが、幼稚園児だってできる子は出来てますので、一度幼稚園児と話をしてみると、なんとなくコツがつかめますよ。 右から来た物は、左へ受け流してから、対応を考えるのですね。 全ての出来事に当てはまるわけではないけど、怒られることが半減するでしょう。 むやみに怒ったり怒鳴ったりする人は、精神的もしくは性格的に異常な人なので、かわいそうな人生なんですよね、本当は。 あなたが、これからの人生を上手に生きるコツになればいいのですけど。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
民間会社においては、正しさの基準が利益追求であると明確ですから、この点に絞って善し悪しの判断をすることが肝心だと思います。怒る怒らないもこれが基準。最高効率で最大の利潤を追求する、損失を与えないです。怒られても、それがこの基準に沿っていれば素直に反省し、そうでなければ逆ギレしてかまいません。上司に対しても、これを基準に堂々と意見すればいいのです。基準にあっている限り、新入社員の意見であっても生意気もくそもありません。ただし発展的に。過去はあまり指摘しないこと。 何を言いたいかというと、組織内ではその場の基準を論理的にしっかりと意識することです。これがふらつくことが最大の弱さなのです。 友人関係やサークルでの関係ならいざ知らず、目的を持った集団の中での論理思考の弱さは精神的弱さと同質となります。 以上が、組織の中での個人の脆弱さの話で・・・ 個人の精神面で、 >すぐ怒る人はなぜ、自分が悪いのを棚において一方的に怒るのでしょうか? 怒る人に「なぜ」はありません。怒るときは「一方的」が当たり前です。そして、怒ると時は自分が悪いなどと感じていないのです。 単に感情的に怒る人(道徳、正義、倫理、その他正しさの基準に沿って怒る以外の人)は、不安、恐怖からそれを打ち消すために自分よりも弱いと感じられる対象に怒っているのです。精神的に強い人間は決してむやみに怒ったりはしないものです。 この精神の虚弱性をを理解してあげられる余裕がご質問者様を確実に強くするでしょう。大声を出されても怒鳴られても、この手の人間の弱さを理解している限り後には引かないものです。ただし、暴力からは逃げましょう。 人間は誰もが本質は弱いものなのです。弱くていいんだけれども、そこからムクッと起きあがる強さの第一歩は、誰もが弱いことを理解することで、次に、真に強いと感じられる人がなぜ強いのかを学ぶことです。キーワードは希望、情熱と自信です。具体的には、いろいろですから自分に合ったやり方を身につけてください。
- usapy07
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イジメが発生する原因は、日本の社会システム、 教育システムが構造的ににイジメを発生させ易くなっているからです。 幼児~小学校低学年にかけては、個性を尊重する教育がなされていますが、 小学校高学年~大人にかけては、個性よりも協調性を尊重する教育に変化します。 皆一様に、自分の意見を発言せずに周りの空気に合わせ、 たとえ変だと思っても異論を唱えずに強い者に従うのです。 これは団結した強固な軍隊を作るのには不可欠な要素で、 上官が「突撃!!」と言ったら命を惜しまずに死にに行く 従順な兵隊が必要だからです。 戦争は終わりましたが、会社というシステムも軍隊と同じで、 社長や上司の命令に従順に従う社員を求めています。 だから教育の現場でも、今になっても協調性を重んじた教育を続けているのです。 面と向かって言いたい事を言えば、ケンカになりますが、 相手の言い分を理解する事が出来るのでケンカした後に 相手の意見を尊重し互いの主張を理解し合う事によって 仲直りしたり友情が芽生える事もありますが、 自分の意見を一切発言しなければ、面と向かっては何も言わずに 陰口を叩く事になります。この陰口が広まって集団的なイジメが発生するのです。 大学の講義とかに出席してみればわかると思います。 私語はするけど、質問や意見を言う学生は皆無です。 皆、国家や社会に飼いならされ、自分の意見を主張しないで 周りの空気に合わせる従順な人間に育っています。 政治でおかしな事があっても、抗議やデモを行う学生はいません。 政治家から見れば、統治しやすいあやつり人形のような学生ばかりです。 このような個性よりも協調性を重んじる教育システムが イジメの基盤を作り、最近の履き違えた個人主義や自由主義がそれに加わります。 本来、権利とは他の権利を侵害しないという最低限度の義務を 果たした者にのみ与えられるべきものですが、近年、義務を一切果たさずに 権利ばかりを主張する傾向にあります。 このような状態では、「先に悪い事をした方が勝ち」という構図になります。 ですから自分に落ち度があっても、それを一切認めず相手ばかりを責めるのです。 「先にキレたもん勝ち」なのです。 イジメを無くす為には「協調性を尊重する教育」を止めなければなりませんが、 教育行政ではこのような原因療法ではなく、対症療法ばかりの政策を行っているので 今後もイジメが無くなる事はないでしょう。
人間関係で悩まない人は居ません。 あなたは、人とのコミュニケーションが上手くできていないだけのようですね。 「いじめる・いじめられる」だとか「良い悪い」 という判断の仕方はどうかな?と感じます。 多弁な人、無口な人。外向的、内向的な人など 人にはそれぞれの性格や特徴がありますので 誰もが皆と同じようにはできなくて(違って)当たり前なのです。 人との関係の中で、孤独感や疎外感を抱くか、どうかの問題がありますが 人は、元々は一人(孤独)な訳であって、社会生活上で必要であるから 色々なコミュニケーションを行なっているだけです。 無理に喋る事もありません。無理に仲良くとか明るくする必要もないでしょう。 ですが、人と人との付き合いの中では、ある程度の潤滑油があった方が お互いの為にも良いですから、最低限でのマナーつまり「挨拶」ぐらいは 笑顔でキチンとできるように努力なさって下さいね。 ちなみに、私も人との会話は苦手で、こうしてネット上であるからこそ お話できているような人間であります。
- miyanowaki
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強者が弱者を威圧&制圧するのが「いじめ」と定義した場合 逆に 弱者が強者を威圧&制圧するのは「(一種の)勇気」 ケースによっては「反抗」と定義づけられるでょう。 ただ、 「いじめ」といえども、 身近な例で言えば 1)親が子供に過度な干渉をする行為 2)介護者が要介護者に過度な干渉をする行為 3)姑が嫁に過度な干渉をする行為 も見方&程度によっては「いじめ」もしくは「虐待」 といえるし 逆に 4)ヤクザの世界における 子分が親分に反旗を翻す行為 5)子・生徒・社員が親・教師・上司に反旗を翻す行為 6)嫁が姑にに反旗を翻す行為 も見方&程度によっては 「(一種の)勇気」 ケースによっては「反抗」といえるでょう。 ただ、ここで言う「強者」「弱者」というのも 「(一種の)勇気」「反抗」の実質的成功 如何によっては いつでも立場は逆転しうるのであって、 「(一種の)勇気」「反抗」の程度が微弱&粗末で 現状に甘んじ(*そのための自己を正当化する表現力が 乏しいとも言える)、客観的周囲の事象(*うまくいっている 周囲の人間ばかりが目に映り)勝手にその周囲と比較し 劣等感を自ら深めている。自己を正当化するために 「強者と戦う必要性」は把握しているものの、戦うための 弁舌能力やそのタイミング、状況をマクロ的視点で捉える 事 等の理由から、内面のみで葛藤・反抗しているだけで 客観的には現状に甘んじたままの弱者には現状が いじめの状況に写ってしまうのは当然でしょう。 たとえ現在 マクロ的には平和な時代といえども、 マクロ的「平和」の範疇の中で、様々なミクロ的「戦い」が 繰り広げていて、たとえ表面上は「うまくいっている =個々の集団と調和している」人々でも、裏&心の中では 様々な葛藤・戦いがあるかもしれない。 (→その意味では、内面のみでは「いじめ」と戦っている。 他人の心の中までは本人しかわからないわけだし。) 要は、客観的には「強者」でも、内面的には 過去の教育的&精神的呪縛から逃れられず、 「客観的弱者」を攻撃する事によって(更には客観的いじめに 便乗することで)一抹の優越感を感じている「えせ強者」も 少なからずいるわけで、その種の人に何も劣等感を感じる こともないと思いますよ。 「被害者意識(いじめられている意識)」を感じやすい というのは先天的&後天的、過去的要素に起因している ので、常日頃からその事を深く認識し、まずは自己の内面と 向き合う&過去と戦う勇気をもたないと、内面すらも劣等感 に満ち溢れ、ひいては現在・未来の人相・態度にも無意識に 表象され、新たないじめのターゲットとされやすいのでしょう。 一種の宗教や堅固な哲学、何でも利用していいですから、 心の鍛え「被害者意識(いじめられている意識)」を軽減 する努力を重ねないといつまでたっても内面すらも現状のまま です。内面を改善していくのが、客観的現状を変える第一歩 だと思いますよ。 如何せん、如何に表面的(マクロ的)には「平等」「平和」に近い 社会とはいえ、その内実は(ミクロ的には)「不平等」「不平和 =常に戦いの世」という事を深く深く認識することです。 「この世は天国」という誤った理想感が強い人ほど、 現実とのギャップを強く感じやすく厭世観にとらわれ易いです。 「この世は地獄」ということを前提に考え、如何に工夫・ 努力すれば少しでも客観的・内面的に少しでも幸せになれるか、 そこから思考を展開してください。 余談ですが、「謝罪する事」もケースによって 一つの大いなる勇気である視点を常に忘れないことです。 そして、我々人間はダーウィン進化論の過渡期的動物 (未発達な人間)であってキリスト教的「超博愛的」完全な 人間になれるのは遠い未来でもありえないという事を 冷静に捉えなければなりません。 最後に、当方の好きな言葉を下記へ。 「自分の悲しみの責任者を告発することは、 孤独な人間をより孤独にすることでしかない。 人生は、なにかに敵対して生きるべきものではなく、 なにかのために生きるべきものなのだ」 (マルタン・グレイ著「愛する者の名において」)
- tkanenet
- ベストアンサー率38% (21/55)
もし少しでも悔しい気持ちを持っているんでしたら、 やっぱり仕返ししてやる作戦を持つことです。 仕返しといってももちろん犯罪を勧めているのではなく、 機転の利いた対応を指しています。 そのぐらい引っ込み思案だと、攻めの一句にとっさに言い返すだけでは負けます。 むしろ相手をわざと怒らせ、怒って理性を失った相手を 自分の術中に嵌めて三手先行くぐらいのしたたかさがないと勝てませんよ。 自己分析ができているあなたの賢さがあれば、淡々と相手を説き伏せる ことなどたわいもないと思います。たとえばアルバイトもいろいろあると思いますが、接客をするような職種ならば、まさにそういう練習になるかもしれませんね。
- madmax4
- ベストアンサー率6% (111/1826)
直ぐ謝る奴や おとなしい奴はつけこまれるからねー よく言うでしょいじめ受ける方も悪いと そんな感じですかね 人は信用しなくて良いのです 適度の距離があって当然