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坂田三吉さんについて

坂田三吉さんが南禅寺の戦いをおこなうことになった、 経緯など詳しい内容を教えて下さい。

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  • ADATARA
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回答No.1

こんにちは! 昭和12年、将棋界は「将棋大成会」(日本将棋連盟の前身)と大阪にあって16年間の孤塁を守る坂田三吉となっていた。将棋大成会は木村義雄と花田長太郎がトップレベルにあり、一方、坂田三吉の強さは伝説のように人々の心にしみこんでいた。読売新聞社はこの二人と坂田を対戦させようとした。将棋大成会は負ければ、毎日新聞社主催の実力名人戦の権威が失墜するとして猛反対したが、木村は、もし負けたら名人位は返上する、として対局を強く訴えて「空前の大勝負、勝負道に生きる者なら、誰だって腕がむずむずしまさあね」と述べて実現した。 同年2月5日、京都南禅寺で33歳の木村と68歳の坂田は戦いを開始したが、2日目、95手で坂田は投了した。 裏話として、坂田戦の話を木村に持ち込んだのは、兄弟子の金易二郎で、木村はこの企画の成否に兄弟子の読売新聞嘱託の問題がかかっていることを知って、あえて冒険をおかしたというのが定説です。 当時は、娯楽が少なかったので、新聞社の売り上げは囲碁・将棋欄の企画によることも多く、名人戦主催の毎日新聞に読売新聞が切り込んだので真相のようです。

b-nobel
質問者

お礼

ありがとうございました。 大変よくわかりました。 端歩を突いた棋譜がわかるものがあればうれしいです。

その他の回答 (2)

  • ADATARA
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回答No.3

shogi-pineapple.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=cls&tn=0019 「阪田三吉@将棋パイナップル」これにも出ています。 なお、前回回答の訂正です。 誤 △32飛 正 △22飛 棋譜を何回も並べなおしてみましたが、以前、並べたときは、△94歩が不急の1手のムダ手にみえて、木村氏がそのムダ手をとがめようと中央から殺到したと感じていたのですが、現代将棋の感覚から、この△94歩をとがめるのはむつかしいと思います。普通の振り飛車にするとか、さらに△95歩と突き越して持久戦に入れば端の位が生きます。

  • ADATARA
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回答No.2

▲木村△坂田 ▲76歩△94歩▲56歩△34歩▲55歩△44歩▲48銀△32銀▲57銀△43銀▲26歩△35歩▲25歩△33角▲68玉△32飛▲58銀△34銀となり、後手は向飛車から反撃をし、先手は中央から迫った。95手の先手の完勝。坂田は年齢的にも勝てないと悟って、△94歩として、負けたときの口実を作ったものと推測させる。なお、棋譜は、もう著作権のようなものがないので、ネットで入手できます。

b-nobel
質問者

お礼

ありがとうございます。 どこで入手できるか、教えて頂けると助かります。

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