• ベストアンサー

40代、ガンプラの思い出。

初代ガンダムブームで青春を駆け抜けた人ももう40代です。 その40代の方々で初代ガンダムのプラモデルを作った思い出を聞かせてください。 初めて作ったのは何でそれにした理由は?、何体くらい作りました?、出来た物はどのくらい飾ってました?人気の物はどうやって手に入れたの?などです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

30代ですが、初めてのガンプラはファーストの全盛の時で、入荷当日、長打の列に並んだ記憶があります。 朝早くから並び、自分の番になり買おうとしたらなぜか5円足りない。 (小学生低学年のため、お金は必死にためた小銭の集合) 半べそかきながら列から外れ、家に取りに戻ろうとしたらポケットから出てきました。 再び並んでレジまで着いた時にはガンダム、シャアザクは売り切れで、残っていたのはガンキャノンとガンタンク・・・ 失意の中超妥協でガンキャノンを買って帰り、寸胴のガンキャノンを作り上げた記憶があります・・・・ とりあえず飾っていたけど、雑な扱いでした。 何体作ったかは忘れましたが、小学生の頃はもらったお年玉1万円がすべてガンプラに消えた記憶もあります。 今は、嫁に誕生日に買ってもらった”組み立てれば全長1mのデンドロビウム”が箱のまま倉に眠っています。 仕事に暇を見つけ組み立てたいと思いながら数年経ってしまいました。 組み立てたら、居間に飾ろうと思っています。

その他の回答 (2)

  • ko4771
  • ベストアンサー率32% (172/536)
回答No.3

確か・・・1/144スケールだったと思います。 最初頃のガンプラは、関節部分が複雑な作業の割には効果のないものだった記憶があります。 また、ガンダムの顔を塗装するのが非常に難しかったのも思い出ですね。 当時は、メーカーが、ア○イだかイ○イだかで、プラスチックの質が非常に悪かった様な気がしますし、「売れ残りのプラモを再度溶かしてガンダムにした。」とか「古いプラモの亡霊が出る。」なんて悪いウワサもあったように思います。 個人的には、ザクやドムなどが「らしさ」があって好きでした。 また、「ムサイ」が実は、原案時は「上下が逆さまだった」が飾るときに「置けない」という理由で却下されたという裏情報もプラモから入手したものでしたね。 なつかしぃ。

  • kogechibi
  • ベストアンサー率52% (1899/3587)
回答No.2

初めて作ったのは1/144ガンダム。初版。 ビームサーベルが2本でガンダムシールドの覗き穴が貫通していない、菱形の接着剤が同梱され、塗装説明書がミスターカラー色指定だった頃のもの。 このキットが出る直前にフルスクラッチでガンダムを作っていたので、どんなキットなんだろう、フルスクラッチして損したな、と思ったのですが、期待は大きく裏切られました。 そのプロポーションと色指定がでたらめで、このガンダムを模型化した人たちはガンダムを知らないんだな、と思いました。 同時期発売のダイデンジンの方が出来がいいじゃないか。と思いました。野村トーイのバルディオスよりはプロポーションはよかったみたいです。 地元の模型大会に、改造した、と偽ってフルスクラッチのガンダムを出して優勝した、という卑怯な過去を持っています。コアファイター変形ギミックがあって、各部関節可動部分がキットより多く、キットよりスマートだったからでしょう。ホワイトメタル鋳造加工したパーツも使いました。 ザクも出来が悪くて泣きました。1/100ガンダムもほとんど作り直しでした。 当時のガンプラをストレートに組んだことはありませんでした。全部素材として扱いました。スクラッチ、複製、ホワイトメタル鋳造は当たり前でした。まだガンプラ模型誌がない時代の話です。 私は模型店の主人と仲がよく、ガンプラの作例を頼まれたのでキット購入には苦労はそんなにありませんでした。当時は筆塗りでどこまで綺麗にできるか、というレベルで、ピースコンなしでもスプレー塗装と間違えられるくらいの作品を沢山作りました。 リアルタイプザク、というモデルが発売した頃に、ガンプラは作らなくなってきて、(キットにインスタントレタリングを貼る風潮が出てきて、そればかりを重視して、ちゃんと作らない人が増えたので嫌になった。)Zガンダムシリーズは百式しかつくりませんでした。この頃はウルトラマンや仮面ライダーのガレージキットを作ることが主になってきたからです。何体かワンフェスで販売したことがあります。 初代ガンプラは、まだ200個ほど未組み立てが押し入れに眠っています。多分不燃ゴミでしょう。

関連するQ&A