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ドバイの悲劇?

初歩的質問ですみません。友人と話していて話題の内容について いけず恥ずかしい思いをしました。是非ご教示ください。 (質問) 競争馬の話題で「ドバイの悲劇」というのがあったそうですが、この ドバイの悲劇」とは具体的にどのような内容なのでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

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  • Rikos
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回答No.3

1997年4月3日、ホクトベガという牝馬が世界最高水準の国際交流レース『ドバイワールドカップ』に出場しました。 ホクトベガにとっては、そのレースが引退レースとなり、ダートの女王として繁殖生活に入る予定でした。 最終コーナーでバランスを崩し転倒、左前脚の腕骨の複雑骨折で、ドバイの地で安楽死の処置が取られました。 http://kuri.sakura.ne.jp/~ann/animal-hokutobega.html

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http://kuri.sakura.ne.jp/~ann/animal-hokutobega.html
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  • mimorita
  • ベストアンサー率44% (151/343)
回答No.4

私もホクトべガへの思い入れがかなり強くて… 本当に泣けました。 間違っていたらごめんなさい。 海外のレースで故障、もしくは海外で故障したという 日本馬(外国産馬を含む)はいることはいるのですが、 故障で予後不良、安楽死になったのは、まだホクトべガ しかいなかったですよね。 それがよりにもよってホクトべガ。 これは結構ニュースになったんです。 というのも、4歳時(今の3歳)、まだ、エリザベス女王杯が 牝馬3冠の最後の一冠に数えられていた頃、 当時、2強対決と言われつづけたべガと、ユキノビジン。 このどちらかではない重賞一勝馬の伏兵のホクトべガが べガの3冠を阻止したんですね。それは下にもある通り。 その後、斤量の増加で勝つ事ができなくなったホクトべガは 地方競馬に顔を出すようになります。 幸運で勝ったような馬だから、これ以上は中央では通用しない。 そんな印象で見られていたんですよ。 それで地方送りにされた…。なんて目で見られる中で 中央には当時少なかった地方独特のダート競馬。 これを走り続けて、気がついてみると、地方交流レース10連勝 帝王賞、フェブラリーS(当時はG(2))、川崎記念は2連覇。 大変な勝ちっぷりで、「砂の女王」と賞賛されるほどになったんですよ。 これが、「使えない…」なんて虐げられるような特にOLの多くに 共感者が続出して、競馬ファンでもないのに、 ホクトべガファンという人が急増していったんです。 なので、ホクトべガの訃報は一般のニュースでも放送されました。 今年でまだ7回目と歴史の浅いドバイワールドカップ。 私の友達も凱旋門賞は知らないけど、これなら知っているよ。 なんていうほど印象付けたんですよね。

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  • neo-neo
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回答No.2

ホクトベガのことですね。 エリザベス女王杯(当時3歳牝馬限定G1)でベガと言う3冠のかかった本命の馬がいたのですが伏兵のホクトベガが勝ちました。 実況の「ベガはベガでもホクトベガ~!」と言うフレーズは有名な話です。 それは少し余談ですが、このホクトベガ、エリザベスを勝ってからそれなりの活躍の中、次第に結果が出せなくなり引退がささやかれるようになりました。 でも、この頃から少しずつ盛んになってきた地方交流戦という地方と中央のレースの道を選ぶ事になります。 陣営も中央のG1馬が地方のダートで…と相当悩んだらしいです。 しかし、そんな事とは関係なくホクトベガは地方交流を無敗の10連勝!(…ぐらいだったと思う。)を成し遂げて、引退のどころかダート戦線の顔とも言うべき存在になりました。 このホクトベガ、実は身体が強くないのか、輸送が苦手で1回の輸送でマイナス30kgとかかなりの輸送減りをしてしまう馬でそれも陣営を心配させるところでした。 さらに余談ですが…。 この馬は産まれてから競走馬としての評判も悪くかなり後の方まで売れ残っていた馬だと聞きます。 それを馬主さんに拾われる形でなんとか競走馬になれたのですがそれからの稽古でもいい所が無く馬主もため息が出てしまうような馬だったそうです。 それでも、牝馬ながら立派に国内ダートの頂上に上り詰めた訳で、そんな背景からも地方ファン中央ファン問わず幅広い人気を集めていました。 最終目標は世界最高のダートレースで世界最高の総賞金レース、「ドバイワールドカップ」に出場ということになり、それで引退…繁殖入り…の筋書きでした。 彼女のダートの強さから「ドバイでも…」とかなりの期待がありました。 そして有終の美を飾って引退…のはずがドバイワールドカップの第4コーナー…悪夢が訪れました…。 1997年、日本の夢。「砂の女王」はドバイでこの世を去る事になりました…。 以前ドキュメントを見たのですがホクトベガ担当の厩務員は未だに立ち直れないそうです。 (今現在は分かりませんが…ホクトベガに注いだ愛情は計り知れないのでしょうね…。彼女はそんな馬でした。) 彼女の産駒を見る事が出来ないのは、残念以外の何者でもありません…。

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回答No.1

ダート戦の強さが常識はずれのホクトべガという女王馬が、 ロスタイムに入ってからその「ドバイの悲劇」と呼ばれる事故?が 起こって、最後には安楽死で亡くなったそうです。 http://village.infoweb.ne.jp/~keiba/hokuto.htm http://www5.ocn.ne.jp/~finfins/HORSE.htm http://member.nifty.ne.jp/yukimari/bris118.htm http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Gemini/8244/Keiba/meiba.1.html

参考URL:
http://www4.justnet.ne.jp/~tomonori-yamashita/data/keiba/meiba/hokuto.htm
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