人生の意味や価値について、誰しも青春時代に考えることがあると思います。実際にこの世は矛盾に満ちていると思います。でも、当然ながら、人生経験も職業経験も結婚や子育ての経験も無い若者に答えが出せるはずがありません。
普通は、その問いにたいする答えを出すのをあきらめて、問題意識を忘れ去って、人生のレールに乗っかって社会に出て行きます。でも、真面目に考える人、勇気がちょっと足りない人は、その一歩が出せないものです。あるいは一歩踏み出したけれど、「あまりに理不尽な社会・人間関係」ってことで、挫折して、脱線後の復旧ができない人も多いかもしれませんね。
人里から離れ、山に篭って修行する坊さん・尼さんが昔いましたが(今もいるか?)、彼らも「ニート」って言ってもいい気がします。人生について深く見つめるって行為が昔は、「山に篭る」ってできたと思うのですが、現代では、なかなか難しく、自分の部屋に篭るってことになっているのかもしれません。(吾妻ひでお先生みたいに、実行しちゃう人もいますが)
なんのために仕事するか?なんのために結婚するか?なんのために子育てするか?で、最後は、「なんのために生きるか?」
これらの答えが出ないなら、どんなに叱咤激励されても、「それにどんな意味があるの?」ってことで、職を探さないようになる気がします。
答えは、宗教に求めることになると思います。ただ、現代日本では、学校で宗教的なことを教えることは禁止されています。さしあたり、自分で宗教的書籍などを購入して勉強するしか無いかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 確かに、将来を考えてないという感じがします。 今が良ければいい、という考え方も分かりますが、不安になったり、その不安を解決するために経験や貯金を積もうという考えには至らないのでしょうかね。