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老人の生活
70歳代に入り、体力の低下(一番の症状は消化機能の低下、睡眠状態も悪い)で生きて行く為の最低の仕事しか出来ません。主婦なので 最低の食事の支度、洗濯、最低の掃除だけです。でも時間だけ一杯ありますが何もやりたくないのです。体もついて行かないのに、何かやりたいような、やれば、どうにもならない程、疲れます。残された人生に焦りを感じるのでしょうか?何処か近くにでも出ようと思っても夕食の支度の事を考えると疲れないよう昼間何もしないで居ます。 同じような年の方、どのように日々、お過ごしですか?レジャーに沢山使える程のお金も無いし、体力も無い、後の人生、どのように過ごせば良いのか悩み?迷い?の毎日です。どなたかご意見を!
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早速、図書館へ足を運ばれたとのお話をお伺いし、 うれしく思っております。 投げたボールが投げ返されてきた気分はひとしおです。 こちらこそ質問文もしっかり読まずにお応えしましたにも拘わらず、 ご丁寧にお返事下さり有難うございました。 私も生活のために働くことがお役御免となれば、 絵を描くことと、洋画のDVDをいっぱい観たいと思っております。 oska924さんのように度々海外へ行くような豪遊は無理ですが。 自分に何も課さずに、やってみたいことだけをするでしょう。 けれど、思うようにならないものかもしれませんね。 その時はこのコーナーで質問しますのでよろしく!
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- dec02
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あっ、失礼しました !! 同じような歳の方と言う限定だったのですね。 #1ですが、早まってお応えしてしまいました。 でも、人生100年だそうです。 70歳なんてまだまだお若いですよ。 特にご病気もされず、ネットなどなさっているのですから、 お元気なものです。 涼しい時間帯を選んで、少しずつでもお散歩されるのもいいかもしれませんね。 図書館・公園などの文化ゾーンが近くにあるといいのですが。 車には気をつけて下さい。
お礼
有難うございました。「死」と言うものを、今は受け入れられると思っている・・・という事はまだ「死」を現実のものと、感じて居ないって事かな?と思いました。投稿して下さったお陰様です。 でも、60歳代はまだ元気でした。急に衰えを感じたのは62歳、旅行の後でした。でも65歳から嫁に連れて行って貰って、そこそこ含めて合計13回海外へも行きましたが、今は体力が付いて行きません。 幸い、市の交通機関が無料のパスを貰っているので、図書館通い、位は出来ますが、足を延ばして、無料バスで日帰り温泉でもと思うだけで、行動に移らない自分をどうしようかと、悩むというか、情けないというか、何もやろうとしない自分が情けなく思って居た処です。
Q、残りの人生、どのように過ごせば良いのか? A、ただ、淡々とです。そして、残された能力を使い切ることに腐心するだけです。 妻61歳、私58歳。 ちょうど、質問者の一回り下です。 ここ3年という僅かな期間に愛犬を4匹看取りました。 思いますに、犬の一生とは、実に短くて儚いものです。 が、愛犬達は、何も言わずに老いを受け入れて去っていきました。 が、愛犬達は、何も言わずに病いを受け入れて去っていきました。 足腰が立たなくなったらなったで、その生活を淡々として受け入れます。 目が見えなくなっても、それはそれで、それなりの生活を受け入れます。 旅立つ数日前になると、一切の飲食を拒否して、その時を待ちます。 泣き叫ぶことはしません。 ただ、じっとして、実に、潔く、その時を待ちます。 もちろん、犬は、ただ淡々と死を待っている訳ではありません。 後足が不自由になれば、動ける範囲での生活をエンジョイしています。 目耳が不自由になれば、嗅覚を総動員して必死に生きようとしています。 残された能力をフルに発揮する努力を最後の最後まで続けます。 そうして、ある瞬間が来たら、その時を待ちます。 「いっぱい、いっぱい、生きることの意味を教えてくれてありがとう」 そんな思いで、私は、旅立つ愛犬達を見送ってきました。 そんな思いで、私は、これからも愛犬達を見送る所存です。
- dec02
- ベストアンサー率36% (578/1602)
毎日、何ページかの読書を。 五木寛之「林住期」 は、是非お読みください。
お礼
ご回答、有難うございます。さっそく図書館で探しましたが、生憎でもう少し待ってみます。五木寛之の別の本を借りてきました。
お礼
ご意見有難うございます。今の反省点はズーッとボラティアを67歳まで、続けていて、今の様に体力が落ちた時に出来る趣味を持って居なかった事です。旅行とかハイキング等は、足腰、心臓などなど弱った時に何もでき無い事です。刺繍とか手芸も凄く疲れます。何もしない事が良いのですが、何もしない事は辛いです。ギリギリまでボランテァ等で慌しく動いていたのが仇?とも言えるのでしょうか、でも今回、五木寛之氏の本を読んで、ボランテァをさせて貰って同悲、同苦が滅多に出来なかった事、ともすれば上から見てた事が多かったと反省しています。でも一人の方に何年か、掛かって同悲同苦に近い所まで近付いた時は何物にも変えがたい嬉しさでした。(独りよがりでも)ちなみに海外はご縁に恵まれたのと、65歳から年金が出て(幸い)自分のお金のように生活費以外に使えたからで、それも格安を上手く使って、ツァー等を利用したわけではありません。