- ベストアンサー
お葬式の弔辞について
最近は必ずといっていいほど、お葬式に弔辞がありますが、ごく普通の人のお葬式にまで、友人やら孫やらと、麗々しい弔辞が悲しみをそぐようで、不純な感じがして、私は好きではありませんが、みなさんはいかがでしょう。 本来葬儀というものは悲しみに沈んで、言葉も少なく、声も低く、静かなもののはずでした。 少なくとも、葬儀社が取り仕切るようになる前はそういう厳粛なものでした。 外国映画をみても、ほとんど音さえありません。 今の葬儀は一首のセレモニーと化し、遺族の自己満足の場というか、死人に口なしをいいことに、自作自演の陶酔の世界にひたっているのかとさえ言いたくなる人もいます。 悲しみに沈むまもなく、お通夜もそっちのけで弔辞の文章に首っ引き、という現象も、いかがなものかと思います。 私は素直ではないのでしょうか。 みなさんのご意見で、目からうろことなれますことを願いつつ。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
お礼
早速のお返事ありがとうございました。 私の言いたかったことをわかっていただけて、嬉しく思いました。 マスコミの影響か、戦後教育の弊か、日本人は時も場もわきまえずすっかりおしゃべりになったと思っているのですが、喪主の挨拶も、最近はともするととても饒舌に感じられることがあります。、 「人はこの世に修行に来ている。修行が終わった時に死んであの世へ還る」この 考え方、勉強になりました。 感謝します。 「チベット死者の書」もありがとうございます。 インドの死に対する考え方が、そういうものですよね。