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大相撲「 名勝負 」「 想い出の一番 」
いつもお世話になっております。 皆様が今までに大相撲をテレビで、もしくは実際に現場で見た中で、 印象に残っている取組や、想い出の一番などが、ございましたら、 どうぞ御紹介よろしくお願いいたします。
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古くて、何年の何場所かも覚えていません。すいません。 若三杉(後の二代目 若の花)対鷲羽山。若三杉が、新大関の場所の初日。 土俵際まで追い込まれた若三杉が、播磨投げで鷲羽山を投げた取り組み。 千代の富士対寺尾 最後に千代の富士が、寺尾を土俵に投げ捨てた。 PS はっきり覚えていませんが、晩年の三重の海が、急に強くなって北の湖に 勝った一番や、高見山が、のど輪で、輪島を倒していたのが思い出です。 黒姫山、荒勢の両関脇も好きでした。増位山の内掛けも好きでした。 若獅子のけたぐりも。 失礼しました。
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- XOP
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何年の何月場所だったのかは覚えていませんが・・・ 霧島対水戸泉(これも記憶が曖昧)の取り直し3回 テレビで見ていて、ただただ唖然とするばかりでした。
お礼
深夜にもかかわらず、ご紹介、誠にありがとうございます。 これは私もTVで見てました・・“初日”だったという事と、結局は水戸泉が勝ったという事は覚えています。 ただいま検索いたしましたところ、昭和63(1988)年5月場所の初日の取組ですね。若・貴・曙らが初めて番付に載った場所ですね。
補足
この場を借りまして、御回答されました皆様方には、あらためまして感謝いたします。 どなた様にポイントを入れようか、ひじょうに悩んだのですが・・ポイントの付かなかった方々には、誠に申し訳ございません・・今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 (2002・7・24 PM8:55)
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
この手のものは、ひとつのきっかけで、次々に記憶(けっこういいかげんなのが悲しい)がよみがえります。 私が好きだったのは、かつて3度の大関昇進を果たした、日大柔道部出身の魁傑。(大乃国の師匠・放駒親方) これも花辻じゃない、花籠部屋所属。(もう、ネタ受けしないな、さすがに) 時代的に、北の湖や輪島とバットしたのが不運だったかもしれない。(輪島と当たらずすんだのは幸運だったのかもしれないけど) 対戦相手を覚えていないのですが、柔道の「内また」のような豪快な投げが決まって、相手は1回転(とうぜん、相手はオリンピックの審判も見逃すような「内またすかし」を知っているはずがないから、きれいに決まった)。 「決まり手」は「うちがけ」だったけど、「内また」と「内掛け」では倒し方が全く違うんだが・・・・。 ○HKの中継アナは「豪快な、まるで一本背負いでしたね。」と感心していましたが、「内また」と「一本背負い」は、これまたちがうよ。 たしかその数年後、北の富士が、新しいことにチャレンジしたかったのか、出てくる相手の腕をつかんで「1本背負い」みたいな体勢に入ろうとして、そのまま前向きに倒されたことがありました。 北の富士といえば、中国遠征(巡業)から帰ったあと、○HKのY川S夫アナに、「北の富士、って中国語ではどう読まれていたんですか?」ときかれ、「ペプゥシ」と答えたところ、Y川さん、「あの、コマーシャルはまずいんですが」 わざわざいわなきゃ誰もコーラだと思ってないよ。 ついでに。千代の富士の連勝を止めたのは大乃国だったのですが、千代の富士が負けたのがむちゃくちゃたいへんなような扱いされてたけど、大乃国だって横綱なんだから、横綱を倒してニュースになるようでは困る。
お礼
>私が好きだったのは、かつて3度の大関昇進を果たした、日大柔道部出身の魁傑 私が大相撲を見始めた時、魁傑は引退間際でしたかね・・後で彼が「元・大関」と聞いて(しかも優勝2回)超ビックリでしたね。 おそらく、いま相撲を見始めた人が、出島や貴ノ浪が「元・大関」だと知ったらビックリされるのではないのでしょうか・・・。 >千代の富士の連勝を止めたのは大乃国だったのですが・・・・・・ 結局これが「昭和最後の一番」になりましたね。 プロ野球も「昭和最後の公式戦」が、あの川崎球場で近鉄が優勝を逃したロッテ戦だったらしいですね・・どちらも歴史に残る一戦だったという事ですね。 何度もありがとうございます。
- nozomi500
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おお、またまた、すみません。 世代的には、琴風じゃなくて、琴なびじゃなくて、琴錦だった。 貴闘力も、まあ、なかなかじゃないですか? 義父さんは、あの「大鵬」だし。 相撲自体をいえば、北の湖の強さは、ハンパじゃなかった。 たぶん、タイムスリップして、大鵬や栃若や、双葉山が今の土俵に出現しても、武蔵丸に勝てないと思うけど、北の湖だけは通用すると思う。 輪島の「黄金の左」が、北の富士の右上手投げと投げの打ち合いで、たいていは輪島がのこるんだけど、たまに北の富士が勝つことがあった。 輪島(花加護じゃなかった花籠親方)も「財テク」失敗で年寄株を担保に借金したりしなければ、いま花籠部屋も栄えているだろうに。なんと言っても日大相撲部に強力なコネがあったからね。
お礼
>世代的には、琴風じゃなくて、琴なびじゃなくて、琴錦だった。 「琴なび」・・ウケまくりました(^^;) ちなみに私の琴錦で印象に残ってる相撲は、初優勝を決めた一番・・舞の海を“一撃”で仕留めた一番です。 >義父さんは、あの「大鵬」だし。 現役では貴闘力と琴の若ぐらいですが、昔は“養子縁組”は頻繁に行われてたみたいですね・・春日野(栃木山-栃錦)とか・・・。 >相撲自体をいえば、北の湖の強さは、ハンパじゃなかった。 ちょうど私が相撲を見始めた頃(昭和53~54年頃)が、北の湖が「憎まれるほど強い」と呼ばれた時期でしたからね。 のちの千代の富士も「憎まれるほど」強かったですが、「最強時代」の両者が当たったら、どっちが強いかも興味深々ですね・・昭和56年に千代が横綱に昇進した頃、北の湖は休場がちになりましたので、両者は“全盛期”にはバッティングしてないんですよね・・・。 >花加護じゃなかった花籠親方 「花加護」・・・これも“大ウケ”です(^_^) 何度もありがとうございます。
- nozomi500
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「なぎらけんいち」の年代だから「83年前」ってことはないですね。70年代だった。天下の○HKが「アルバイト」をつかっていたのでズームアップしたようなバカなことはないと思ったけど、事件そのものがフィクションだったか。 歌詞に「悲惨な戦いを見たことがない」とありますから、突っ込まれたら「だから、見たことがない、って言ってるだろ?」ですませられるかな? 琴風・寺尾ってのは、まあある意味ライバル(寺尾は大関にはなれなかったが。・・・いやいやまだ現役。土井たか子さんにしてはいけない)でしたから、「最後の一番」も納得できますが、 あの「北の湖」が「多賀竜」に負けて土俵を去ったのは残念だった。せめて千代の富士か、せいぜい若島津あたりで・・・。
お礼
何度もありがとうございます。 「多賀竜」でも“役不足”ではないですよ・・彼の印象に残ってる場所は、はっきり言って蔵前国技館最後の昭和59年9月場所の優勝くらいなのですが、それともう1つ、「北の湖の最後の相手」という“勲章”(?)を手に入れたのですから・・・。 多賀竜が優勝した場所の若嶋津戦は印象に残ってないでしょうか・・多賀竜が優勝への望み(“辻ちゃん”ではない)を繋ぎ、若嶋津の“綱とり”の夢を断ち切った一番でした。私もTV桟敷で「多賀竜に勝ち目はないだろう」と思ってたのですが、やはり相撲は取ってみないと分からないですね・・平幕下位で連勝を続ければ“勢い”もつくという事なんでしょうね・・こののちに平幕優勝した琴富士も、終盤で横綱・旭富士とぶつけられたと思いますが、確か勝ったと思いますね。 ちなみに千代の富士の最後の相手が「貴闘力」というのは・・・? それから曙が、横綱の「理想の引退」を“体現”した形だと思いますね。
補足
>琴風・寺尾ってのは、まあある意味ライバル 琴風と寺尾は、時代が違いますよ ・ ・ #8の方が御紹介くださった 「 琴風 ・ 最後の一番 」 は、寺尾が入幕したての頃で、“ 初顔あわせ ” だったハズです。いわば “ 入れ替わり ” みたいな感じでしょうか ・ ・ 当時の琴風のライバルは、朝潮( 現・高砂親方 )だったかな ・ ・ ・。
- joncaler
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あえて、負けた一番を。 現・尾車親方の琴風が負けて引退を決意した一番です。 土俵に手をついてしまってから、起き上がるまでの微妙な表情はなんともいえませんでした。 ※「悲惨な戦い」は、有名力士の名前だけを借りたフィクションですよ。この歌が作られたのは、モロ出しの一番(^^; よりずっと前の話です。
お礼
深夜にもかかわらず御紹介、誠にありがとうございます。 琴風最後の一番は、確か寺尾戦でしたね・・昭和60年九州場所の3日目だったと思いますね。
- nozomi500
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実際の相撲は見ていないのですが、 かつて「なぎらけんいち」(鍵壱)の歌で、「悲惨な戦い」というのがありました。 http://www.jcninc.co.jp/~masa-1/1025.html 実際にどうだったんだ・・・?
お礼
度々ありがとうございます。 ご紹介くださったURLに出ている力士名は“架空”ですね(と申しましても、雷電とか朝潮って実在する力士の名前を拝借していいものだろうか)・・その“モト”となっている取組というのは、この事でしょうか・・・。 http://www.sponichi.co.jp/others/kiji/2000/05/14/02.html
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
やっぱり、つっこまれるネタがあったほうが、私らしくていいでしょ? 「元・横綱北の富士」さんは、ほんとうはタレントしたかったんだけど、天下の横綱がタレント、というのは、当時世間的に認められなかった、という話。「竜虎」がタレントやってたのをうらやましがってました。(ホンネかどうかわからないけど、二枚目力士で人気もあったから、やりたかったのは事実でしょうね。) だから、千代の富士が引退した後、九重部屋を譲り「陣幕-九重」の交換もして、ほっとしたのかもしれない。ほんとはこの時点で協会を去りたかったのかもしれないが。 「北の富士」が千秋楽で「玉の島」(横綱昇進後「玉乃海」。このへんの「の」の扱いは突っ込みネタに残しておきます)と対戦。たしか、北の富士が勝って、2人とも横綱昇進しましたが、玉乃海さんは若くして病死。「北・玉時代」と期待されたものでしたが惜しい方をなくしました。 「北の富士」って、よく「のど輪」をくらってましたね。「琴桜」(大関時代は「無気力相撲」をいわれたもんだったが)に負けるときは、たいていのど輪で体勢を崩されていたような記憶。 「輪島-貴ノ花」も「大関同時昇進」でしたね。このときは、輪島のねばり勝ちだったはず。 行司ってのは、「物言い」にたいして、一番近くで見ていた「自分の主張」もできず、審判団が全てですからつらい商売です。たて行司は、短刀を持って「ミスしたら切腹」の覚悟(切腹しないまでも、進退伺いを出す)ですからね。 ソレに比べりゃ、VTRみながら、土俵下であぐらをかいている審判、貴ノ浪に先を越されるとは情けないぞ。
お礼
度々ありがとうございます。 >天下の横綱がタレント、というのは、当時世間的に認められなかった、という話。 最近は元大関・小錦(KONISHIKI氏)、元横綱・若乃花(花田勝氏)いった力士がタレント転向してますので、「時代が変わった」という事なのでしょうかね・・それにいたしましても、若・貴が角界に入門したのが昭和63年の2月(初土俵は3月)だったと思うのですが、まさにその昭和63年(1988年)2月に、あの「加護ちゃん」が生まれてるというのも・・・。 >「北の富士」が千秋楽で「玉の島」 >(横綱昇進後「玉乃海」。このへんの「の」の扱いは突っ込みネタに残しておきます) 私は彼はリアルタイムは知らないのですが、“双葉山の再来”といわれたらしいですね・・持病の盲腸炎(虫垂炎?)があったにもかかわらず、ダマしダマし土俵に上がりつづけてたとか・・・(ちなみに“突っ込みネタ”になってしまいますが、「の」と「乃」が逆ですね・・横綱昇進前の四股名を継いだ力士が現在います) >「琴桜」(大関時代は「無気力相撲」をいわれたもんだったが) それでも彼は、32歳くらいで横綱に昇進し(現役時代を知らないので、明確な数字は分かりませんが)、佐渡ヶ嶽部屋を継いで現在に至ってますので立派ですよね。 >「輪島-貴ノ花」も「大関同時昇進」でしたね。このときは、輪島のねばり勝ちだったはず。 輪島は力士時代も一応、知ってますが、プロレス転向後のほうが印象深いですね(「ゴールデン・アームボンバー」が懐かしい)・・そういえば現在の輪島氏も“タレント”になるのでしょうか・・・。 そういえば貴ノ浪と武蔵丸も“大関同時昇進”でしたね。 < ツッコまれる前に「訂正」。> #4のお礼で、「行司」を「行事」と書き間違えてしまってました・・・(;^^)
- konoji
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平成元年春場所 たしか・・・千秋楽かな?前の日かな? 優勝をかけ天敵ともいえる対大乃国戦 なかば強引とも言える連続の上手投げが見事にきまり。そして優勝 しかしなんと千代の富士はこの取り組み中に肩を脱臼していた。 片手で天皇賜盃を受けたシーンが脳裏に残ります。 いろいろ蔭で言われる横綱ですが、、やはりカッコよかったです.この方。
お礼
ご紹介、誠にありがとうございます。 ただいま調べました結果、この一番は「14日目」ですね。 そして1場所休んで、復帰した名古屋場所で、北勝海との史上初の“同部屋横綱決定戦”を制して優勝を飾っております。
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
べつの質問にも回答しましたが、 「鷲羽山-高見山」戦。当時、最軽量の鷲羽山(現・出羽の海親方)と最重量の高見山(現・東関親方)が対戦するだけで面白い(舞の海-小錦もおもしろかったが)けれど、 高見山が鷲羽山を完全につり出していたのだけれど、下におろす段階で鷲羽山の足が土俵に戻っていた。油断した高見山はまわりこまれて負け。つったまま外に出ても「死に体」で勝てたのだろうけど。 「貴ノ花-北の富士」戦。貴ノ花(現・二子山親方)に軍配に上がったけど、北の富士(現・陣幕親方)の「かばい手」として「行司差し違え」で北の富士の勝ち。(これも↓にあり) 貴ノ浪が曙にはじめて勝った取り組み。たしか、貴ノ浪は陸上のクラウチングスタートみたいに、しきりのとき、片足を後ろに引いていた。 貴ノ浪といえば、土俵下で待ち時間の時、前の取り組みで(貴闘力だったか?)、審判を差し置いて(率先して?)「物言い」をつけたことがありました。
お礼
「鷲羽山-高見山」戦は、リアルタイムは知りませんが、鷲羽山関が引退の時に「想い出の一番」として、「“宇宙遊泳”みたいだった」と仰ってましたね。同じくリアルタイムは知らないのですが、「貴ノ花-高見山」戦で、貴ノ花が土俵際で投げを打った際、高見山の体より貴ノ花のマゲが先に土俵に付いて負けにされた・・という一番も、あったそうですね。 「貴ノ花-北の富士」戦は、私が生まれた頃の相撲でしょうか・・この一番で、判定を受け入れなかった行事さんは、自ら“退職”したそうですね。 >貴ノ浪が曙にはじめて勝った取り組み。 この時の“仕切り”に驚かされた人は、まだまだ沢山いらっしゃると思いますね。 >北の富士(現・陣幕親方) は、数年前、相撲協会を退職(昔の言い方でいう“廃業”)し、現在は「北の富士勝昭」という名前で解説者をしておられます(またまたツッコミしてしまいまして、申し訳ございません・・)。
補足
すみません・・お礼を書くのを忘れていました(;^^) 深夜にもかかわらず、ご紹介、誠にありがとうございます。
- nal-ski
- ベストアンサー率23% (11/46)
あれは、まだ、私が小学生でしたね。 全然、相撲に興味が無かったのですが、連勝する千代の富士にTVで声援するようになり・・・ 千代の富士(14勝)VS北の湖(13勝1敗)で、北の湖が勝ち、次の優勝決定戦です。 北の湖の膝が地面に付いた瞬間、やった・・・!! 千代の富士の初優勝の時ですね。 これが、きっかけで相撲が面白くなりました。
お礼
深夜にもかかわらず、ご紹介、誠にありがとうございます。 このときは、私も小学生でしたね。 昭和56年1月場所の事でしたね・・当時・関脇だった千代の富士が、そのまま全勝優勝しそうな勢いだったのですが、千秋楽で北の湖が横綱の意地を見せましたね。優勝決定戦では、確か土俵中央で“出し投げ”が決まったと思いますね・・この初優勝で、場所後、大関に昇進いたしました。 また、#2の方へのお礼に記している様に、この場所の途中で大関・貴ノ花が引退しましたね。
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お礼
ご紹介、誠にありがとうございます。 >若三杉(後の二代目 若乃花)対鷲羽山。 これは、まだ私が相撲を見始める前ですね・・私が相撲を見始めた頃が、ちょうど彼が横綱・若乃花になった頃でしょうか(まだ私は幼なかったので、あまり記憶はないのですが)・・・ >千代の富士対寺尾 最後に千代の富士が、寺尾を土俵に投げ捨てた。 コレは私もTVで見てました・・あのシーンは私もショッキングでしたねえ・・・ >黒姫山、荒勢の両関脇も好きでした。 この両力士や、前述の鷲羽山、高見山、それから麒麟児や富士桜が、私が相撲を見始めた頃の“名脇役”でしたね・・・。