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戦争に殺人罪・傷害罪を適用するいい方法
本当に素朴な質問です。 どの国でも殺人は最も重い罪のひとつで、死刑や終身刑、懲役刑、禁固刑などの厳罰に処せられますが、こと戦争になるとまるで殺人は仕方がないこと、やむを得ないことのように扱われているのが現状です。 こんなに人々の知的レベルが上がり、情報が満ち溢れている現代なのにまだまだ野蛮な時代なんだなあ、と思ってしまいます。 ある大国は他の国にミサイルを打ち込んで、無実の人が死ぬと「誤爆」だなどと言っていますが、ミサイルを打ち込むこと自体が正しいことなのでしょうか? もし日本にビン・ラディンのようなテロリストがいたら日本にミサイルを打ち込まれても当然と考えますか? それはともかく、戦争を起こして他人を死に至らしめたり、怪我を負わせたりした国の指導者にも殺人罪や傷害罪などの罰を与えるような国際法を作った方がいいと思うのですが、いろいろと難しい問題があるので、私には「これだっ!」という方法が見つかりません。 たとえば、相手国が勝手に攻めてきて正当防衛的に戦争をせざるを得ない場合などを考えると、どのようにしたらいいのかと悩んでしまいます。 皆さんのお知恵を借りたいと思います。 あの、念のためですが、この場が不毛な議論の場にならないように、なるべく他の回答者への攻撃はしないで下さい。ブレインストーミングのように多様な率直なご意見・アイデアをお待ちしています。
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> 廃刀令のようなものが殺人のように取り返し > の付かない悲劇 的なものでない限り、そう > いう強制力による変化はむしろ望ま しいく > らいです。そういう「上位」というものがす > べての戦争を犯罪であるという思想のもと > に存在できるのであれば、それは望ましい > ことですし、おおいに強制力を発揮してもら > いたいと思うのです 結局、刀狩や廃刀令の時とは異なる、武力の裏付けによるものではない上位の強制力をいかに実現するか、という点に帰着してしまうわけですね もうひとつ空想的なアイディアを思いつきました(例によって致命的な問題点つきですが) 例えば、HIVの特効薬とか不老長寿の薬のようなものを発明した国が、その製造技術は秘匿し、薬剤だけを世界へ供給し、全世界が依存したところで、『武力を放棄しなければ薬の供給を止める』というのはどうでしょう? 武力の保持という生存本能に根差した欲求を、生存本能に根差したもうひとつの欲求とバーターするわけです ここで問題になるのは、そのような国策は、私権の制限(発明者は学会に発表することも特許を取ることもできないわけです)や情報統制といった、むしろ非民主的な国家の方が達成容易な政策を前提にするということです また、短期決戦にならざるを得ないという点も、考慮しなければならないでしょう たとえ情報を秘匿したとしても、実現可能であることが分かってしまい、実物と合わせて研究されれば、いずれは他国も製造できるようになるはずです うーん、やっぱ、これも駄目かなぁ
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- SCNK
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回答ではなく、質問の確認なのですが、trunkmanさんが質問しているのは、 1 罪を適用すること 2 罰を与えること 3 戦争をなくすこと のどれなのでしょう。 まあもともと考え方が違い、戦争は必要なこともあるというのが私の立場なので、話がかみ合わないところもあると思いますが、そもそも質問の趣旨が分かりません。 因みに1は簡単です。互いに相手の国の指導者や将兵を犯罪者として主張すれば達成できます。 3は核兵器とミサイルなどの輸送手段を拡散する。すなわち相互確証破壊を小国まで広げることで、戦争そのものが不可能になります。 問題は2です。罰を与えるためには司法権が施行できる環境、簡単に言えば逮捕ができなければならないわけです。したがって占領をしなくてはならない。そしてそのために戦争が必要になります。その戦争まで違法とするのでは、この設問は不可能ということになります。 もし特定の国が絶対に違法にならない特権が得られれば可能かもしれません。それが国連安保理の同意投票制度、すなわち拒否権です。安保理というのは当事国の一方を悪者とするのが機能です。拒否権を持つ常任理事国は、この中において絶対に悪者にはならないわけです。そうすれば安保理で悪者と決まった国の戦争指導者や将兵に罰を与えることは可能でしょう。これなら既に実現しています。
お礼
SCNKさん、再度ありがとうございます。 私が質問したいのは、戦争を無くすための、あるいは戦争をしにくくするための、地球レベルでの戦争実行者への制裁方法のアイデアです。 本当にSCNKさんと全く考えが違う点が「戦争は必要なこともある」という考え方です。 私はその考え方をなくすか、あるいは「人殺し」と同じレベルまで引き摺り下ろしたいのです。 つまり、私にとっては「戦争は必要なこともある」=「人殺しは必要なこともある」なのです。 「戦争」というものが、個人的な「人殺し」ではなく、崇高な目的を持ったレベルの高い行為であるという考え方そのものを打ち砕きたいのです。 公式な行為であっても個人的な行為であっても、そのことに巻き添えになって殺される本人にとっては同じことです。 「戦争は必要なこともある」とおっしゃっておられるSCNKさんもいつ戦争に巻き込まれて殺されてしまうかもしれません。 どこかの遠い国で行なわれている戦争で望まぬ死を迎えた人と私やSCNKさんの命の価値は同じです。いや自分が死ねば自分は悲しむことができませんが、私やSCNKさんの家族が戦争で殺されたら、それでも「戦争は必要なこともある」と言えるのでしょうか。 東京の空から焼夷弾がバラバラと落ちてきて逃げるところもなく、多くの赤ん坊や子供や老人が黒こげになって焼け死んでいったのはたった57年前のことです。 私はアフガニスタンで「誤爆」というものが起こるたびに、自分の頭の上にミサイルが突っ込んで来るのを想像します。 私にとっては現行の戦争を肯定した上で成り立っている法律などくそ食らえです 私は「公式的集団殺人」を「戦争」と言い換えること自体が卑怯なことだと思っています。
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
> 私が知りたいのは、ほんの少しの可能性で > もいいから、なにか光明は見出せないか わたしもそう思います 何かひとつでもうまい手立てが思いつかないかと思うのですが、どう考えても手詰まりになってしまいます 何かうまい方策を思いつきませんか? > 実現できないことの論理に納得して諦め > てしまうより、願っているだけの方が > ずっといいと思いますし、それを具体 > 化する小さな糸口をみつけたいからこ > そ、ここでこういう質問をだしているわ > けです 願っているだけでは見つからないと思います 福音を説くだけではパンは手に入らないのですから 駄目でもいいから、いろんな方策を提案してみてください 自分で駄目だと思った問題点に、他の人がうまい突破口を見つけられることだってあるかもしれません > 現に今では侍が腰に大小を挿してはいま > せん。 > その昔の侍たちはまさか将来自分たちの > 子孫から刀が奪わ れるなどと考えもしな > かったでしょう。 考えなかったかもしれませんし、考えたかもしれません 武士が日本刀に執着するようになったのは、刀狩によって帯刀が武士の特権になってから廃刀令までの高々300年に過ぎません 集団戦闘では、弓、槍、銃などの方が有効ですので、戦国時代は、刀は(あまり重要度の高くない)ワン・オブ・ゼムに過ぎませんでした それよりも、刀狩にせよ、廃刀令にせよ、より上位の強制力が強大になったために実現したものです これはあまり望ましい変化の方向とは言えないのではないでしょうか?
お礼
Singolloさん、本当に何度も回答いただきましてありがとうございます。 >何かうまい方策を思いつきませんか? 今のところ、私の貧困な頭からはここで質問やお礼に書いた以上のものは残念ながら思い付きません。 >願っているだけでは見つからないと思います >福音を説くだけではパンは手に入らないのですから だから、「願っても仕方がないんだから、やめよう」ということをSingolloさんが言おうとしているのではないことはわかります。が、本当に何度も言いますが、私の稚拙な頭ではせめて「願う」ことぐらいしかできないのです。 だからこそ、ここにこういう質問を立て、この問題に関心のある方のお知恵をお借りしたいわけなのです。 環境問題が未来の我々の子孫のことまで考えて議論されているのと同じように、どうやったら戦争という大義名分が伴う集団殺人を日常の殺人事件と同じレベルまで引きずりおろせるかという方策を得るためのヒントを得たいのです。 >考えなかったかもしれませんし、考えたかもしれません 少なくともそういう変化を彼らは望んではいなかったでしょう。 その気持ちは、現代のあらゆる国の軍隊およびその指導者たちも同じだと思います。 しかし、世代交代というのは人の気持ちに劇的な変化をもたらします。 私の先祖は二本差しの士族でした。絵に描いたような話ですが、明治になって刀を取られ、平民になって家族を養うために上京し、武家の商法で大損をして田舎に帰ったという事実があります。その子孫である私や私の親はそのことを笑い話として語りはしますが、「くやしい、世が世であれば…」などとは夢にも思いません。 >武士が日本刀に執着するようになったのは、刀狩によって帯刀が武士の特権になってから廃刀令までの高々300年に過ぎません もちろん、私が大小を腰に挿して、と言ったのはその象徴に過ぎません。しかし、それが象徴に過ぎなかったのは徳川幕府の鎖国政策で実質的に大きな戦闘が行われなかったからです。武士たちは象徴である刀のほかにその役割によって弓・槍・銃を持っていましたし、幕末の騒乱期にはそれらがれっきとした殺傷武器として使われました。 刀を差した侍が闊歩していた時代の人々はそれを当然のこととして受け入れ、現代の私たちは侍も刀も見かけないことを当然と思っています。この変化を未来にシフトして考えたらどうなのだろうと思うと、戦争や軍隊というものが過去の遺物であると思うのが当然という未来の姿があってもおかしくないと思うのです。 でもそれはなんとかして現状を変えようとする持続的な意思がなければできない変化だとも思っています。 小さなことかもしれませんが、私のこのナイーブな質問をご覧になった方に関心を持っていただくだけでも違うと思うのです。 >それよりも、刀狩にせよ、廃刀令にせよ、より上位の強制力が強大になったために実現したものです >これはあまり望ましい変化の方向とは言えないのではないでしょうか? 廃刀令のようなものが殺人のように取り返しの付かない悲劇的なものでない限り、そういう強制力による変化はむしろ望ましいくらいです。そういう「上位」というものがすべての戦争を犯罪であるという思想のもとに存在できるのであれば、それは望ましいことですし、おおいに強制力を発揮してもらいたいと思うのです。 Singolloさんがこの質問に多大な関心を持っていただいていることで、Singolloさんがやはり私と同じように、この世から戦争という卑怯で忌まわしい行為がなくなって欲しいという願いを持っていらっしゃることが伝わってきます。
- frogg
- ベストアンサー率28% (7/25)
戦争を未然に防ぐオペレーションシステムとしての、世界経済の仕組みを構築する、そのような、間接的な方法もあるかと思います。国際法で戦争要項を規定するだけでは、強制力の問題が出てきます。つまり、最後には、武力がものをいう。・・ご説のように、撞着してしまいます。 この問題の解決の糸口を、制度的にも時間的にも、若干広く観て、世界経済それ自身の仕組みを、戦争が生ずると、世界全体にとって、マイナスになり、多大の負荷が及ばざるを得ないような、そういう、生産的な仕組みを構築していくことにより、結果的にこの地球上から、無益で、非人間的な行動を消滅させていく、という道です。一種の功利主義ですが、問題は、これを実現させる為には、世界全体の人類みんなの意志として、まずは、善意に溢れる、健全な精神の存在が、基本的な必要条件になる、ということです。 その意味で、trunkmanさんの「素朴な」観点は、とても、大切だと思います。当たり前のことを、まずは、個人から、当たり前のように、堂々と、世界全体にむけて、発信していく、発言していく、これは、非常に大切なことです。 **戦争を起こして他人を死に至らしめたり、怪我を負わせたりした国の指導者にも殺人罪や傷害罪などの罰を与えるような国際法を作った方がいいと思うのですが、いろいろと難しい問題があるので、私には「これだっ!」という方法が見つかりません。 ** 将に、狙いはよく分かりますし、共感もしますが、指導者を個別的に罰する法律を、国際間で話し合って明文化するのは、非常に難しいと思います。 小さな既成事実を、積み重ねていく事が、ポイントだと、私は、考えます。 例えば、人権の国、アメリカ、ならば、アメリカのどこか(どこがいいか正確に選んだ上で、)裁判所に、原爆を落とした罪を認めさせるために、まず、今の大統領に広島に来てもらい、土下座させる、謝罪させる、という告訴などをするとか。 人権の観点から、29万人の非職業軍人、つまり子供、婦人、老人、等一般人を、無差別に一瞬にして殺す事、これは、アメリカ自体のかかげる理念と、著しく異なる、相反する、行為ですが、これを、アメリカ政府が明確に指示したのですから、当然、裁判は、勝つことでしょう、もし、そうでなく、敗訴ということになれば、アメリカという国は、世界全体に対して偽善と虚偽の国であることを宣言するようなものです、フランスのル・モンドや、または、他の自由主義国の世論を喚起し、人類全体の個人の意識を目覚めさせ、新しい力、動きを、すこしづつつくっていく。国家の標榜する理念と実態の矛盾撞着を、丁寧に、ひとつひとつ、突き崩していくという手法です。(実際、それを実行している人がいます。)そういう方法で、世界中の良識ある人々と、国境を越えて意志の疎通を図りつつ、一方、システムとしての、世界経済運営の仕組みを、編み上げていく、(2国間貿易協定などを、多様しながら)、そのような道です。 私は、国家間の戦争というものは、やがて、この地球上から、消えていくと、考えています。 例えば、アメリカの産軍共同体は、戦争と言う事態を常に必要とする、大変偏った要素ですが、こういった要素等を、知恵と勇気を以って、一つ一つ、確実に消滅させていきながら、正しく、公平に、世界全体を導くことは、私たち日本人の、とても大切な役割だと思います。
お礼
froggさん、回答ありがとうございます。 非常に建設的かつ明晰な分析に感服いたします。 私は人間には無意識的に善意の心と自分自身の生存欲とが存在していることを認めざるを得ません。 しかし、その二つが矛盾せずに成立する方法論や思想というものが必ず生まれてくると思います。 もし、私の目の前で大切な家族がなんの罪もなく殺されたら、私はその殺人者を殺すかもしれません。 戦争はこれの延長にあると言われます。 しかし、戦場で相対する敵兵は見ず知らずの他人です。その人に恨みはありません。もしかしたら、友達になっていたかもしれない人間です。 それは、ICBM発射のスィッチを押す人間と標的にされる都市に住んでいる人たちの関係も同じです。 「殺人」や「人殺し」というと反発を買うが、「報復攻撃」や「空爆」というと正義のためならいいだろう、と思ってしまう感覚。 「同時多発テロ」に対しては衝撃的で嘆き悲しんだが、あいつぐ「誤爆」に対しては「またか」と思ってしまう感覚。その違いはなんでしょう? 「南京大虐殺」(多かれ少なかれ事実だと思う)はいろいろ取り沙汰されるが、非戦闘員である一般市民の殺戮を目的とし、いっぺんにおびただしい数の犠牲者を出した「東京大空襲」や広島・長崎への「原爆投下」は死んだ人間や遺族から見れば大虐殺以外のなにものでもない。それを実行した国家が反省もしていなければ、平和祈念式典にも出席しない。正しい行為だったと言うのなら、なぜ出席できないのか?平和祈念式典の開催国もその国家の名前さえ明言しない。犠牲者となった国の政府は加害者の政府に忠実に尻尾を振っている「おりこうな犬」。 同じ日本人同士が殺し合いをして天下を取ろうとした四百数十年前。今に生きる我々はそれを野蛮だと感じます。 同じ人間同士が殺し合いをして自分の主張を通そうとしている現代。我々はこれを当然のことと感じるのでしょうか? 我々は歴史から学ぶことが多いはずです。単に知識の蓄積としてでなく。 不倫疑惑より戦争指揮の方が恥ずべき行為であるといった常識が生まれるのを私は望みます。 >小さな既成事実を、積み重ねていく事が、ポイントだと、私は、考えます。 大いなるヒントありがとうございます。
- SCNK
- ベストアンサー率18% (514/2762)
戦争において敵兵を戦時国際法に違反しない方法で殺傷することは合法行為ですよ。 国の命令において実施していることであり違法性を問うことそのものが誤りです。 本質的に国際社会において国家より上位にあるものはありません。但し、国家間の契約として国際法があります。その中において違法というものはあります。 戦争そのものの合法違法を問う分野をジュスアドベルムといいますが、この分野では不戦条約があります。これは戦争そのものを違法化しています。昭和4年に発効しましたので、これ以降は戦争と名乗って行われたのは第2次世界大戦のみです。それから国連憲章でしょう。国連憲章で合法とされる武力行使(戦争ではない。)は個別及び集団自衛権、旧敵国に対する武力行使、安保理及び地域的取り決めの行う武力制裁です。これらに合致していれさえすれば合法行為です。 戦闘行為のやり方の合法違法を問う分野をジュスインベローといいます。これはハーグ陸戦法規や1949年ジュネーブ第1~4条約でしょう。 個人を直接裁く国際法は国家主権を犯し、内政干渉となるものですから当然認めるわけには行きません。国際刑事裁判所について米国は反対を唱えていますが当然なことです。国の命令を受けて戦闘行為を行っている将兵に国が責任を負うのは当然であり、これがなされないならば軍紀が維持されません。
お礼
SCNKさん、回答ありがとうございます。 >戦争において敵兵を戦時国際法に違反しない方法で殺傷することは合法行為ですよ。 >国の命令において実施していることであり違法性を問うことそのものが誤りです。 すみません。そんなことは百も承知です。 でもそれに納得できないからこそ、変えたいからこそ、私のような疑問が生まれてくるのです。 その合法行為が未来永劫ずっと変わらないと言えるでしょうか? 数百年も前の法律のすべてが今もまったく変わっていないでしょうか? 私にとっては「不戦条約」というものも、戦争を肯定したうえでの便宜的な申し合わせに過ぎません。 >これ以降は戦争と名乗って行われたのは第2次世界大戦のみです。 その戦争でいったい何人の一般市民が殺されたのでしょう。 せっかくお答えいただいたのにこんな言い方はまったく失礼に当たるかもしれませんが、現在の法律では云々ではなくて、これから先何百年、何千年と人間の歴史は続くであろうと思いますので、そういった長い年月のスパンで、我々や我々の子孫たちが、戦争というものへの考え方をどのように変えられるのか、というのが私の問い掛けであります。
とっても難しい問題ですね。 もっともっと国際化が進んで、地球が一つになれば戦争が無くなる気もしますが、これだけ地球がデカイと、独立を叫ぶ地域が必ずでてきますね。 つまり、また戦争(内戦)がはじまりますね。 現代の国歌が戦争を繰り返してきた産物だとすれば、これからも戦争は無くならないと思います。・・・かなり悲観的(^_^;) いっそのこと、異性人が地球侵略でも企ててくれれば、地球は一つになるかもしれないですね。 でも、異性人にも人権問題があるとしたらと考えると・・・、やっぱり無理かな!? 回答になっていなくてスイマセン!!
お礼
bakasyoさん、回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり、とっても難しい問題です。 ただ、私が望む答えというかアイデアには一部の隙もあってはならない、とは思っていません。多少の失敗はあっても遠い将来に、国家の安全という大義名分のもとに武器を持ったり、他人を殺傷することが、昔の人間がやっていた野蛮なことだという認識が生まれれば、と思うのです。 現代の我々が、昔の一方的な裁判のやり方や、士族による「手打ち」などという習慣が野蛮であると感じるように。 殺人は犯罪であるとしている現在でも殺人事件は起きています。ですから、この世から完全に戦争をなくすのは無理かもしれません。でも「戦争を起こす為政者や指導者は犯罪者である。よって厳罰に処す。」という律が世界のコモンセンスになれば実態は変わってくると思うのです。
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
> 軍事力を誇るような国や戦争を正当化する国は時代 > 遅れで、程度が低いのだというコモンセンスが世界 > 的に広まれば 本当にそうなってくれればいいんですが… でも、そうなるためには必ず過渡期が生じます そのコモンセンスを共有する国と共有しない国が並存する時代です その時代、圧倒的に有利なのはそのコモンセンスを共有しない国です なにしろ両手を縛った相手と喧嘩をするようなものですから好き放題ができます それでも、強制力を放棄した側が強制力を保持している側を相手取って、そのコモンセンスを維持し拡大し続けることは可能でしょうか? いやそれ以前に『趣旨には賛同するが、わが国が参加するのは他のすべての国が参加し終えた後だ』という態度が趨勢を占めることになってしまう可能性の方が高いでしょう 現在でも、地球温暖化問題など、参加が遅れるほど有利になる条約というのにはなかなかメンバーが集まりません これが武力の放棄などという短期的にも国家の存亡に関る問題となればその傾向は一層強まるでしょう メンバーになったら何か特典をつければいいでしょうか? 非メンバーが、その特典をよこさなきゃ原爆ぶち込むと脅してきたら? また、万一うまくことが進んだとしても、最後に残った国がいわゆる『ならずもの国家』だったら? 世界には世論の動向を気にする民主国家ばかりがあるわけではないのです わたしの見解は悲観的に過ぎるかもしれません でも、実現可能なプロセスは残念ながら思いつけません これは自然現象の問題ではなく、人間社会の問題です ただそうなってほしいと願っているだけでは、決して実現はしないのです 神様がある日空から降りてきて、すべての武器を取り上げる、そんな未来を楽観的に信じることができれば幸せなのかもしれませんが…
お礼
Singolloさん、何度も回答ありがとうございます。 私が知りたいのは、ほんの少しの可能性でもいいから、なにか光明は見出せないか?ということです。 失礼な言い方だったら申し訳ありませんが、実現できないことの理由は私でもいくらでも思い付きます。 >ただそうなってほしいと願っているだけでは、決して実現はしないのです それはそうかも知れませんが、実現できないことの論理に納得して諦めてしまうより、願っているだけの方がずっといいと思いますし、それを具体化する小さな糸口をみつけたいからこそ、ここでこういう質問をだしているわけです。 >神様がある日空から降りてきて、すべての武器を取り上げる、そんな未来を楽観的に信じることができれば幸せなのかもしれませんが… 現に今では侍が腰に大小を挿してはいません。 その昔の侍たちはまさか将来自分たちの子孫から刀が奪われるなどと考えもしなかったでしょう。
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
> 服役に限らず、多額の罰金を科すとか…と > にかく戦争をすると損だぞ!というような > 国際法は作れないものでしょうか > > 戦争をすると命は奪わないけど、こんなに > 困るんだぞ!というような制裁方法はない > のか ご趣旨はよく分かりますが難しいと思います たとえ、服役が罰金に変わっても、強制力が無ければ効力が無いのは同じですし、現状ではその強制力としてもっとも有効なのが武力なのです その国際法に従わない国を従わせるために戦争を起こしたのでは何にもならないでしょう? ひとつの(空想的な)可能性としては少なくとも2つ以上の国がそれぞれいわゆる『最終兵器』を持ち、『どこか一ヶ国でもその国際法を破る国が出たら地球を吹っ飛ばす』と宣言した状況が考えられます(どんなに武力を持った国でも地球が無くなればおしまいですから、この強制力には逆らえない)が、これも恐怖の下の平和というあまりありがたくないビジョンを現出させるわけですし、その『最終兵器』が保有国の利益のためのカードとなってしまう懸念は残るでしょう
お礼
Singolloさん、再び回答ありがとうございます。 現状において、強制力としてもっとも有効なのが武力なのはわかるのですが、こんなに精密な機器を作れるようになった現代でも狙ったターゲットだけを正確に攻撃することができないのは、某国の空爆を見ても明らかです。結局一般市民が犠牲になります。無名の犠牲者ひとりの命と有名な大国の元首の命の価値は同じです。これは重大なことです。「遺憾に感じます」などと言ってお茶を濁す問題ではありません。 卑近な例で申し訳ありませんが、芸能人が不祥事を起こしたときでも、週刊誌などに叩かれて干されてしまうことってよくありますよね。 で、国の場合でも戦争などという野蛮なことを行なった国にレッドカードを与えることによって、その国の評判が落ち、経済的にも不利になり国民的にもプライドが傷付くということになれば、少しでも戦争の抑止力になるのでは…と考えるのですが。 要するに軍事力を誇るような国や戦争を正当化する国は時代遅れで、程度が低いのだというコモンセンスが世界的に広まれば、従来の戦争に対する考え方が変わってくると思うのですが。 100%可能性はないですかね。未来に向けてのビジョンとして。今後100年~200年くらいを考えてもどうですかね。ちょっとでも可能性があればと思うのですが、どうでしょうか?
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
残念ながら不可能でしょう 司法には強制力が必要です いくら判決を下しても被告が刑に服さないのでは絵に描いたモチです 例えば、今アメリカが全世界から非難されるとんでもないことをしたとしましょう その国際法とやらでアメリカ大統領に有罪判決が下り、大統領が服役を拒否したらどうなるでしょう? 経済制裁? アメリカが、経済制裁を解除しないと原爆落とすぞ、と言ってきたら? どこの国も『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び』ということになってしまうのではないでしょうか? また、戦争では沢山殺した方が勝ち、という現実もあります つまり、一般的に見て、戦勝国側の方がより多くの殺人を犯しているわけです 戦勝国が、戦後処理で敗戦国よりも厳しい処罰に甘んじるなどということが可能でしょうか? 現実には、東京裁判を見ても分かるように、常に敗戦国だけが一方的に裁かれるのです
お礼
Singolloさん、回答ありがとうございます。 東京裁判のようにある国が一方的に裁くというのでなく、国家を超越した裁判所のようなものを作って、服役に限らず、多額の罰金を科すとか…とにかく戦争をすると損だぞ!というような国際法は作れないものでしょうか? 私の根本的な疑問は、戦争をやめさせるために戦争をするという矛盾です。ですから、戦争をすると命は奪わないけど、こんなに困るんだぞ!というような制裁方法はないのか、ということなのです。 そうしないと、いつまでも強い国が威張っていて自分たちだけが正しいと思い込み、弱い国はいつでもビクビクしていなければならないし、自爆テロを行ってまでも大国に対して「目に物見せてやる」という行動に出てしまうことが永遠に続くような気がしてならないのです。
お礼
Singolloさん、本当にこの質問に関心を持っていただいてありがとうございます。 おっしゃるとり、アイデアを思い付くと同時にそれを否定するような要素も浮かび上がる。 でも、100%完璧なアイデアや政策などというものはありません。何事にも欠陥があります。だからと言って、何もしなければ、世の中は変わりません。 私などは本当に謙遜でもなんでもなく、Singolloさんのような知識や考察力がありません。ですからSingolloさんのような方が少しでも多くこのことに関心を持っていただければ、と願っているのです。