難しいですよね。厳密に定義するのは。No.3さんの回答は正しいんですけど、たとえばロックミュージックなどは、大音量、早弾きギターなどで聴衆魅了させるんですけど、19世紀にもそういう演奏家がいました。ニコロ・パガニーニという人で、ヴァイオリンの天才です。誰もが想像もつかない奏法を用い、聴衆を驚かせました。リストがパガニーニの演奏を聴いて「ピアノのパガニーニになろう」と決意したのは有名です。ヴァンヘイレンのような超絶ギターに酔い痺れるのも、パガニーニの超絶技巧に興奮するのも同じなんですね。
あと、バロック時代の音楽なんて批判を覚悟でいえば、大雑把に言ってBGMなんですね。貴族がダンスしたり、サロンのBGMとして使ったりしたわけで、現代のポピュラー音楽の聴き方と変わらないんですよね。バッハのゴールドベルグ変奏曲なんて貴族の睡眠時のBGMとして作られたんです。
バロック音楽は聴かれ方としては、現代のポピュラー音楽と同じなんですね。もちろん、バッハなどの芸術性の高い作品もありますけど。で、その時代、大衆の音楽はなかったのかというと、そんなことはありません。大衆音楽、歌謡はありました。研究されたりして、学問的に扱われることはあるでしょうが、クラシックというジャンルに入るかどうか微妙です。
ですから「聴衆」の問題というのもあるんですね。当時、音楽を日常的に聴けるのは貴族や富裕層でした。こういう人たちは当然学識もあり、教養も社交界で恥をかかない程度にあっただろうと思われます。ですから、芸術的な、比較的難しいテーマで作曲しなければ満足できない聴衆も存在したかもしれません。演奏会は頻繁に行われるわけではありませんし、料金も安くはなかっただろうと思われます。中身の濃い曲を切望していた聴衆がいたことは想像に難くありません。
私たちは今、CDやMD、年配方でもレコードやカセットテープで気軽に音楽を楽しみ、テレビやラジオからは音楽があふれ出てきます。当時はエジソンが蓄音機を発明するまで、そんなものは存在しませんでした。オルゴールやオーケストリオンという大変高価な装置が必要で、貴族はプライベートで楽しむために、そういうものを購入したのです。
音楽の大衆化が進んだのは、この蓄音機、電気蓄音機の普及からではなかろうかと思うのです。こういう手軽に楽しめる音楽は、より多くの人に売り込まなければならないため、音楽に芸術的価値を注ぎ込むことより、耳になじみやすく、取っ付きやすく、歌いやすくを目指したので、低俗化は必然だったのです。
そして現代では「クラシック」はジャンルとして確立し、固定ファンも多くいるので、商業的にも問題なく芸術作品制作できるわけです。また、作曲や演奏など、理論的にも最先端を模索しているのもやはりクラシックで、ポピュラー音楽の理論はクラシックの音楽理論を少し拡張したに過ぎません。ストラビンスキーの「春の祭典」の初演では「こんなもの音楽ではない」という聴衆で、ブーイングの嵐だったそうです。しかし今は現代音楽を代表する曲になっています。最先端の曲はなかなか聴衆には理解してもらえないのです。
ビートルズやエルヴィスプレスリーなど大きな影響を与えたポピュラー音楽は、後何十年かすれば、音大などで専門に講義されるでしょうし、研究されるでしょう。「クラシック」に編入される日が来るかも知れません。のだめカンタービレで使われ有名になったガーシュインの「ラプソデデー・イン・ブルー」は当初、これがクラシックといえるのかという議論があったそうです。しかし現在は立派なクラシック音楽ですよね。
お礼
丁寧にありがとうございました。難しい問題だけにいろいろな考えもあるのですね。とても勉強になりました!