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人を信頼するってどういうことでしょう

こちらでも質問させていただいています。 http://okwave.jp/qa3079327.html よろしければこちらにもご協力ください。 今、自分は大きな悩み事を抱えています。 しかし、それについて人に自分をさらけ出して悩みや迷いを打ち明けることができません。 打ち明けるべき人にも話すことができません。 全くの他人ならできても、本来自分を一番理解し、 また心配してくれている人であり、かつ、自分も愛し信じている人に、 ちゃんと本音で語ることができないのです。 自分の弱さや未熟さを隠そうとしてしまう部分があるのかもしれません。 しかし、中途半端な相談をもちかけたことで、 「どうして本当のことを言ってくれなかったのか」 「こんなに心配して、こちらはいろいろ対策を考えたりしていたのに・・・」と、 相手を傷付けてしまいます。これはもっともなことだと思います。 また、「もう勝手にしろ」と言われると、本当に見捨てられたのだと思ってしまいます。 まだ相手に自分を愛し気遣う気持ちがあると信じられず、絶望してしまい、 その後に自分で勝手な行動を起こし、相手にさらに嫌な思いをさせてしまうのです。 その人たちを信じているはずなのに、(結果として)信じきれない自分がいます。 私は彼らを信じていないのか、理解していないのか。 そしてどうすればいいのかわかりません。 専門家の方や、同じような悩みを抱える方など、どんな意見でも結構です。 何かヒントとなるお言葉を頂戴したいと思います。 よろしくお願いします。

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回答No.1

相手が傷つくかどうかはあなたが考えても判らないことです。 傷つけることがいけないというのは物理的なことだと思います。 精神的に傷つくというのは相手があなたに対して勝手な期待を していてそれに沿ったことをしなかっといって傷ついたと しているだけのことです。 もちろん相手に期待してはいけないとは言わないことです。 相手が期待するのも、自分が期待するのも自由なことです。 でもそれに必ず応えなければならない義務はどこにも無いのです。 また、自分がそれに応えたいというのも自由だと思います。 気をつけなければならないことは動機です。 相手に迎合したいためにするのであれば後々問題になるかもしれません。 自分がそれを楽しんでみたいと思うならば結果がどうあれ満足できる かもしれません 誰かを信じられるようになるには、まず自分を信じられるようになることです。 どんなことが起きてももそれに立ち向かえることができる自分です。 もちろんそんなことがすぐには出来るようにならないと思います。 まずは自分の頭の中で思い浮かぶことを無視するようにして 実際に目の前で起きることを楽しんでみることです。 頭の中で起きることよりは大した事が起きないものです。 もし起こったとしても、頭の中で考えていることよりは、 どうにか対処のできることです。 自分が想像していることよりも自分がどうにかできる能力を持っていることを信じることです。 今まで使わなかったから信じられないだけなのです。

sg_darren
質問者

お礼

hamakkotarou さん、昨日に引き続いての回答、ありがとうございます。 あのような訳のわからない質問に答えていただいたばかりか、 こちらでもこのような丁寧な回答を頂き、感謝します。 前の質問では「一般人」とされていますが、こうした問題への深い知識、 そしてまた、前の回答と同様、力強い、ある種の割り切りのようなものを感じます。 たとえば、 >相手が期待するのも、自分が期待するのも自由 >でもそれに必ず応えなければならない義務はどこにも無い >また、自分がそれに応えたいというのも自由 このように、 すべてのコアになるのは自分でしかないのだという、 自己と他者を強く線引きした、確定的に独立した存在と受け止めた上で、 そこからスタートした考え方に基づいている気がします。 (見当違い、的外れでしたらすいません) このような人を信頼する云々と言う質問に対し、 他人との絆や繋がりについて説くのではなく、 他社と自分を切り離して考えることの重要性(ある意味では合理性?)を 書かれていたことを、意外に感じるとともに、納得させられる部分もおおくあります。 もっとも、今回の質問では、相手が「期待」するのは当然であり、 私が応えるべき道義的な「義務」を負っていたケースなので、 あなたに話す話さないのは私の自由よ、と言える訳でもないのですが、 >誰かを信じられるようになるには、まず自分を信じられるようになることです これは確かにその通りだと思います。 昨日の質問からもお分かり頂けていると思いますが、自分を信じられない状態だからこそ、 余計に人も信じられなくなっているのかもしれません。 人を信用していいような自分ではない、人に心配されるほどの自分ではない、と。 でも、自分を信じられないときだからこそ、誰かの力を必要としているのに。 hamakkotarouさんは経験者とのことですが、 >頭の中で起きることよりは大した事が起きないものです。 これについて実体験に基づいていると言うことでしょうか。きっと慎重な方なのでしょうね・・・。 でも私は想像以上にひどいことが起きました。見通しが甘かったのでしょう。 物事を的確に見極められないので、リスクマネジメントが極端に下手なのです。

sg_darren
質問者

補足

hamakkotarou さん、ありがとうございました。 罪悪感でいっぱいいっぱいになっていた自分自身を、少し距離をとって見つめる契機を頂きました。 自分に自信はまだありません。 あるとすれば、それは少なくとも今後しばらくは死なないであろうと言うことだけです。 だからこそ、相手に償っていける。 だからこそ、今よりは幾分ましな人生に、これから変えてゆける。 そのくらいのことしか信じられませんが、それは必ず実現させようと思います。 駄目だ駄目だといっていては何も始まらないのだし、 できることから少しずつ始めたいと思います。 前回の質問とあわせて、お世話になりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

先日別の質問でお礼を頂いた者ですが、その中でこちらの質問にも言及されていましたので、せっかくですから書き込ませていただきます。 人間関係のすれ違いを起こした原因は、既にあなたの質問文のなかに書かれているように思うので、ご自覚もあるのではないかと思っています。 >ちゃんと本音で語ることができないのです。 >自分の弱さや未熟さを隠そうとしてしまう部分があるのかもしれません。 人の相談に乗ることは、真剣に考えれば考えるほどエネルギーを使うものです。それでも、あなたのことを思うからこそ、あなたが相談した人達は全てを話してもらった上でベストな形で相談に乗ってあげたかったのだと思います。 にも関わらず、あなたが自分の体裁を気にして部分的にしか情報を出さなかったために、彼らとしては馬鹿にされたような気分になったのではないでしょうか? 部分的な情報しかないのであくまで推測ですが、先日のあなたの質問からも、ほぼ匿名の掲示板にも関わらず、ご自分の情報をなるべく明かしたくないという意思を感じました。 相談した結果、噂として広められてしまうということもありますから、相談する人を選ぶのは当然です。しかし、一度相談できる人と信じたなら、なるべく自分の本音、現状をオープンにするとが一貫した行動だと思います。 信頼するということは、その人の前ではかっこつけるのをやめ、素の自分を見せるということを含むのだと思います。

sg_darren
質問者

お礼

coastplantさん、先日の質問に続き、ご丁寧な回答ありがとうございます。 ご指摘の通り、 >「自分の体裁を気にして」部分的にしか情報を出さなかった と受け取られてしまったようです。 噂として広められるかもと言う心配をしたわけではありません。 私としては相手をこれ以上傷付けたくない、迷惑をかけたくない、あきれられたくない、そして最終的に見捨てられたくない、そんな思いでした。 しかし確かに「あきれられたくない」というのは、現実の自分よりよく見せようと言う心理です。 「かっこつけ」たと言われても仕方ないのでしょう。 なぜ本気で親身になってくれる人に全て話す勇気がもてないのかわかりません。 ただ、そういうときにはとにかく「もう勝手にしろ」と見捨てられることを、ひどく恐怖しています。 たとえきつい言葉を発したとしても、想っていてくれていると、信じることができないのです。 しかし、この恐怖を乗り越えるべきときだと思っていますので、本音で語る努力をしてみます。 それまで、この質問は閉じないでおいて、ご報告したいと思います。 なお、 >ほぼ匿名の掲示板にも関わらず、ご自分の情報をなるべく明かしたくないという意思を感じ こちらには多少慣れの問題もあるのですが・・・。 OKWave では、これまでPCトラブルなどでのみお世話になっていたので しかしこの二つの質問をわかりにくくしているのはこのためだと思います。 ご自身の時間を割いて回答してくださる皆様のために、わかりやすい質問を書くのはエチケットの問題ですよね。 今後は気をつけたいと思います。

sg_darren
質問者

補足

coastplant さん、どうもありがとうございました。 ここ数週間ほど、死にたいような気分でしたが、今は何とかそんな思いからは解放されています。 事態は何一つ好転していませんが、今死んだら何も償えませんし、 それこそ周囲に迷惑をかけてしまうからです。 生きて、私を助けてくれた人に何か恩返しがしたいし、 今度は私が救えるかもしれない誰かを救いたいと思えるようになりました。 今はないかもしれないけど、将来、こんな私でも、誰かの力になれるときが来るかもしれないというのは、今私に見えている小さな希望です。 今回傷付けてしまった相手には、可能な限り素直に正直に自分の気持ちを話し、何度も謝罪しました。 まだ許してもらえたわけではありませんが、今後も誠意を尽くしたいと思います。 coastplantさんには自分の気持ちや弱さを具体的に捉え直すヒントとなる言葉をたくさん頂きました。 下のお礼のほうでは、まだどこか言い訳がましいことを書いてしまっていますね。ご不快に思われましたら申し訳ありません。 私の「相手を傷付けたくない」と言うのは所詮自分の保身であり、偽善であったのだと、痛感しております。 今のこのひどい状態を抜け出すには、まだまだ私自身反省や努力が必要であろうことは承知しておりますので、 またここにお世話になることもあるかもしれません。 そのときは、もっと率直にご意見を求める形にできればと思います。 ありがとうございました。

回答No.3

心の中の悩みを何もかも話せることが、信頼していることだとは思いません。 ことによっては、自分だけで悩んだほうがいい場合もあります。 ただ、あなたの選択によって影響を受ける人がいるならば、少なくともその相手には伝えなくてはなりません。信頼しているかどうかではなく、伝えることが必要だからです。 ところで本題。 あなたが大切に思っているものを、書き出してください。 その中で、最も大切なものを6つ選んでください。 そしてさらに、3つにしぼってください。 ・・・ そして、最後にあなたが一番大切だと思っているものを選んでください。 何が残りましたか? 友達?恋人?家族?お金?命? 大事な選択をする場合、あなたが一番大切だと思っているものを守れる選択をしましょう。もちろん捨てるものもあるのかもしれません。それによって傷ついたり悲しんだりする人もいるかもしれません。でも、一番大事なものは守れるわけです。 あなたが考えるべきはより良い選択です。それが解決すれば、派生している問題も徐々に解決してくるでしょう。

sg_darren
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >心の中の悩みを何もかも話せることが、信頼していることだとは思いません それはもちろんそう思います。それは信頼を通り越して依存ですものね。 しかし、ある意味で依存していなくもないのですが・・・ >あなたの選択によって影響を受ける人がいるならば、少なくともその相手には伝えなくてはなりません。 >信頼しているかどうかではなく、伝えることが必要だからです どちらかと言うとこちらのケースに当てはまります。 まだ選択したわけではないので、そのプロセスで感じたことなどを細かく話せないとか、 そういうレベルのところなのですが。 しかし、黙っているのは相手に対して失礼だったと、後から思いました。 信頼しているかどうかではないんですね。 確かに、礼儀であるとか、そういう問題であるとも感じられました。 昨日の質問にもお答え頂けて恐縮です。 大切なもの、私は6つもあげられませんでした。 「大切なもの」と聞いて浮かぶのはたった一つです。 それは、この質問に出てくる相手です。 信頼しきることができず傷付けてしまいましたが、 私にとって何よりも誰よりも大切な存在です。 その人に弱さをさらけ出せないことこそ、私の弱さでもあるのですが、 大切なのは本当なのです。 それをわかってもらえるかどうか不安です。 そして、そうした人を傷付けてしまう自分に嫌気がさすのです。 どちらの選択をすればその人を守れるか・・・微妙なところです。 選択A→より長期的に心配をかけるが、成功したときの喜びは大きい 選択B→同じく心配をかけるが、Aほどでなく、成功すれば安心させられる ちなみに、これは私の感情と全くシンクロしています。

sg_darren
質問者

補足

cocoro6_6v さん、どうもありがとうございました。 ここ数週間ほど、死にたいような気分でしたが、今は何とかそんな思いからは解放されています。 事態は何一つ好転していませんが、今死んだら何も償えませんし、 それこそ周囲に迷惑をかけてしまうからです。 生きて、私を助けてくれた人に何か恩返しがしたいし、 今度は私が救えるかもしれない誰かを救いたいと思えるようになりました。 今はないかもしれないけど、将来、こんな私でも、誰かの力になれるときが来るかもしれないというのは、今私に見えている小さな希望です。 今回傷付けてしまった相手には、可能な限り素直に正直に自分の気持ちを話し、何度も謝罪しました。 まだ許してもらえたわけではありませんが、今後も誠意を尽くしたいと思います。 cocoro6_6v さんには、煮詰まった状態を簡潔な言葉で整理していただけました。 確かに、自分の中に確かなものがなかったために、決断することができず、周りの人を傷付けていたのかもしれません。 自らに信念となるようなものがあれば、こんな今のような状態に成ってはいなかったのだと思います。 時間を戻すことはできませんが、失くしたものを少しずつでも取り返していけるように、精一杯頑張ろうと思います。 償いは、自分か相手が死ぬまでできるのだと信じて。 ありがとうございました。

noname#32278
noname#32278
回答No.2

あなたの場合、 「信じてひとつになる」 という気持ちが欠けているように感じます。 「信頼」っていうぐらいですから、 ある程度、人を頼ってもいいと思うんです。 でもその際、「信じて疑わない」という強い感情が必要になります。 相手に決断をゆだねるか、自分ひとりで解決するか、 せめてそれぐらいは、決断しなければなりません。 信じることは、怖いことです。 しかし、人を信じられなくなることは、もっと怖いです。 私も正直、「もう勝手にしろ」と言いたいです。 昨日の質問も拝見させていただきましたが、 まったくもって、ちんぷんかんぷんです。 でもあえて、回答してみました。

sg_darren
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「信じて疑わない」という強い感情が必要になります 確かに、人を「ちょっと信じてみる」「ちょっと頼る」と言うのは、 簡単ですし、甘えに基づく場合もありえるかもしれませんが、 人を「信じて疑わない」「何があっても信じ抜く」には強さが必要なんですね。 信じる勇気、そう言ってしまうと表現としては陳腐ですが、 この言葉の意味を初めてわかりかけた気がします。 なんだか、人を信頼しきって悩み事を相談しているのは、 無条件に信じ抜いているからなのだと言うイメージがありました。 自分にそんな無垢というか純粋な感情がないのは、 どこか欠落しているからと言う気がしていました。 >信じることは、怖いことです。 >しかし、人を信じられなくなることは、もっと怖いです 確かにその通りです。 >私も正直、「もう勝手にしろ」と言いたいです。 >昨日の質問も拝見させていただきましたが、 >まったくもって、ちんぷんかんぷんです。 ご不快にさせたのでしたら申し訳ありません・・・。 確かに昨日の質問はひどいものでした。 人に意見を仰ごうとしているときに、訳のわからない説明だけ並べて。 あんな質問に対してすら答えてくださる方々には本当に感謝しなくてはと思います。 (それともお礼や補足にも不適切なものがありましたか? 一応、自分で気付いた点は謝罪したのですが。 もしお気づきの点があればご指摘いただけると幸いです) また、そのように思いながらも、回答してくだすったudonge-1 さんにも感謝します。 すぱっと核心を突かれた思いです。確かに勇気がないだけです。 でもなかなかその勇気を出すことができないのです。

sg_darren
質問者

補足

noname#32278 さん、ありがとうござました。 ここ数週間ほど、死にたいような気分でしたが、今は何とかそんな思いからは解放されています。 事態は何一つ好転していませんが、今死んだら何も償えませんし、 それこそ周囲に迷惑をかけてしまうからです。 生きて、私を助けてくれた人に何か恩返しがしたいし、 今度は私が救えるかもしれない誰かを救いたいと思えるようになりました。 今はないかもしれないけど、将来、こんな私でも、誰かの力になれるときが来るかもしれないというのは、今私に見えている小さな希望です。 今回傷付けてしまった相手には、可能な限り素直に正直に自分の気持ちを話し、何度も謝罪しました。 まだ許してもらえたわけではありませんが、今後も誠意を尽くしたいと思います。 noname#32278 さんには、自分の甘えや臆病な気持ちに気付かされました。 相手に本音で語るのは本当に怖いものでしたが、それこそ本当に「見捨てられることに比べたら」と、自分を励ましながらの打ち明け話でした。 極端から極端に走る悪癖があるので、これで相手にべったり依存することがないように気をつけようとは思いますが、 壊れかけた絆をなんとか修復できるように勇気を持とうと思います。 ありがとうございました。