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「恋」のせいで死んでしまうことについて
よく、小説やドラマ、または現実の世界でも、「恋」が原因で死んでしまう人がいます。 失恋で自殺してしまったり、恋人の死で自分自身も病んでしまったり・・。 自殺だけではなく、「恋」が原因で死亡してしまうことについてどう思いますか?
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「恋」が原因で死亡してしまうことは、正確には、ありえないと思います。 例えば、失恋して、落ち込んで自殺。 これは「恋」が原因でしょうか? もしかしたら、些細なことで自殺するほど落ち込むというのは、その人が持って生まれた遺伝的資質かもしれません。 失恋はその人の自殺資質を刺激したかもしれませんが、正確には、本人の資質であって、「恋」はキッカケでしかありません。 「恋」のせいにしてるだけで、事実は、どんな理由でも、死を選んだり、死ぬ程気に病んでしまう人の側に、何らかの問題が隠れてるんじゃないかと思うんですが・・・
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- Roman0
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No.4 > 作家の安能務さんは、著書の中でこういうことを書いていました。 > (中略)それは、それほどまでの恋をしたことがないからそう思うのだ。 私もその本、読んだことあります。 そのときの感想としては、ロジカルにおかしいというものです。 国家(でなくて、趣味でも仕事でもいいんですが)と恋を比べていますが、所詮それは一人の個人の脳内での比較結果です。つまり、言えるのは、その人にとって恋の方が重かったということまで。 何が言いたいかというと、その人にとって国家(でなくて、趣味でも仕事でもいいんですが)の価値がむちゃくちゃ低い場合も、同じ結果が観測できるということです。国家の価値が低ければ、それをちょっと上回るのは簡単なことですから。なので、その皇帝は国家を「それほどまでに軽視」できる、不適材不適所の極端な人だったのかもしれないわけです。本来公のことを考えて重責を追うべき立場の人が、圧倒的に私的感情を優先させてしまうわけですから。 本人にとっても、周囲にとっても、そうとうな不幸です。 要は、本人の価値観における恋とその他の軽重についてはその人の行動を見れば分かるけれど、「恋」という特定の感情の強さの度合いを他の人と比べて強いかどうかということは、その人の行動を見てたって分からないということです。 一言で言えば、個人内比較と他者比較とがごちゃまぜ。 つまり、「それほどまでの恋」という評価などできないのにいきなりやらかしているから、ロジカルに変なんですね。 # 別に No.4 の方の回答をどうこう言っているわけではありません。 # 安能務の思考がロジカルでないと言っているのです。
お礼
ありがとうございます。
- Kai_Rasen
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私も死にたいと思った事はあるので、(死のうとしかけた事も) それほど辛くて死んでしまったんだな・・と思います。 私は、最後は自分自身を否定することはできなかったので、長い時間耐えました。かなりの時間尾を引いていましたが今となっては良い経験だとも思えます。その死んでしまった方は、ふとした気持ちの揺れや、心境のズレで、死を選択してしまったのか・・・と、苦しくなります。 恋人に逝かれたらつらくて自分も死んでしまうかも知れません。 他の方も言っておられますが、恋ではなく愛よりでしょうね。 恋で死ぬことはほとんど有り得ないと思います。愛ならありえますね。
お礼
ありがとうございます。
- yu-ki80
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26歳の女の子です。 私自身は恋が原因で死ねるかは結婚した今もわかりませんが、、せっかく恋をするのなら、ある程度の恋でなくそこまでふりきれちゃう恋をしてみたいもんだと思います。周りに迷惑さえかけなければ、ロマンがあっていいんじゃないですか?^^
お礼
ありがとうございます。
よく、「傾城の美女」とか「傾国の美女」という言葉がありますね。城を傾ける、国を傾けるほどの美女、といった意味ですね。 昔の中国で、実際に女におぼれて国を滅ぼした皇帝というのがいました。世間的にいえば、これほどのバカ皇帝はいないでしょう。が、作家の安能務さんは、著書の中でこういうことを書いていました。――普通の感覚なら、たかが女一人のために城や国を失うなんてばけげていると考えるだろう。だが、それは、それほどまでの恋をしたことがないからそう思うのだ。この恋のためなら、国一つが滅びようともかまわない。それほどまでのすさまじい恋を経験することのできたこの皇帝は、ひょっとしたらあらゆる人間の中でももっとも幸せな人生だったのではないか。 恋のために命を失うことなどばかげていると思う人間は、見方を変えれば「それほどまでの恋をしたことがない人間」かも知れませんね。だとしたら。そこまで思い込める恋をしたことがあるというのは、ある意味、幸せなのかもしれません。 恋とは違いますが、例えば何かの災害や事件に遭遇して、私の命と娘の命とどちらかしか助からない、というようなことがあれば、私はごく当たり前に自分の命と引き換えに娘の命を助けると思います。それは、そんな大げさなことではないんです。ごく自然な、当たり前の感情なんです。子供を持つ親なら、この感覚は説明するまでもなくわかるはずです。 なら、対象が自分の子供ではなく、同じように大切な存在のために命をなくしてもいい、という人間がいても、おかしくはないかもしれませんね。 いずれにしろ、自分の死ぬ権利ぐらいは私は確保しておきたいです。「これこれこういう死に方は禁ずる。これこれこういう死に方をしなさい」などと他人に指導されるるようになったらおしまいです。人から見ればどんなばかげた死に方であれ、自分がどう死ぬかぐらいは自分の好きにさせてほしいものです。
お礼
ありがとうございます。 たしかに羨ましいです。 国を傾けるくらいの恋ができたことは。 他人には迷惑ですけどね。 だからこそ小説になったりして語り継がれるのだと思います。 私はまだ学生なので子供はいませんが 大切な人のためには死ねると思います。 親は子供に先に死なれると悲しむと思いますが、 自分より若い弟や恋人のためなら命を差し出せると思いますね。
- googoomen
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恋で自殺する人は最低だと思う。 自殺とか自傷とか、恋をしてる自分に陶酔してるだけの自己満足行為だと思います。 たまに「恋人のために死にたい」みたいな事を言う人がいるけど、それって「自分がツライから自分のために死にたい」って事だと思う。 自分が死んでも、恋人は喜ばないし、肉親は悲しむし、他人にとっては迷惑なだけ。 恋で死ぬのは勝手ですが、とても迷惑で最低な行為だと思います。
お礼
ありがとうございます。 同感ですね。 とてもロマンチックな気もしますが・・。 ただ、それだけのめり込んだor繊細なのだと思います。
どういう方向性の回答が希望かが分からないですが、”恋”ではしなないんじゃないですかねー。 昔何かのマンガで、片思いの人に告白する途中で心臓発作でぱったり、とか、告白しに行く途中で、事故死とかは、マンガで見た気がしますが・・・、どちらかというと、間抜けや、運の悪い人になるかと。 では、原因で死ぬのは、”愛”なのでは? 愛憎劇という言葉はあるけど、恋憎劇とかはあまり聞かないですし。 ”愛”で死ぬのも、それぞれですよ。 回避できたこともあれば、無駄死にな事もあるし、ロマンティックな事もあるし。 私は、”恋”で死んでしまうことは、あんまないor間抜けな話し、と思うけど。 お礼・補足希望。ポイントはご自由に。
お礼
ありがとうございます。 >どういう方向性の回答が希望かが分からないですが いえ、とくに方向性はないので。 みなさんどう思ってるのかなって思って。 強いて言うなら この質問の背景に友人の死があります。 自殺か事故かは曖昧なまま葬儀が済まされましたが、 私は密かに恋に苦しんで死んでしまったと思っています。 とても繊細な男性でしたので。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
人は怒りで死ぬこともあるし、笑い死にすることもマレにありますし、憎悪で死ぬこともありますね。 別に恋愛感情だけが特別なわけではありませんから、別にどうとも。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。