歌舞伎の芸というのは、ダンスであり、歌であり、芝居であるわけです。そしてその伝統は少なくとも150年くらいは続いているまあ「日本古来の文化遺産」でもあるわけです。
質問でも書かれているように、歌舞伎俳優というのは世襲制です。逆に言うと、梨園に生まれてきたからには職業選択の自由はないということです。
歌舞伎界の看板役者というと市川団十郎です。江戸時代から続く伝統ある大看板であり、「市川団十郎じゃなければやってはいけない役」なんていうのもあるくらいです。逆に言えば、今の市川団十郎はその自分しかやっちゃいけない役を次世代に繋げるという重責も担っているのです。
その現市川団十郎の息子がご存知市川海老蔵です。市川家では代々団十郎は団十郎を名乗る前に海老蔵を名乗るという「しきたり」があり、海老蔵を名乗るからには、団十郎にならなければなりません。海老蔵は、生まれたときから「いずれ市川団十郎にならなければならない」という宿命を持って生まれてきました。「俺は歌舞伎役者じゃなくてナノテクノロジーの研究者になりたい」なんてのは絶対許されないのです。
また坂東三津五郎(八十助といったほうが分かりやすいかもしれません。近藤サトの元旦那です)は日本舞踊の坂東流家元という役目があります。日本舞踊の家元が踊りがヘタでは通用しません。本人が日本舞踊が好きか嫌いかは別にして家元にふさわしい踊りが踊れなければならないのです。
彼らは踊りも発声も演技もその実力は凡百の俳優さんたちより飛びぬけていると思います。ジャニーズのタレントさんたちもカッコイイですが、踊り(ダンス)の技術と演技力はお話になりません。やはり時代劇なんかは歌舞伎俳優が出てくると画面が引き締まりますよね。海老蔵は襲名披露のとき伝統に従い「にらみ」をしました。浮世絵で有名な両目を鼻先に持っていってにらむアレです。この海老蔵のにらみが素晴らしかった。既に父親の団十郎を実力で越えています。
梨園というのは非常に日本的な特殊で閉鎖的な世界です。それを現代の価値観で判断するのはちょっと違うんじゃないかなあと思いますよ。梨園じゃ今でも「遊びは芸の肥やし」ですからね。中村獅童のお母さんが獅童の浮気問題のときにマスコミに対して堂々と「毎日和食ばかりじゃ飽きる。たまには中華や洋食も食べたほうがいい」とおっしゃっていました。
現中村勘三郎(勘九郎のほうが有名ですね)はおそらく歌舞伎史に名を残す名優となるでしょうが、その遊びが破天荒なことは梨園で知らぬ人はいないといわれるほどです。実際、浮名を流した女優は宮沢りえを始めとびきりの一級品女優ばかりで、同じ女優キラーでも押尾学君とは格の違いを見せ付けます。その夫人は中村橋之助(三田寛子の旦那ですね)の姉で梨園の人です。そうじゃなきゃ到底勤まらないでしょう。
相撲もそうですが、梨園の後援者になるということはそれは非常にステイタスの高いものです。というか、相撲同様動く金額がデカいのでちょっとやそっとの金持ちじゃ梨園の後援者になんかなれやしません。その辺りの事情も歌舞伎役者のステイタスが高い理由だと思います。やっぱステイタスが高い人が金出すものは、それにふさわしいステイタスじゃないとね。金持ちが軽自動車に乗るのはふさわしくないのと同じように。
お礼
ご回答ありがとうございます。 歌舞伎に興味がない人から見れば、歌舞伎俳優さんの舞台での踊りや演技の実力は、正直判りかねると思います。 それはもしかしたら格式高くと位置づけるのに好都合ということもありましょうか?「解る人には解る」と。 私には、解らないので(もしかして教養がないのかも。)と少し焦りを感じさせられてしまいます。そんな圧力が。。 それは冗談ですが。 私の価値観で納得いくのは、中村獅童さんと竹内結子さんの件で、歌舞伎界のしきたりや慣習・伝統に縛られず、毅然と自分のプライド?を貫いた竹内さんには痛快さを感じました。(今の女性だなあ)と。 中村さんの元気なさやおばあ様の嘆きの様子も気の毒に思え、竹内さんに怖さも感じましたが。 竹内さんの行動は、歌舞伎役者さんと結婚した者としては、"ちょっと違う"でしょうか? 大変勉強になりました。 ステイタスとお金。私が想像も及ばない影響力もあるのでしょう。