- ベストアンサー
戦前には金持ちでなければ学者になれなかったのですか
第2次大戦前くらいの昔には、金持ちでなければ学者になれなかったと聞いたことがありますが、それは、大学で研究を始めてもしばらくは給料が無かったということなのでしょうか。 現代では、特に金持ちでなくても学者になれるのは、大学の研究と別にアルバイトをして十分な収入を得られるからなのでしょうか。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
単純に、「勉強=ぜいたく品」だったのでは。 生きるために働かなければならなかった人たちが今よりずっと多かったでしょうから、勉強なぞしている暇がなかったのでしょう。 10代前半で就労している子も多かったでしょうし、農家などでは、もっと小さい頃から一人前の働きを期待されていたと推察します。
その他の回答 (3)
- sionn123
- ベストアンサー率53% (1910/3592)
chievieさん こんばんは 現在も第2次大戦前くらいの昔も学者になる為には、大学を卒業する必要が最低条件です。今でこそ大学を卒業するお子さんが殆どの時代ですから、研究者になり易い時代です。それは池田内閣時代の所得倍増論計画の結果、多くの方がお子さんを大学に通わせられるだけの学費を出せる給料を得られる様になったからです。 第2次大戦前くらいの昔以前は、一部のお金持ち以外は生活するだけで精一杯でお子さんを尋常小学校以外の学校に通わせる事すら不可能な生活状態でした。それは、NHKの朝の連続TV小説「おしん」を見ればお解りになると思います。(「おしん」の場合は極端な田舎の話ですけど・・・) そう言う時代でも、一部の飛びぬけた頭の良い方は、今で言う所のお金持ちのお子さんの家庭教師や学者先生の秘書的な仕事等をして(当時の言い方では「書生」と言います。)給料の変わりに学費を出して頂く事をして大学に通っていました。そう言う生活をして学者になった人の1人が黄熱病の研究で有名な野口英世博士です。 現在特別なお金持ちでなくても学者になれるのは、生活を成り立たせる環境(アルバイトがし易い環境)等も有るでしょうけど、貧富の格差が無くなって世の中中流になり、お子さんを大学に通わせられる学費を出せるだけの給料を得られる様になったからだと思います。池田政権位の時代では、高校卒業する方が殆どだった事を考えると、日本も豊かな国になった訳ですね。
お礼
お答えしていただきありがとうございました。 現代は昔より貧富の格差が少なくなったということですか。 大変参考になりました。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
戦前は、例えば農家では働き手がなく子供のうちから働かされました。とりわけ長男などは「名前が書ければ十分。なまじ学問があると家を捨てる」などと言われていました。その結果、いまの小学校を出るかでないかの年齢で働かされました。 次男三男でもほぼ同様です。まあ、尋常高等小学校(今の中学レベル)まででおしまいでした。 他面、東大でも京大でも無試験で入学できました(戦前すべてそうだったわけではないですが)。そこまで働かず、むしろ学費を支出しながら勉強し続ける人が少なかったのです。 つまり、お金が有れば大学へ無試験に入れる反面、お金がなければ中学もいけなかった・・・ ということで、大学で無給だとかどうとか以前の問題ですね。 現在は、お金がないとは言っても、一生懸命働けば子供を大学へやれる程度のお金が稼ぎ出せる時代だということです。 昔と今は、子供が、今で言う中学生のころ決定的な違いが出ていますね。
お礼
お答えしていただきありがとうございました。 やはりお金持ちでなければ大学へ行けなかったというわけですか。 大変参考になりました。
- okoknonono
- ベストアンサー率54% (123/224)
学者になるためには現在も昔もその当時の最高峰の学問を究める必要があります。 戦前の大学へ進学するには旧制中学校へ進学するのが普通であって、この旧制中学校への進学率が2割以下程度であって大半は旧制中学校にすらいけませんでした。つまり戦前の中学校と現在の大学院への進学率が同じくらいになります。裕福な者のみが、旧制中学→旧制高校→帝国大学という進学ができ、大半は働くか、旧制中学校以外の中等教育を受けてました。 しかし、貧しいものでも師範学校→高等師範学校→文理科大学とコースを進むことにより、教職につくという前提で授業料は免除されながら勉強に励むことができたそうです。
お礼
お答えしていただきありがとうございました。 貧しい人たちは師範学校へ行ったのですか。 大変参考になりました。
お礼
お答えしていただきありがとうございました。 大変参考になりました。