ユダヤ人が戦う事を望みました。ナチス・ドイツの迫害から同胞を救う為です。
また、パレスチナにいるユダヤ人の指導者達は、ユダヤ人に正規の軍事訓練を受けさせ、実戦経験をつませたかったのです。
当時のパレスチナはイギリスの統治下にあり、まだイスラエルという国家が成立していた訳ではありませんでした。そして、独立時にはアラブ人との衝突が懸念されていました。その為、ユダヤ人により軍隊を作る必要があると認識しており、その中核となる為のユダヤ人部隊の創設と、実戦経験を積ませる戦争への参加を望んだのです。
実際、イスラエルの建国時、アラブ人との戦争になった時に、イスラエル軍の中核になったのは、ヨーロッパでの実戦経験を積んできたユダヤ人でした。
イギリス政府としては、チャーチルがユダヤ人部隊の創設と戦争への参加を認めました。
実は、イギリス政府では1917年にバルフォア宣言を行い、パレスチナにユダヤ人の国家の建設を約束していました。ですが、1939年には、政府白書でこの宣言を実質的に破棄し、政策を転換していました。その為、イギリスの軍部、外務省、殖民地省はユダヤ人部隊の創設やその戦争参加には反対していたのです。ユダヤ人部隊が後の禍根になるのではないか、自分達の敵となるのではないかと恐れたのです。
しかし、イギリス政府のトップであるチャーチルが、ヨーロッパでのユダヤ人への酷い迫害を知り非常に同情します。その為、ユダヤ人達からの部隊の創設と戦争参加を要望されると、軍部、外務省、殖民地省の反対を押し切って、これを認めたのです。
「私はユダヤ人達が、ヨーロッパで彼らの同胞を殺戮した者達を自らやっつけようという考えに賛成する」
そうチャーチルは述べています。
もし、チャーチルが反対していれば、ユダヤ人部隊の創設や戦争への参加はありえなかったでしょう。