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地域社会について
ここ数年、「地域社会」というキーワードが世間で多く見られます。 「地域中心主義」を支持する人に多い思想信条、又、不支持の人の思想信条にはどういうものがありますか。 支持、不支持のそれぞれに多いのはどんな人たちでどんな考え方でしょうか? 転勤族はアンチ「地域社会」なのでしょうか?
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- xxa31a
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#3です。 ご質問はもっともです。ただ、明確に回答するには非常に難しいところです。 >「村社会」的な共同体は「個々の意思や思想」を封じ込め、「建前の民主主義」を助長する弊害 あると思いますが、地方分権と村社会は同じではありません。 予め与えられた共同体(ゲマインシャフト)というのは、地域や家族を単位にすることもできますが、会社が単位であったり国家が単位であったりしても大枠はそう変わらないかと思います。つまり、長期雇用によって形成される会社共同体の斉一性、教育・マスメディアによって形成される国内世論の斉一性またはナショナリズムもこれと同じです。現状でも村社会的な共同体の影響を受けています。過少になると弊害は出ますが、過大になっても弊害が出ます。 もう1つ言うならば、地域主義(ローカリズム・リージョナリズム)というものは、国に対する地方だけではなく、グローバル化に対する国家主義を含み、さらにはEUだとかNAFTA・メルコスル・東アジアだとかいった超国家的単位までを含みます。村社会というのは小さいものに特有の現象だとは限りません。究極的に言うならば、マーシャル・マクルーハンは、将来には電子メディアの普及によって次第に地球全体への帰属意識が形成されていくのだと、地球村(グローバル・ビレッジ)という概念を提唱をしました。こういった所では賛成者(地域中心主義)と反対者(国家中心主義)は実は同じ次元なのではないかともみなしえます。これを分け隔てるものには、変化を好む層と伝統を好む層という違いも大きいでしょう。 しかし、近年の社会変化では村社会的な共同体性は小さくなる方向にあります。日本では戦後の高度成長で農村社会は急速に解体しましたし、長期雇用も次第に色あせてきています。こういった傾向は多くの途上国でも似通っています。従来的な意味での村社会はもう復活できないでしょう。他方では自発的な参加による市民社会が拡大する傾向があります。アメリカの政治学者ロバート・パットナムなどはこれを民主政治を効率化させるために重要なものだとしています。市民社会には、村社会的な共同体性の消失から来る虚無感を抑止するといった意味合いもあります。 >共同体を小さくすることで、個々の地域に異質という対立が発生し、「国」としての統一性が失われるのでは 鋭いところですね。国によっては大きい問題になっています。 地域性というものは、前近代には大きかったものが近代に減退しました。この大きさは国によって違いますし、近代化の遅かった途上国では現時点でも地域性の違いが大きいケースが多いです。近年は地域性を温存するべきだ、再興するべきだという運動が活性化しています。学術的には国や民族というこれまでの常識の「正当性」はよく分からなくなってきています。かといって、ニヒリズムや地域中心主義も行き過ぎると危ない現象にもなります。問題は難しいです。地方分権でも教育のカリキュラムなどは制約する場合は多かったかと思います。 さらには、グローバル化が不可避の潮流になってきた今、価値感の異なるものを排除しないようにしなければいけないという、一般的規範における課題が大きくなっています。現在ではアメリカだけではなく全てのヨーロッパの国家も多くの移民を受け入れています。あるいは、例えば半径3m以内にある電化製品・家具・建築材を見回して、これはどこから来たものかと考えてみると、全て国内のもので出来ているという物は少ないです。対して、中世には5km以内の場所で作られたものが財の90%だったのではないかと指摘した人がいたかと思います。地方経済から国家経済、国家経済から超国家地域経済・グローバル経済へと、経済環境が大きく変わってきています。 帰属意識は必ず存在しますが、問題はこれを「敵の存在」によって裏付けられる排外的なものにしないことです。日本人であるとか大阪人であるとか世界市民であるとかいった単一の帰属意識ではなく、人間であり日本人であり関西人であり大阪人であり女性であり仏教徒であり何々に所属するといった複数的なものを志向できないかというような議論もあります。ここらは難しいのでコミュニタリアンの論争を参照。
- xxa31a
- ベストアンサー率56% (23/41)
私も詳しくないのですが、他に回答出ないようでしたら参考までに。 ・大前研一の「地域国家論」 今後のグローバル経済においては、国民国家の領域よりも経済活動に最適な地域単位が重要になるというような趣旨です。グローバル経済で成功しているのは、比較的規模の小さい国と地方分権の進んだ国であるとして、地方主権の拡充を主張しています。 ・中道左派政党の方が相対的に地方分権・地方意識に賛同的ではあると思いますが、中道右派政党でも地方分権を進めることはあるため断定はできない気がします。イギリス労働党のブレア政権やフランス社会党のミッテラン政権は地方分権改革を推し進めましたが、アメリカ共和党のニクソン政権やレーガン政権なども地方分権を進めてはいます。 ・「地方自治は民主主義の学校」(ジェームズ・ブライス)といいます。「われら」(統治者)と「かれら」(非統治者)の距離感が近い環境で民主主義は体現されやすいです。 ・生活に密着する事項を決定するには国家単位は大きすぎ、グローバルで統一性が求められる事項を決定するには国家単位は小さすぎるという主張があります。国家が中心とか地方が中心とかいうのではなく、問題はどの機能をどう配置すれば効率がよくなるかです。 ・ヨーロッパ近代国民国家で働いてきた中央集権化の方向性とは変わって、21世紀のグローバル・情報化社会では遠心性の力が働くのではないかという予想があります。 ・ヨーロッパ近代国民国家による規格化の中で民族、方言、地方の慣習などは意識的または無意識的に減退されました。文化を復興しようという運動が広く存在します。 ・3000万人を超える東京都市圏のように、大きすぎる都市圏では経済的な弊害も生じるようです。「700万人以上のメガ都市圏では人口が増えすぎて『規模の経済』が働かなくなる」(OECDによる都市の1人辺りGDP分析・日経新聞2006年12月25日)のだと。もっとも東京・大阪はグローバル都市としての利点も出してはいましょうから、詳細のメリット及びデメリットがどうなのかということは私は知りません。
お礼
かいとうありがとうございます。 「村社会」的な共同体は「個々の意思や思想」を封じ込め、「建前の民主主義」を助長すると言う弊害はないのでしょうか? 意に反しても従わなければ地域では生活できない? また、共同体を小さくすることで、個々の地域に異質という対立が発生し、「国」としての統一性が失われるのでは?
- waterpen
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数年ぶりに、地下鉄沿線上にある場所に出かけました 駅内の地図、1つは北が左、1つは北が上 手持ちのハガキに載っている地図は北が右上で 照らし合わせると、線路の向きがずれている 目印の建物を探すが、高いビルが建って見つからない 金融系の看板ばかりで目印が見つからない 自分の常識で言うと、地図は北が上 そして見て解る目印を書く 地元内でも少し離れたらこれです 自分の常識の通じる、理解できる場所が 減ってきたのが地域中心の原因ではないでしょうか
お礼
かいとうありがとうございます。
- rikukoro2
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これを説明するとすごく長文になってしまうので簡潔に書きますと・・。 【地域中心主義】 ・支持する人に多い思想信条 日本の首都機能及び、政治、経済を地方に分散化する。そして地域格差にを解決する事が出来る為、主に過疎化、少子化が進んでいる地方で受け入れれれている考え方 ・不支持の人の思想信条 これらの機能を分散してしまうと、移動に要する金額、負担がましてしまう。移動に伴う金額負担など増加してしまう為、首都圏の人を中心に反対してる。 転勤族は・・・人それぞれでしょう。
お礼
かいとうありがとうございます。