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ああすればよかったのではという後悔、自責の念から解放される方法

過去に決めたことで、それから2年以上たっているのにいまだにあのときの決断は正しかったのだろうか、いや間違っていたのではという思いが消えません。それは後悔というより自責のようなものです。 あのときはああするのが一番いいと思った。もちろん迷いつつ。。です。 でも今となっては本当にそっちでよかったのかわからない。なぜならそれを選んだばかりに失うものがあったような気がするから、、です。 すごく抽象的ですみません。もし必要であれば詳しく書きます。(恋愛ではありません。) もうどれだけ今考えてももう一度違う方でやりなおせる、というような選択ではなく、時間が戻りでもしない限り無理です。 だからこれでよかったと思いたい、でも私は間違っていたのかもという思いが毎日頭の中をぐるぐる回っています。 この選択は自分自身のためにしたものではないだけに(子供関係です)その子にとって本当によかったのかどうか、いえ、よくなかったのかもというマイナスの思いしかありません。 こんな思いを一生抱えて生きるのかと思うととてもしんどくて。 時々あの決断した頃の写真を見ると涙が出ます。 こんな思いを抱いて暮らしている方、いらっしゃいますか? またこんな思いを経験した方、どうやってその後のりこえられましたか?

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回答No.13

私も自責の念に苦しめられる時がありました。 (1)私の場合、自責の念にとらわれるときはストレスを感じているとき、ちょっとした劣等感を感じたとき、 性欲にかられたとき、自分に自信がなくなったとき、他人に依存したくなったとき、などでした。 つまり逆説的に、自責の念にかられたときは精神が安定していないことを意味します。 それに気付いてから、自分を冷静に見られるようになりました。 (2)また自責の念は、気分の問題でもあります。 私は自責の念で苦しんでも、一時間もすれば他の事柄に気が移りました。 自責の念にさいなまれても「一過性のものだ」、「気分がまた落ち込んできたな、少し落ち着こう」と思うことで、 勝手に沸き起こる心の苦しみに、距離を置くことができるようになりました。 (3)あとは将来に希望を持つことで克服できました。自責の念に苦しむときは、まず将来のことが考えられません。 自分の将来に絶望し、これから何をやっても意味が無いのではないか、自分は誰からも必要とされないのではないかと感じました。 そんな時私は具体的な目標を立てました。自分が感じている劣等感をすべて克服するという目標です。 劣等感をある程度克服できたとき、自分に自信がつき、過去の自分の弱さを認め、許せるようになりました。 (4)あのときの自分はああいう選択肢をするしかなかったと認めることで、楽になりました。 仮に後悔しているあの瞬間に、今の自分が戻ったとして一体何ができるのか? 案外、数年たって成長した今の自分でも、うまくその状況に対処することはできないものです。 今は忘れていますが、その当時には人間関係や環境の様々なしがらみや憎しみ、割り切れない思い、 その他問題があり、今考える以上に当時は複雑な状況だったはずです。結局、あの時はああいう決断をする他なかったのだと気付きました。 今満たされない思いをしているのはなぜでしょうか?そこに解決のヒントがあると思います。

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その他の回答 (14)

回答No.4

質問者さんとは全く違うタイプの人間なんですが一言。 間違っていても、間違っていなかったとしても、選んだのはほかならぬ自分自身なんです。 自分の選択・行動に責任を持つという意味でも、その選択には誇りをもつべきですよ。 別の選択をしていたらどうなってたのかなんて、誰にも分かりません。 別の選択をしていたらもっと幸せになっていたか?それもわからないんです。 過去のことにこだわるよりも、過去に選んだ道からまた今現在のびている未来への道をどう進めていくのか、考えたほうが報われると思いますが。

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  • tappara
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.3

何かを選択するということは選択したもの以外を捨てるということです。誰でも行っています。そしてifは存在しません。 自分のことであれば自分で責任を負うことができるのですが対象が自分じゃないから悩むんでしょうね。 うちの親も僕に対してあの時こっちの道を進ませたけど本当は別の道を進ませたほうがよかったんじゃないかって僕に若干の負い目をおっていたようです。(飲んだ時に話してくれました。) でも、僕が今頑張っているから良かったのかなと思えていると言っていました。 僕からすれば僕は僕なりにその中で頑張ってるわけだから僕の人生にそんなに責任を感じなくてもいいと思う。僕の人生に責任を負うのは僕だけだと。親にはとても感謝しているし、負い目なんか追われたら逆に申し訳ない。むしろちゃんとその選択に自信を持ってくれというような話をしました。 ですから、子供さんが最終的に良かったと思っている姿を見ることができれば救われるんじゃないでしょうか。 で、親としてはそのためにできることをやっていくと。 ちなみに親の選択が子供を決定つけるなんて考えていたらそれは親のエゴだと思いますよ。子供は子供でちゃんとやることを考えます。 参考までに。

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noname#104909
noname#104909
回答No.2

過去を振り返って悔やむことは一度や二度、大なり小なり誰もがあるのではないでしょうか。 過去を引きずるということは、言い換えれば今が余裕があるともいえるのです、日々のことに追われていればそのように過去を振り返る余裕などないはずです、これでよかったどうかの判断は誰にもいえません、いろんな選択肢の中からひとつしか選ぶことしか出来ないのです、今が幸せであれば満足するしかないと思います、今は、専業主婦の方なのでしょうか、何か趣味を見つけ目標をもたれると良いと思います、回りには同じような方がたくさんいらっしゃると思いますよ。

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  • koala60
  • ベストアンサー率27% (292/1068)
回答No.1

私はそういう思いを抱いて暮らすことはありません。 「あのときああしりゃよかったな・・・」と思うことはありますが、「こうしたんだから、あの時・・・ではなくこれからどうするかだけだな!」と開き直ります。後悔しないために前だけをみて進むのです。 過去には戻れないし、今ここでこうして生きているのはそのときの決断があったからです。 そういう後悔をしないでいきていくには、今を精一杯生きるしかないのです。あのときこういう選択をした、もう戻れないならいま考えられる限り幸せになるよう努力するしかないのです。 子供のためにそういう選択をしたのなら、もしかして違う選択のほうがよかったかもしれない、でもこういう選択をしたんだから今このこのためにしてあげられるすべてのことこれからしてあげよう! それでいいのです。 人間万事塞翁が馬 今の後悔は将来の幸せの糧になるかもしれません これからを作るのは「今」のあなたです。「過去」のあなたではありませんよ

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