- 締切済み
仏壇の上に神棚を置く心理
こんにちは。 質問タイトルの様な例、結構ありますよね。 我が実家でも、上にこそ置きませんが、隣接するように置いてます。(妻の家に同居しており私はノータッチ) どういう神経で、こんな訳わからぬ状況、放置しておけるのでしょう。 「何もないと不安、とりあえず置いとけ」って感覚ですかね。 参考意見頂けると幸いです。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
みんなの回答
- rasukaru
- ベストアンサー率21% (59/269)
我が家は神道です。きちんと神棚を置いています。 台所の天井近くに簡易なものと応接間に本格的なもの。 でも、祖母が亡くなった時にわかったことなのですが 祖母はお寺関係の掛け軸やら(-∧-;) ナムナムとする 鐘や線香立てもありました。それが普通なのかと思って いたのですが、母は「これ、めちゃくちゃな神棚やなぁ」 と言って片付け、今はすっきりしています。 祖母は若くして祖父(喘息で)を亡くし、まさにすがる思いで 色々な宗教に救いを求めたのではないかと思います。 5人の子供を立派に育てて、かなり苦労したそうです。 夜は内職をして昼間は数箇所掛け持ちで働いて・・・・ 特に従兄弟が喉にマチ針が喉に刺さった時の手術のとき など本当に長時間神棚の前で祈っていました。 いろんな神様の同居している実家でも(片付ける前) 阪神淡路大震災の時、隣の家は全壊だったのに実家 は一部損壊で済みましたので、悪い事ではないと 思います。
- tabataba3
- ベストアンサー率47% (211/443)
神道にも仏教にもくわしくないのですが、わたしの印象としては、 神棚はその家を邪悪なものから守り清らかに保つために置いてある、つまり場所を清くするためにある。 仏壇は近しい死者を祀って供養するとともに、生きている家族を守ってもらうことを願うためにある、つまり家の中身=人の守りを願うためにある。 それゆえその目的がかぶらない。 さらに、 神道はもともと八百万の神で、仏が何人増えようと構わない。 仏教はもともと明確な神(つまり排他的な神)がなく、元来は哲学のようなもの。 だから互いに排斥しないのでしょう。
お礼
「だから互いに排斥しないのでしょう」それなりに納得出来ました。根底にやはり矛盾は感じながらも、かなり成熟?した文化と解釈してあんまり目くじら立てるの止めます。誠に有難う御座いました。
- chie65536
- ベストアンサー率41% (2512/6032)
>正直なんでやってんのかわからない。 鰯の頭も信心から やってる本人、金を出してる本人が、それで心の安らぎを覚えるなら、それはそれで良いのです。 本人がそれで良いのなら、他人が「お金、掛け過ぎ」などとトヤカク言ってはいけません。トヤカク言うと本人の心の安らぎを妨げます。
お礼
確かにその一面ありますね。だけど、少し話し飛んじゃいますが、あからさまなペテン占い師や薄気味悪い笑顔の霊能者に搾取される構造に似てなくもないとは思いませんか、ほんの少しでも。そう考えると、黙ってはおれないんです、余計なお世話でしょうが。お答え誠に有難う御座いました。
- j1asano
- ベストアンサー率28% (120/422)
#6です。 そんなに費用がかかるんですか。 ウチは無宗教を地で行っているので、仏壇も神棚も置いてません。 法事などの最低レベルの出費です。 まあ坊主丸儲けとも言いますし、関連する業者も高利益を得てるんでしょうね。 「ほどほどに」とご忠告申し上げますか。
お礼
いや、実は具体的には私自身計算してないので、あくまで憶測です。何かって言うと義父は寄付だの、何だの包んでおるものですから。(ちなみに寺は地方都市の隣の市、すなわち「田舎」です) 「ほどほどに」このニュアンスがいたずらに波風立てず生活する上では妥当なところでしょうかねえ。ご忠告、誠に有難う御座いました。
- rinring
- ベストアンサー率18% (822/4396)
No.1で答えたものです。 私の実家も仏間と台所に神棚がありました。 さすがに仏壇の上に神棚は置いてませんが。 亡くなった祖母が毎朝熱心に仏壇に手を合わせていたのをふと思い出しました。 仏様を信仰するというより、先祖代々とまではいかないまでも、幼くして亡くなった祖母の子供達や祖父や祖母の両親に手を合わせていると言った印象が私にはありました。 神棚は少し前からはやっている風水のような感じで祀っているのかなと私は思っています。
お礼
(No.7さんのお礼欄で強引にまとめてしまって恐縮ですが)手を合わせるって少なくとも子供の教育上大切だと私は考えてます、崇高な物への畏敬の念を持つ、情操教育?。ですから手は合わせますね。アイデンティティの観点からも重要ですしね、祖先敬う気持ち。これらは仏壇の話です。神棚にも礼はしますが形式的なもの、正直なんでやってんのかわからない。(義理の両親と同居してるのでやらぬ訳にはいかないんです)。度々のお答え、誠に有難う御座いました。
- fowlow
- ベストアンサー率23% (4/17)
No.3 の方がいうように神仏混交の名残でしょうね 元々日本にはよろずの神を祭る神道がありました。(モノには全て神様がやどるってやつです) それを聖徳太子らが仏教を日本に広めようとして神道と結びつけた為に、このような状態になったと言われています。 今でも神社と寺院が隣同士・ご近所というのはよくありますが、江戸時代までは同じ境内に二つとも立っていたというのはあたりまえでした。 明治に入って仏教と神道を分ける政策を取った為、両者の間に壁を作って分けるようになって今があります。神道を上に持ってくるというのは多分この時の影響ではないでしょうか?神道は天皇のご先祖でもある神様を祭るものなので、明治期以降に「国家神道」という政策を取り他の宗教よりも上にもちあげようとした経緯があります。 とはいえ現在ではほとんど無意識の部分だと思いますので、気になるなら変更するといったことで十分だと思います。
お礼
大変ご丁寧に、解りやすくご回答下さり、誠に有難う御座いました。そろそろご回答も頭うちかと思われますゆえ、この場を借りて一言マトメを書かせて頂きます。「仏壇やら神棚やら厄払いやらにどの位お金つぎこんできたか、計算すると絶対びっくりしますよ、お気をつけて!!」
- j1asano
- ベストアンサー率28% (120/422)
日本での宗教というのは「お付き合い」というか「習俗」的意味合いが強いでしょう。 元々、遡れば多神教の流れが下敷きになっていることもあり唯一の神のみを信じて祀り他を排することに馴染みが薄く、 年中行事や法事など日常の生活で一方を切り捨てることの出来ない関係が現に続いているのだと思います。 信仰という意味で言えば非常にアバウトですが、それだけ素朴で、原点に近いのではないでしょうか。 私の江意見をまとめると、 「それはそれで、良いんじゃないですか」ということです。
お礼
「それはそれで、良いんじゃないですか」私も普段そんなスタンスでいますね。ただ、No.5さんへのお礼にあるように、金の問題を考えると苛立ち抑えられなくなっちゃうんですねえ。誠に有難う御座いました。
具体的な作法は知りませんが、他人に迷惑がかからなければ人それぞれでいいのではないでしょうか。例えば日本人のうち多くの人は、神も仏も祭った上に、クリスマスも祝いますけど、必ずしも「訳の分からぬ状況」とは感じませんよね?
お礼
「訳の分からぬ状況」とは確かに日常的には感じてせんね。けどあくまで「必ずしも」をつけた上でです。ただ、わけわからんがゆえ、結構いろんな場面で不要な金を、わけわからんのをいいことに吸い取られている実態、問題かと思います。(あんまり突っ込むと寺や神社関係から怒られそう)。お答え、誠に有難う御座いました。
- ayawwwt
- ベストアンサー率0% (0/1)
仏壇と神棚の位置関係については、詳しくは知りませんが、仏壇は、一般的に北向きを避ければ、どこに置いてもいいいようですが、上には何も置かないように教えられています。神棚は、下記のように言われており、神仏融合の観点からすると、それぞれ上下に重なりあわなければ、どの位置関係でもいいのではと、考えられます。 神棚を祀る場所 ・その場所が最も清浄である事が一番大切で、明るく静かな部屋の高い 所が良いとされます。本棚や家具の上に置いてもかまいません。 ・神棚の上が、便所や廊下になる所はさけますが、マンションの場合 は、一戸が独立した家屋と見ます。上の階が気になるときは、神棚の 上の天井に「雲」「天」「空」などと墨書きして貼ります。 ・方角は神棚から見て南向きか、東向き、或いは東南向きが良いとされ てます。
お礼
常識的な大人なご意見、誠に有難う御座いました。「神仏融合」って良く解らないので、字づらだけでの解釈になりますが、形容矛盾してますよね。この辺、煮詰めて行くと出鱈目ばかり、ため息、って感じになるんだなあ。
神棚と仏壇を同時に祀る風習は神道と仏教の抗争の後の神仏混交の名残だと思います(こんこうの字が出てきません) 神道は日本古来の宗教 仏教は外国から伝来した宗教 で 神道の方が上位ということで仏壇より高い位置でないといけない 昔は神棚の上に天井などの構造物があるときはこの上は天ですよという意味で神棚の上の天井に「雲」と書いた紙を貼ったのです
お礼
「廢佛毀釋」とか関係あるんですか?。もっともらしいご意見(失礼な言い方かな^^;)有難う御座います。上下って何を基準で決めてんだろ?こういうとこ、ほんと出鱈目ですよね。
- 1
- 2
お礼
悪い事では、もちろん無いと思っています。 一般常識からはずれなければ、他人の意見は気にせずとも良い、って事でしょうか。 人それぞれですものね。 ご丁寧に、有難う御座いました。