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小学生時の孤独トラウマが抜けない
もう大分昔のことになります。小学6年の事です。 転校しまして、一年間一人も友達ができませんでした。休み時間は一人をどうやってすごそうかと言う苦痛ばかりでした。毎日思っていたことは「後何日で卒業式」という救いです。そういう一年を送りました。家に帰ったら帰ったで、両親のいさかいや父親の酒癖などで苦労し、まったく外にも家にも居場所がなく孤独感不安やるせなさ寂しさなんでもありの状態でした。 これが今も抜けないのは、ソレを思い出すような生活をいましているからと言う事もあります。しかし、なかなか円滑に社会適応できない状況です。それを解決して昔を笑い話にするのが唯一の解決法なのですが、なんとも難しい事態に陥ってそのトラウマ?から抜けられない気がします。 なぜ私がよりによってこんな孤独を味合わなければならないことになったのか。なぜこれほどの孤独を味わったのに、あとは順風満帆の生活が待っていないのか。そういう思いが抜けないでいます。 つまりはなぜ人並みの精神状態で生活できなかったか、なぜ自分が行も貧乏くじを引かなくてはならなかったのか、その「なぜ」なんですね。それが引っかかっています。無論「なぜ」というべき「理由」もないのはわかっています。
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辛かったことと思いますよ。 私も、小学校の時から高校までずっといじめに遭い、人との関わり方を学べませんでした。友だちが一人もいない年もありました。お昼(お弁当)をクラスで食べるのが辛くて、図書室とかいろいろな場所に避難していましたね。休み時間は、なるべく人の少ない場所にいましたね。行事は特に苦痛でした。 今思い出しても、辛いです。 見た目が格好悪く生んだ親を責める気持ちもありました。いじめに関わった人や、見て見ぬ振りをしていた人に対しても恨みの気持ちでいっぱいでした。そっとしておいてくれさえすれば、私は人並みに他者と関わり、貴重な経験を積んで年相応の大人になっていたはずでした。 社会に出て、それなりに人にもまれて年相応の対人能力に近い状態にはなりました。未だに不得意ではありますが、一応仕事は続けることができています。 今の私が過去を振り返っても、あのときの辛い体験は決して笑い話にはならないのです。思い出せば、悲しみと苦しみの気分が蘇ってきます。同窓会は何度かあったようでしたが、一度も参加していません。(参加できるようになれば、もしかしたら乗り越えたという事になるのかもしれないと思いながら。) でも、今だから思うことは、過去は事実なので変える事はできないし、過去に縛られるあまり未来までも悲しいものにするのはとても勿体無いことだということです。親や同級生を責めても何にもならない。自分の未来を変えられるのは自分自身だけ。今の自分に責任を取るのは、自分しかいないのです。 質問者様は、「孤独は辛い」ということを身をもって知ったのです。それはすなわち、人の痛みがわかるということではないでしょうか。もしも、辛い思いをしている人がいたら、痛みを知っているあなたは手を差し伸べることができるんです。 もしかしたら、あの時の辛い体験は、意味のあるものだったのかもしれません。そう思える日が来るといいです。 もう一つ。「人並み」という言葉も、案外あやふやなものかもしれません。いい事もあれば悪いこともある。貧乏くじばかり引いていたわけではない筈です。人って、悪いことは忘れられないものです。ぜひ楽しいこと・良かったことも思い出してみてください。
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- MOMONONATU
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幼少時のトラウマからなかなか抜け出せないんですね。 私も友人関係がうまくいかず、家庭手内の夫婦親子関係もつらく、どこにも自分の居場所などないと思ってきました。 それで早くに家を出て自活しました。 社会人になってからもずっとそのことが頭にずっしりのしかかって うまくいかないのは「このせいだ」とずっと思っていました。 最近よんだ記事を紹介します。 「厳しくしつけられたので、おどおどしている」 「小さいころから苦労してきたせいか、性格が暗い」 こうしたことが自分を苦しめることがよくあります。 これらに共通するのは「人のせいにしている」ことです。 しかし、私はいいたい。 「あなたは、自分で考え、判断できる年齢になりました。間違ったことを教えられたと思うなら、それを捨て、自分で自分に別の考えを教えましょう」 「いつまでもあの人がこうしたから、と思っていては変わらない。小さいころは、大人を信じるしかないけど、今は違う。あなたはさまざまな考えを選べられるし、いらないものは捨てられるのです」 トラウマを経験している人はたくさんいます。 しかし多くのケースは、自分の考え方次第で人生を大きく改善できると思います。 そのことに本人がきづいてマイナスの経験を断ち、新しいスタートを切らないといけないとありました。 物事の欠点だけをみるより、良い面を探す楽観的思考を癖付けるのも よいそうです。 人は、意識せずにいると悪いことのほうに注意がいきやすいので 意識してそうすることが大事だそうです。 なかなか難しいこととは思いますがプラス思考でいきましょう。
お礼
ご体験談ありがとうございます。 まったく持ってその通りだと思っております。過去のしがらみから解き放っていこうと。自分の責任で自分で明るくなろうと。それは正攻法ですね。私もそれを目指そうと思ってます。方法は人によって違いますけどね。 しかし、一方、もしかしたら反対の方法もないのかと感じています。極端なマイナス思考マイナス行動から、逆に反動を利用できないかという。これは根拠はありませんが、プラス思考のみが有効な方法と思うのは何か苦しいところもあります。
このようなことを解決するためにデイケアというものがあります。病院や保健所に聞いてみてください。
お礼
長文のご回答ありがとうございます。 やはり同じ思いをした人は方々にいるようですね。 仲間に入れないと言うのは、寂しいだけでなく、身の置き所がなくなるというつらさもあることをよくわかっていらっしゃいます。本当にその通りで、どう対処してよかったのやら、まったく途方にくれます。 人との折り合いの悪さ、ちょっとした悪意が後に響いてしまうと言う、なんともやりきれいことがあります。 社会参画なさって時間とともに薄れていくと思いますよ。 人の孤独や悩みがわかる事態もあるのですが、これがまた折り合い悪く、そういう人に共感する反面、あまりに努力家でなかったり、ナーバスだったり、依存的だったりして、離れてしまう事態もあるというのが厄介です。 楽しい事を思い出すのは、やはり今を少しでも充実にするしかないかもしれないですね。