思い出せばいろいろあると思います。
魅力的な小説は世界中でたくさん作られ、また作られつつあるでしょうから。
ここでは、ご質問を読んで、まっさきに浮かんだ小説を挙げるのが順当と思いました。
リルケの『マルテの手記』の冒頭で、主人公マルテはパリの印象を、だいたいこんなふうに言います。
「人は生きるためにこの町にやってくる。けれどもまるで死ぬためにやってくるように見える」
ただでさえ孤独な都会の生活。異邦人にとっての灰色の街衢(がいく)。
多感でリリカルな青年の心情に託して生と死、そして心に障害を持つひとびとへの驚きと共感が記されてゆきます。
その、忘れられない出だしです。
そのリルケは薔薇(ばら)の棘に刺されて死にました。いかにもふさわしい伝説。
この薔薇から思い出すのは佐藤春夫の『田園の憂鬱』です。
中に何度も出てくるのが「おお、薔薇(そうび)汝病めり」
これはウィリアム・ブレイクの詩の一節「O Rose, thou art sick!」から採った魅力的な翻訳でしょう。
小説の筋などすっかり忘れはてていますが、主人公が何度も口にするこの一句は今もって鮮明です。
そういえば堀辰雄の『風立ちぬ』もヴァレリーの詩句が掲げられていました。「風立ちぬ。いざ生きめやも」
この小説の主調音の提示でしょうし、個性ある引用になっている、というところでしょうか。
なんだか、小説というよりは詩についての回答みたいになってしまいました。
それに、もう少し新しめの小説について話題にできればよかったのでしょうけれども。