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どうして酒の上の不祥事に甘いの?
どうして日本って酒の上の不祥事に甘いのですか? 昨年、飲酒運転によって幼い命がなくなりました。いままで報道されなかっただけで、悲しい犠牲者が沢山いるのでしょう。もはや、飲酒運転は犯罪であるにも関わらず、大したことではないと言ってはばかられません。 また、親睦を深めるために参加している会合でも、必ず一人は無理強いをする人がいて、飲まないことを罵る風潮があります。飲酒運転で飲まない人、飲めない人は肩身の狭い思いをしているようです。アルコール依存症みたいな人が酒豪と崇められ、尊敬すらされます。弱い人に無理やり飲ませて、死亡した事件も多発しました。 適正外飲酒が、中年男性で4割もいて、様々な深刻な問題も起こっているのにも関わらず、学校教育でも扱いません。何故なのでしょうか?
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私は酒を一滴も飲みません。私の人生に酒は全く必要ないものなんです。 一昔前は、確かに酒の席で「男なら酒ぐらい飲めないと!」というオヤジはいましたが、 さすがに最近では私のまわりにはそんな化石のような人種は見かけなくなりましたね。 欧米とアジアを比較すると欧米でもビジネス上酒を飲む機会は多いですが、一切人のことは干渉しません。 多くはビンビールを一人ひとり自由に持って飲むだけ。それがウイスキーであっても基本は自分が好きなように飲むことです。 しかしアジアは違う。中国でも韓国でも自分が飲む以上に人に飲ませたがる。 いまだに中国では、高アルコールの酒を飲む代わりに商談を成立させるという商習慣は残っています。 今の日本はそこまで酒の共有は深くはないですが、それでも連帯感を共有しようとしますね。 連帯感を共有することと、酒の責任にできることから酒の上での不祥事は大目に見られがちなのだと思います。 「自分もあり得るよなぁ」とか、「酒の上だからしょうがない」という意味のない 言い訳にすがるというか。。。 しかしながら、飲酒運転のように他人の命に直結するような行為はそんなハンパな言い訳 では済まされないのに、それに気づいていても気づかぬふりをする。 私から見るととても幼稚に見えます。
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- 63ma
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定かではありませんが、思うに、日本人は昔から農耕民族として、栄えてきました。 その副産物として、米を原材料にした、日本酒が生まれたのではないでしょうか。 そして、一日の農作業の疲れを、日本酒(当時は、白濁したドブロク)で癒し、仲間内で親睦を図ったのが宴会のルーツではないでしょうか。 その結果、仲間の意思疎通を図る手段として、酒は必要不可欠な物となったのではないでしょうか。 その事が、酒に対して甘くする風潮が、長年にわたって育まれてきたのではないでしょうか。 ところが、最近の社会風潮は、やや欧米化して、個人主義に変わりつつありますので、旧来の風潮と摩擦現象が起きているのが、現在かと思います。 ですので、今すぐは難しいですが、徐々に酒に対する見方が、欧米並みに厳しくなるかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本で読んだことがあるんですが、飲酒が一般化したのは戦後だそうです。日本に限らず、フランスのワインなども、昔の農耕民族はそもそも食糧難で、お酒を飲むどころではなかったと言います。また、米も税としてとられてしまうので、一生、口に入らなかったようです。 個人主義というより、法治国家として、飲酒運転の被害が出ているのだから厳しくしようということになったようにも感じます。
- questman
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こんにちは。 私は酒を飲みますが、やはり飲酒運転者や無理強いについては嫌悪感を禁じえません。 日本人と酒は、太古の昔から密接に関わってきました。正月や農業の祭り、法事などには欠かせない物でした。難しい事を言うと日本書紀や古事記などの時代から続く神様との共饗行為の一種なのかも知れません。今でも御神酒ってありますし。 甘いのは多分その辺に由来しているのでしょう。 農業時代の続きなのか分かりませんが、ちょっと前までは建設現場や港湾労働者などの間では仕事の終わりに職場で一杯というのが常識でした。飲まないと仕事が終わった感じがしないそうで(笑)。そのまま車で帰宅するのは普通の光景でした。 昨今飲酒運転が原因の悲惨な交通事故が相次ぎ、大企業を中心に従業員への啓蒙活動は進みつつあります。個人的にも時代の流れでもあり、人命のことを考えれば大変良いことだと思います。が、まだまだ徹底され始めたのは最近の話です。 いまだ時代の流れを理解できない組織(三流企業・K察や市役所の一部・マスコミの三下記者等)は時々事故を起こし、世間の顰蹙を買っているようです。われわれは愚かな彼らに社会的な制裁(つまり白い眼)を加えることによって「飲酒運転=悪」という 認識を普及していくべきでしょう。 本件と宴会で酒を強要する人とを一概にはくくれませんが、酒を飲むのも飲まないのも自由です。強要するのは民主主義を理解できない体育会系バカと切り捨てていいと思いますよ。周囲も避けますし、会社員であれば他人の迷惑を感じ取れない人など出世はできないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 昔の日本は貧しく、食糧難のため、お酒が全く口に入らなかったという話を聞いたことがあります。神様の共餐行為も、お神酒も、今現在ほとんどの人は神様を信じていないので、フォームだけとっても廃れていくのかもしれませんね。 「酒を飲むのも飲まないのも自由」だから、飲まないこともかまわないというのではなくて、少なくとも「運転する人に酒を飲む自由はない」と切り捨てることが大切なのでしょうね。
私も生まれつき下戸です たまに、のんべいに混じって付き合いしなくてはならない時に、酒を拒否せず、少ない量で適当に酔っ払い、それ以上は断り続けていると、それが当たり前のことになってきます 酒飲みの中には、酔っぱらってお互い何でもさらけ出そう 的な考えもあるようですから セミ酔っ払い になるのもいいのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 中途半端に飲むと、断っても余計に飲ませようとする人がいますから、困ったものです。酔っ払いそのものに、いいイメージもなし、飲まないと何でもさらけ出せないみたいで、自分がそういう風になるのは嫌ですね。
- POWERVAULT
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そういう習慣だったからでしょうね。 私の居る会社でも過去に飲酒で逮捕とか人の家のブロックに突っ込んだりとかいう人が居ましたが、別に処分を受けたりしてた様には見えませんでした。 最近懲戒処分を行う旨の通達が回ってきましたので厳正に対応しようという姿勢にはなってきてる様です。 本当に厳しく処置するかどうかは今のところまだ検挙者が居ないので良く判りません。 私は通常酒を飲みません。とても弱いです。 ある日酒を無理やり勧められました。 「明日の仕事に差し支える」と断りましたが、「まあまあそう言わずに!」と飲まされてしまいました。 翌日私の作成したプログラムは、とてつもなく素晴らしい出来で酒を勧めた当人は動作を見て頭を抱えてしゃがみこんでしまいました。 通常であれば大問題ですが、今も特に支障なく仕事を継続しています。 この場合酒を勧めた当人が、まずい事をしてしまったと認識している事が大きい為不祥事としてのレベルを下げているものと思われます。 飲酒運転等の場合の甘さは、自分も飲んでも乗ってるとか同列の他人の事をとやかく批判出来ない立場の人が多かったのが要因と思われます。
- de-niro3
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文化、風習、シキタリなんでしょうね。正月は御屠蘇を飲むし、結婚式は和式なら三々九度、神事には欠かすことの出来ない物ですね。 酒の出ない忘新年会、歓送迎会、結婚式、葬式ってめったにないですよね。(私は一度も経験していません) ロシヤはウォッカをガブガブ飲むらしいし(寒くて飲まなきゃ過ごせない状況が習慣化したらしい)一方イスラム圏じゃ、飲酒が犯罪の国もあるそうです。(ただでさえ暑くて、飲料水が不足がちな場所で、アセトアルデヒドを分解するのに水分を必要とするアルコール摂取は自殺行為だったんでそれが習慣化したらしい) 確かに日本は飲酒に寛容ですね。 でも酒自体が悪いわけではなく、飲む者の節度、意識が重要ですよね。 だからアルコールヒステリーみたいにならないでね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今の時代、宗教的な風習が廃れてきているときいています。神様を信じているわけでもないのに、お酒を飲んで三々九度や神事をする必要もないのでしょう。結婚式や葬式の帰りに飲酒運転をされても迷惑ですしね。 飲む人の自主性に任せても、節度や意識がないのが現状のような気がします。だから規制を強くされても仕方がないかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 欧米でもビジネスでお酒を飲むことが少なくなったという話を聞いたことがあります。アメリカでは野菜スティックを食べながら午前中に会議をしたりするそうです。ビジネスエンターテイメントの世界から、飲酒が影を潜めたという話も聞きます。 基本的に、東アジアの国は近代化に立ち遅れた国が多いです。韓国は高度経済成長で現代に入ったばかり、中国は産業革命、北朝鮮は中世の絶対王政。日本も飲酒運転が多すぎて、とても世界のスタンダードとはいえませんね。理不尽なことが多いような気がします。