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いじめられる人間に問題はあるのか、否かについて
私は、小学校高学年、中学校、社会人10年以上、いじめを受けた経験の持ち主です。社会人では、村八分をされ、会社に行き、やることもなく、倉庫に行き、ぼーっとしていたこともありました。 いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない、との考えを持っています。 しかし、今、振り返ると、自分にも非があった、問題はあった、との認識にあります。自分の問題点を受け止め、その問題点を改め、自分を少しでも変えるように努めています。 ですから、今では、必要以上に恨んだり、憎んだりはしていません。 世間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが、いじめられる人間にも問題がある、と、述べると、そんなことはない、と攻撃的に意見を言う方がおられます。 果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか? もし、0%であると断言できるのならば、いじめる人間を除外した形で、理由は何なのでしょうか?(例えば、普段から正しい行為のみしている、等) また、仮に、いじめられる側の人間に原因があるとするならば、何が原因であると想定できるのか、具体的に教えて下さい。
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- angeldill
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僕は高校を通信制高校とそのサポート校で過ごしました! 中学時代に鬱病で受験出来なかったので。 それで僕の行ってたサポート校の半分ぐらいはイジメが原因で 普通の高校に進学出来ない人が通っていたのですが 3年間そこで過ごした経験からすると 「いじめられる側に原因があるケースが多い!」 って事です。中には原因もなく、見た目の問題でいじめられて可愛そうなケースの子もいます。しかし僕の感じでは半数以上は本人が悪い! っと感じましたよ。 そりゃーイジメにもあうよなぁ^^; って感じる事が多かったと言う経験則です。
- anachronism
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> 果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか? 逆のことを考えてみてください。あなたは「いじめられる人間に問題がある」場合として、どのような場合を考えているでしょうか。他の補足を見ていると、「協調性が無い」とか「自分本位」とかを想定されているのでしょうか。 もしそれらが「問題」であるとしたら、そういう人たちは「いじめられてもある程度は仕方が無い」と、お考えでしょうか。 多分、質問者様はそうはお考えにはならないでしょう。「いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない」と、仰せのとおりです。 要は、質問者様が疑問に思う論調というのも、「いじめを正当化できる理由は何も無い」という趣旨で、「いじめる側が100%悪い」と言っているだけなのです。質問者様も、その点には同意されるものと思います。 ですが、特に、「いじめられる人間にも問題がある」という場合、「問題」という言い方は、「いじめられるほうも悪い」というニュアンスを含みます。「いじめられる人間にも問題がある」=「いじめても構わない」というような考えがこれまではむしろ一般的で、それがいじめを正当化する論拠になっていたのです。 現実に、これまで教育現場においては「いじめられる側にも問題がある」というのが一般的な認識でした。「いじめは絶対に許されない」というのは表向きでしかなく、「いじめ問題」が発生した場合、教師は真っ先に、いじめた側ではなく、いじめられた側に「お前が人にいじめられないように振舞え」という「指導」することが少なくなかったのです。その理由は簡単で、いじめているがわが「いじめた」ことは証拠がありませんから指導することは難しいのですが、いじめられたがわがいじめられていたことは「本人の供述」から明らかなのですから。 その結果、いじめる側は自分たちを正当化でき、いじめられた側は教師に相談できないのはもちろん、親にも相談したら怒られるのではないか、と考えて、一人で抱え込むことになります。 実のところ、「いじめた側が悪いんだ」というのは、今回の事件からようやく出てきた論調であり、これまでは「いじめた側もまた被害者」という台詞が、お経のように唱えられていました。いじめの原因は「受験戦争のストレス」やら、「教育の画一化」などを「理由」に上げ、いじめる側を、マスコミはこぞって弁護していたのです。 表向きには許さないといっておきながら、実情として弁護されるという二面性ゆえ、結果としていじめは陰湿化の一途をたどり、教師がいじめをやめさせるどころか加担する、という構図が再び繰り返されました。マスコミも、ようやく「いじめは弁護すべきことではない」という、ごく当たり前の認識を持った、ということです。 「いじめられる人間にも問題がある」という言い方は、非常に誤解を生む言い方であり、現実にいじめの正当化に使われてきました。それを良く知っている人は、当然、全面的に否定するでしょう。 どのような理由も、いじめを正当化することはできません。そういう意味で、「いじめられる側の人間に問題はない」ということは正しいし、私もそう思います。
お礼
回答ありがとうございます。 言葉遣いの注意点や、誤解される理由を解説頂き、感謝致します。 いじめの構図について考えてみました。 人間は多面的な要素を持っています。 【いじめる人間】 「いじめをしてしまう要素」を持っている ↓ 問題である(=悪いことである) ↓ 直す必要がある(大人が注意・指摘・教えをすることで善悪を学ぶ) 【いじめられる人間】 「いじめを受けてしまう要素」を持っている ↓ 弱点である(=問題である、好ましくない) ↓ 直した方が好ましい(内容によっては直さなくて良いのもある) (=自分の物事の捉え方を変えることで、自分を変える努力をする) 要素として、種類は違うものの、問題(弱点)を抱えているという認識が大事で、その問題(弱点)を踏まえた中で、それぞれが直していかないと、いじめの構図を破壊することは難しいと考えます。 両方の問題(弱点)点を敢えて挙げるのは、昨今の事情である、いじめの対象がクルクル頻繁に変わる、という「いじめの質の変化」という背景があるため、いじめる側だけに問題点を投げかけることだけでは解決にはならない、と分かるからです。 つまり、被害者も加害者であって、加害者も被害者である、という状況が今のいじめの実態です。そうなると、今の人というのは、心の中に、「いじめる要素」と「いじめられる要素」を共存させながら、生活している、と言えます。どっちが悪いとか、勝ち負けとかではなく、全体的に、心の質の低下が起き、心が腐敗している、というのが現実であろう、と見る方が、より真実であると考えます。
補足
>もしそれらが「問題」であるとしたら、そういう人たちは「いじめられてもある程度は仕方が無い」と、お考えでしょうか。 いじめという行為は、悪ですから、いじめられて仕方がないという考えは、全く成立しません。自分にされて嫌なことは、他人にはしてはならない、という道理があるわけで、道理に反するものは、悪です。 >ですが、特に、「いじめられる人間にも問題がある」という場合、「問題」という言い方は、「いじめられるほうも悪い」というニュアンスを含みます。「いじめられる人間にも問題がある」=「いじめても構わない」というような考えがこれまではむしろ一般的で、それがいじめを正当化する論拠になっていたのです。 なるほど、と思います。言葉遣いには注意しないといけないですね。 >「いじめ問題」が発生した場合、教師は真っ先に、いじめた側ではなく、いじめられた側に「お前が人にいじめられないように振舞え」という「指導」することが少なくなかったのです 大筋で考えますと、強者の論理があって、教師もこの強者の論理に従って、強い方、つまりいじめた側につきたい、という思いに支配されている事から、弱者である、いじめられた人間に指導するのではないか、と思います。 >当然、全面的に否定するでしょう。 「いじめられる人間にも問題がある」に誤解を生むならば、どういった表現ならばいいのでしょうか?
- lv4u
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No.2です。 >>・協調性がない ・気が弱く意見を言えない ・頑固者である ・利発すぎる ・勉強ができると自慢する ・自分本位である 等々も、他人と違うこと全ての範疇に入るのでしょうか? いずれも、はいると思いますね。そして、上記項目は受け取る側の主観が大きく影響する項目もあると思うので、客観的な判定は難しい気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 受け取る側の主観、ということは、受け止め方を変えることができれば、いじめられる側の心の変化も期待できるということですね。
- cooperation
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No.1さんと、同意見です。 まさに、ケースバイケースで不可能です。また、テレビや新聞などのメディアで答えを出すのも不可能です。彼らが情報を発信するために、各々の事例について集めた情報など極々わずかのもので、かなりの部分に思いこみと言うか、場合によっては意図的な物があると思います。さらに言うならばマスメディアは、必要以上にセンセーショナルに扱います。その方が注目を集められるからです。明かに責任があるケースもありますが、すぐに学校に責任を求めるのもおかしな話です。現場を知らない思い込みだけで発言をしているだけです。 また、評論家や教育関係者も良く出てきますが、話を聞いていると共感できることもありますが、現場を知らないで何を言っているんだと思うことも少なくありません(私の価値感でですが)政治家もしかり。やってることはメチャメチャです。悲しいことに、特に教育者に関しては、そういったメディアに顔を出すような極一部の人達が教師と言うもののイメージを低俗な物にしていると常々感じています。 まともだと感じることを言う人も沢山いますが、そうでない人が多すぎます。また、そういった人のほうがある意味番組を面白くできると言うのも、製作者側の意図だと感じます。 ちょっと話がずれてしまいましたが、結局のところ、当事者、その周りにいる人間にしか真実は分からないと言うことだと思います。努力次第で、恐らく真実だろうなと思える物に近づくことはできますが。 >果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか? 言いきることなど出来るはずがありません。ケースバイケースです。非常に多く要素があります。 そういった性質場、例を挙げるのは望ましいことではありませんが、そういった要素を排除して、単純に例えれば、苛める側と苛められる側が入れ替わる例では、中心となり楽しんでいる者以外は、自分以外に対象を作り、苛める側にいることで自分の身を守っている人も多く要るでしょう。この場合などは、ゲームのような物で、いじめの対象となるのに全く原因がない場合もあると思います。 苛められる友達を庇った為に、自分が苛められるなどは、友達を助けると言う行為はとても素晴らしいことだと思いますが、苛めを受ける「要素」にはなり得ます。彼・彼女の行動に「問題」は無いですよね。 あいつ生意気。とか、良い子ぶってるとか、気に食わないとか、暇だからとか、いじめが起こるきっかけなど幾らでもあるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 ・理由はなく、ゲーム感覚の対象になっているだけ ・苛められる友達を庇ったため ・生意気 ・良い子ぶっている ・気にくわない ・暇だからという理由で対象になっている 上記がいじめられる側の理由、ということですね。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>いじめられる側の人間に原因があるとするならば、何が原因であると想定できるのか、 通常は、ハーフで髪の毛や目の色が違ってめだつとか、太っているとか、考え方が違う、成績が悪い、親の職業が変わっている、など単に他の多くの人とちょっと違う人が、「のけもの」にされるなどをスタートにイジメがエスカレートしていくようですね。 ですので、他の人との差があることが「問題」とするなら、それがいじめられる人の問題であるといえるでしょうね。 でも、その人の能力不足で他の人が迷惑を被るというようなことが無く、単に「人と違う」ことを理由に「イジメ」をすることは理不尽です。多くのイジメ同調者は「イジメの被害者」になりたくないので、イジメ加害者に加わるようです。 また学校や教育委員会は、イジメをなくすことは大変な労力が必要になりますし、下手をすると自分たちの出世に響くため、「なかったことにする」「被害者がイジメがあったと誤解して騒動を起こした。被害者のほうが悪い。謝れ!」っていう流れになっているようです。 ちょっと昔のSFマンガに「警察などとつるんだ暴力団が思いのままに支配する街を正義の味方(超能力者など)が解放する」というようなストーリがありましたが、「正義の味方が登場する前の悲惨な街」が現在の学校の教室のようです。 ここで、暴力団=イジメグループ、警察=教師、教育委員会です。 いじめられる側の人間を問題にするのは、万引団が「盗みやすいような陳列をしていたから盗った。私らは悪くない」と弁解するようなもんでしょうね。 いじめられる側の原因は「他人と違うこと全て」っていうことで、ヤクザの因縁づけと同じく具体的事例を並べる意味は無いような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 ・ハーフで髪の毛や目の色が違ってめだつ ・太っている ・考え方が違う ・成績が悪い ・親の職業が変わっている 上記の理由、問題点がいじめられる側の原因ということですね。 「他人と違うこと全て」ということは、なるほど、と思います。 ・協調性がない ・気が弱く意見を言えない ・頑固者である ・利発すぎる ・勉強ができると自慢する ・自分本位である 等々も、他人と違うこと全ての範疇に入るのでしょうか?
- Phoebastria
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ケースバイケースなのでここで具体的に答えを列挙する事はほぼ不可能に近いです。 「いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない」「自分にも非があった、問題はあった、との認識」「今では、必要以上に恨んだり、憎んだりはしていません」 とありますが、非常に立派だと思います。私なんか死ぬまで忘れませんけどね。 >>世間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが この下りですが、所詮テレビです。とどのつまりテレビです。そう言うものだと思って流した方がいいと思います。だってテレビですから。
お礼
回答ありがとうございます。 ケースバイケースということですね。
お礼
回答ありがとうございます。 貴重なご意見ありがとうございます。