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なぜ日本人は横文字(特に英語)ばかり使うのでしょうか?

表題の通りですが、昔から日本人は意味もなく英語を使いますよね。 日本人のほとんどはろくに英語を喋れないのに・・・ 最近ですと、「1点ビハインド」、「セレブになる」、「ビフォーアフター」 「場内は一斉にスタンディングオベーション」、「ホワイトカラー・エグゼンプションの導入」 ・・・・等、枚挙にいとまがありません!! これらの言葉を本来なら日本語を正しく使うべきテレビ局や出版社、それから政府関係各所が 何のためらいもなく多様していることに愕然とします。 なぜ日本人は日本語という素晴らしい言語があるにもかかわらず こうも横文字ばかり多用したがるんでしょーか? 同じ日本人として非常に恥ずかしいし、またとても腹立たしいです。 日本語の方が英語を使うより直接意味も伝わるし、文字数や誤解されることも少ないと思います。 「美しい日本」を目指すなら先ずは「美しい日本語」を使うべきではと思います。 長くなりましたが、皆さんは現状の日本の横文字文化を見てどう思ってますか? ご意見、ご感想をぜひ聞かせて下さーい!!

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.19

No.4です。お礼のなかで疑問を書かれていらっしゃったので、書かせていただきます。質問者さまに反対するような書き方をしますが、この問題を考える上ではこのような視点もあろうかと提案するまでで、基本的には質問者さまに賛成です。 ●外来語でない日本語で表現できるのに、なぜ外来語を使用するのか。 「1点の負け」ではなく、「1点ビハインド」という表現がなされるのは、それに見合う意味があるからです。単に紛らわせているのではありません。そして重要なことは、「1点ビハインド」が「1点ビハインド」としての独特のニュアンスをもつのは、「1点の負け」という元来の表現との対比があってこそでしょう。逆にいうと、「1点ビハインド」を常用している人間にとっては、「1点の負け」という表現も、元来とは異なるニュアンスをもつようになっているはずです(少なくとも、「1点ビハインド」が割りこんできた分はまったく同じニュアンスをもつことはできなくなっているはずです)。「1点ビハインド」を使う人にとっては、それがふさわしいから使っているのであって、「1点の負け」と言い換えることができるとしても、十分ではないのです(純粋に語義的なニュアンスの差異がなかろうと、ノリ、雰囲気、しっくりくる、といった感覚があるのだと思います)。スポーツの場合などでは、やはり「1点ビハインド」のほうが雰囲気が出るということもあるのでしょう。“同義の和語、漢語があるのに外来語を使いたがる”のにはそれなりに文脈上の理由があるということです(そうでなければ、そもそもそのような言葉は使われるはずはありません)。一方で、そのような言葉を習慣的に用いてなければ単なる同義語であり、和語、外来語を使えばいいのに、ということになるのでしょう。 ただし、それを踏まえて、雰囲気だけで外来語を使用するのはよくないというのは、もっともな批判だと思います。ただ、これに対しては私の考えは2つの点で反対です(どちらも条件つきの反対です)。 1) そのような「ビハインド」や「リスペクト」などの語は、まさに雰囲気が必要だから使用されているという側面があるからです。スポーツなどでは、たとえ容易に言い換えられるとしても、その「ビハインド」「アウェイ」などの専門用語を使うことで、まさにゲームについて話しているだという感じを出せます。また、「ビハインド」を知らない人はそのゲームの結果にそれほど興味はないでしょう。「リスペクト」は、ラップをやっている人がよく使っていると思いますが、それも雰囲気を共有するために使われているところが多分にあります。雰囲気の共有のためのレトリックであるなら、まさにそれは表現力であり、それを否定するのは言葉狩りであろうと思います。ただ、そのようなレトリックがふさわしくない状況で外来語を使用する(サッカーのルールも知らない相手に「ビハインド」だの「アウェイ」だの言ったり、軽いノリのときでないにもかかわらず「リスペクト」と使ったりする)のは、意思疎通上問題のあることだと考えます(この意味で条件つきの賛成です)。そこで私の立場は、聞くと想定されている対象者がその言葉を知らないはずなのにその言葉を使用するのはコミュニケーション的な問題を孕むゆえに反対するが、聞くと想定されている対象者がたいてい知っているはずなら、レトリックとしておおいに活用されてよいだろうというものになります。 2) そのような反対が、反動的な和語への回帰になってしまうかもしれないからです。これを機会に日本語のよさを見直そうということであるので、その意味では、回帰自体が悪いといっているのではありません。しかし、外来語“と比べて”和語ないし漢語のほうがよいというのは、[1] 伝統的なものの尊重に加えて [2] 外来語との対比によるところがあると思います。つまり、外来語があるからこそ“その対比でかえって”日本語に伝統的なものを感じてしまうというところがあるはずです([2])。それは外来語の効能ですよね。そこで私の立場は、純粋に日本語のよさを日本語のよさとして感じていないかぎり、つまり外来語との対比でよさを感じているという面があるかぎり、外来語を批判する道義を欠くだろうというものになります。伝統的な日本語を重視することと、外来語が存在すること(過度にはびこることではなく)とは矛盾するものではなく、むしろ相補的であるところもあるということです。 上の1)、2)は、質問者さまの文言を頑固なものと受けとった、日本語に言い換えられるなら日本語に言い換えるべき、という意見に反対するものでしかなく、私も基本的には質問者さまに賛成で、外来語のせいで日本人にとって元来なじみのある和語や漢語が駆逐されているという危惧があります。たとえ日本人の人生にとって外来語や外国語が必要とされる割合が高まったとしても、教養として従来の和語や漢語を身に着けることができないというのはありませんから。 ●外国語が話せないのに外来語を使うことについて。 外来語は英語に由来するとしても英語ではなく日本語です。外来語の問題と、日本語が話せない人ほど英語に飛びつきがちであるととを同時に論ずることは、あまりよいこととは思いません。日本語になった外来語を適切な文脈で使用できるのであれば、その外来語の元となった言語(たとえば英語)が話せないとしても、会話の受信者がその言葉を知ってさえいれば、意思疎通上何も問題はありません。英語もまともに話せないことが、外来語の使用によるコミュニケーションに必然的な欠陥をもたらすなら、それは問題だと思いますが、そういったことはありませんよね。 他方、日本語が話せない人ほど英語に飛びつきがちであり、それが外来語の氾濫の原因のひとつであろうと推察するというのなら、それは妥当だと思います。 ●専門用語の訳語について。 専門用語の場合は、たいてい英語で使われはじめることが多いので、最初から「わかりやすい日本語」に置き換えてしまうと、原語がわからないせいで、その分野の専門家内で意思疎通がとれなくなってしまうこともありうると思われます。とくに、専門用語の場合は似て非なる用語が多いので、直訳気味のものが好まれますね。直訳ではなく意味を考えた訳語は、定着するのに時間がかかりますし。でも訳語の改変が大々的におこなわれることもあるようですね。岩波書店から『フロイト全集』が目下刊行中ですが、意欲的に訳語を変えていますね。もちろん一般的な使用に耐えうるものというよりは、より正確を期した訳語ですが。「夢判断」→「夢解釈」、「快感原則」→「快原理」、「リビドー」→「リビード」など。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 全部目を通しましたが、もし変なことを言っていたらご容赦ください(苦笑) >「1点の負け」ではなく、「1点ビハインド」という表現がなされるのは、それに見合う意味があるからです。単に紛らわせているのではありません。 「ビハインド」はここ数年で定着した言葉ですね。 下でも述べてますが、ちょっと前までは「差」や「勝ち、負け」と言っていました。 ですが、「ビハインド」という言葉が耳に馴染んでくるようになり、こぞって皆使うようになりました。 人間というのは不思議な生き物で最初は違和感ある事でも段々慣れる(使う)うちに それが違和感ではなくなり、元のモノ、言うなればオリジナルを取って代わるようになります。 しかしその結果、取って代わるのだから、オリジナルの言葉(ここでは「差」「勝ち、負け」)は徐々に隅に追いやられ陽の目を見なくなります。 ここが一番の問題点であり、今の日本の横文字の氾濫を推し進めている要因なのです。 >そのような「ビハインド」や「リスペクト」などの語は、まさに雰囲気が必要だから使用されているという側面があるからです。スポーツなどでは(中略) 雰囲気の共有のためのレトリックであるなら、まさにそれは表現力であり、それを否定するのは言葉狩りであろうと思います。 たしかにその通りです。 これは言葉を話す者、それを聞く者互いに知っていることで成立することですね。 共通の言葉で意思疎通が出来る。素晴らしいことだと思います。 >そこで私の立場は、聞くと想定されている対象者がその言葉を知らないはずなのにその言葉を使用するのはコミュニケーション的な問題を孕むゆえに反対するが、聞くと想定されている対象者がたいてい知っているはずなら、レトリックとしておおいに活用されてよいだろうというものになります。 なるほど。私もこれは賛成です。 新しい発見が出来ました。互いが知っているなら問題ない。要は使う場所が正しければ良いと。 色々な意見を言って頂き本当に感謝致します。とっても参考になりました。

その他の回答 (19)

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.9

英語カテゴリで聞いているということは、他のアジア国も調べたのでしょうか。 日本だけではなく、香港・台湾でも同じ傾向がありますよ。カナがある分、和製英語が目立ちますが、台湾では英語がそのまま中国語の合間にはいってきたり、香港の映像では会話の途中に英語がはいるのは昔ざらでした。最近は、大陸の影響で、普通話の影響がでてきました。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 英語カテゴリで質問したのは、質問するところが良く分からなかったので ここでさせてもらいました。深い意味はありません。 台湾、香港は英語圏の人との交流が多いので、何となく理解出来ます。 しかし、日本はどうでしょうか? 英語圏との人と交流がありますか??いくら国際都市として東京が挙げられても まだまだ他の国に比べて英語は多く話せないのが現状です。 それと、何度も言っておりますように、私が嫌になるのは 昔からある(使っている)言葉を最近、不必要に横文字に変換し過ぎなところです。 「私のワイフは・・・」なんか昔は「私の妻は・・・」と言っていたのに なぜかここ数年でこういう無意味な表現が増えてしまいました。 「家庭的」を「アットホーム」と言い換えますし・・・ ここが日本人の分からないところなんです。 英語でいう必要がないのに、なぜわざわざ使うのか? 目くじら立てることはないと思いますが、なんだか情けないというかバカらしく思えるんです。

回答No.8

 そもそも「日本語」自体が「漢」の国の文字、つまり漢字と、その簡略体である仮名文字を使って表記されているではないですか。  表記方法が文化の根源というなら、日本の文化はその大元からして借り物であるといえるのです。

fob777
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 なるほど!たしかにそう言われるとどうしようもないですね。 単純明快なご指摘感謝します!!

  • totovc
  • ベストアンサー率44% (217/489)
回答No.7

#3です。 私もやたら外来語を使いたがる人を見れば(それもたいてい、元の外来語の意味を正確に知らないまま使っている場合が多い)、つい「どうして日本語で○○と言わないでそんな言い方をするんですか?」と意地悪を言ってしまう方ですが(笑)、fob777さんも少し硬直的に感情論に走っているような印象も受けます。 日本語以外についてもステレオタイプ的(←外来語ですね(笑))先入観を持ってられるようですが、この問題に興味を持つならもっと幅広くいろいろ調べて行かれたらきっと面白いと思いますよ。 >フランスは自国の文化にかなりの誇りがあると聞いたので意外でした。 この件に関してもいろいろ調べてみると面白いですよ。従来フランス語は外来語をあまり受け付けない印象があったが最近は英単語の流入が増えて国語研究所のようなところも頭を抱えているようで時々日本の新聞でもそういうことに関する記事を目にします。フランス人はフランス語にプライドを持っているので英語がしゃべれてもわざと話さないという伝説がありましたが、最近はフランスの閣僚が国際会議などで英語で演説している場面もテレビニュース(映像付き電波報道?)などで見掛けるぐらいですからいろいろ変化して来ているようです。 フランスを紹介する番組などでフランス人がしゃべっているのをよく聞いていたら英単語や英語表現がそのまま混じっていることもありますよ。 「セレブ」と「有名人、お金持ち」とは少しニュアンスが違うようにも思えますし「スタンディングオベーション」も立ち上がってのというニュアンスが欲しいところかもしれませんね。 「横文字」排除しようとしたら結局、漢語的になる場合が多いのも日本語の面白いところです。「やまと言葉」が望ましいのでしょうかね。 「中国は外来語に敏感な国ですよね。無理にでも漢字に直して表記してますし」という件ですが、従来の「外来語を取り入れる時に無理にでも意味を中国語に直す」やり方が、外国の概念をスムーズに(←外来語ですね。笑)取り入れにくくしていると最近問題視する向きもあることはご存じですか?だから最近は外国語の音をそのまま漢字に当てて外来語として取り入れる場合もあるようです。こういったことは日本の新聞記事などでも時々取り上げられています。 また、中国語の中に「和製漢語」が少なからずあることもご存じですか? http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/dd040912.htm 探せばこの件に関し、大学の中国語、中国文学などの先生が書かれたものも見つかると思います。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すいません。あまり感情的になったとは思ってないんですが(苦笑) フランスも日本と似たような状況になってるんですね。 英語以外にフランスでは日本語もちょっとだけ浸透してますね。 「可愛い」が良い代表例なんじゃないかと。 >「セレブ」と「有名人、お金持ち」とは少しニュアンスが違うようにも思えますし「スタンディングオベーション」も立ち上がってのというニュアンスが欲しいところかもしれませんね。 「スタンディングオベーション」は別に「立ち上がる」意味は含めなくても いいかなと思います。拍手していることには変わりがないので。 中国の言葉事情にしても色々参考になりました。 やはり世界でも少なからず問題になってるのですね。 これから良い勉強になります。ありがとうございました!

  • altered
  • ベストアンサー率17% (64/371)
回答No.6

私は昔に「戦争に負けた国に勝った国の文化が浸透する」みたいな 言葉を聞いてかなり納得しました。 もちろん、「漢字」のように、別に戦争してなくても入ってきた 文化もありますが。 そして、一時にせよ経済ではアメリカに勝ったことがあるらしいので (よく知りませんがw) あなたのような方が現れても不思議ではありませんが。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 別に以前はそこまで横文字の乱立に大して気にしてなかったのですが どうも最近はそれが酷くてちょっと頭を悩ましています。 日本が欧米化したことも関係があるでしょう。 元々、欧米に強い憧れがありますから・・・。 このまま行くと近い将来、まともな日本語が消えてしまう気がします。

noname#118466
noname#118466
回答No.5

外来語を使うのは別に恥ずかしいことではありません。TPOを心得ない使い方が恥ずかしいのです。まして意味を取り違えて使えば恥ずかしいことになります。 外来語そのものは奈良時代いらい漢語、中世にポルトガル語・オランダ語、幕末から英語というように何時の時代でも多かれ少なかれ使われています。ポルトガル語語源ののパン、合羽、バテレンなどは400年以上も意識されずに使われています。 一方、日本語の変化があまりに激しいため時代劇は現代語で映画化され、200年以上前のの文学作品は日本語から現代語へ翻訳しなければ一般の人には理解困難になっています。言葉は変化するものです。  無節操に外来語を使うのは良いことではありませんが、言葉は時間がたてば取捨選択、淘汰が行われるものです。国も放置しているわけではなく、外来語の言い換えを委員会で検討したりしています。言葉遣いにまで官に介入して欲しくないという日本人が多いので国としても強制はしないでしょう。 国民全てが正しい(美しい)国語を使用するのは理想ですが、 残念ながらそのような国は存在しないと思います。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >外来語を使うのは別に恥ずかしいことではありません。 日本人が恥ずかしくなくても、日本に来た外国人が見ると かなり滑稽だそうです。文法、用法がめちゃくちゃなので。 たしかに良い外来語を自分達の言葉に使用することは決して悪くはないです。 しかし、元からある言葉を無理に横文字化するのが理解出来ないんです。 時が経つにつれ、これから次々と新たな外来語が入ってくるでしょう。 ですが、必要以上にそれを受け入れ、意味も知らずに変化していくと 何が残ると思いますか?日本語の価値、意味が失われてしまいます。 どうしても必要な時は使う。必要じゃない時は使わない。 どうも日本は後者を選択せずに使いたがりますね。そこが悲しいです。

回答No.4

外来語はカタカナで書かれた辞典で日本語だと考えています。カタカナ書きの外来語は、 (1) 新たに訳語を考える必要がなく、訳語の乱立を防ぐ、 (2) 新鮮な印象を与えられる (3) 微妙なニュアンスを伝え、表現の幅を増す、 というメリットがある一方で、 (1') 聞いただけでは意味がわからないことがある、 (2') ときにはかえってチープな印象を与える (3') 外来語が氾濫するせいで、元来の日本語が相対的に隅に追いやられる というデメリットがあると思います。 質問者さまは (1')、(2')、(3') のデメリットを中心に外来語の氾濫に反対なさっているのだと思いますが、その通りだと思います。ただ、デメリットがある分、メリットもあると思います。定訳のない専門用語の場合、新鮮な印象を的確に与えられそうな場合、微妙なニュアンスをカタカナで伝えたい場合は、つまりそのカタカナ語の効果を考えたうえでなら、どんな外来語も許されることがあると考えます。 また、「あえかなり」といったような和語が日本語の響きとして美しく感じるのは、それ自体の響きもあるかと思いますが、漢語や外来語との響きの違いもあるでしょう。やはりふだん和語、漢語、外来語が混在しているなかで対比的に使われることで効果を発揮するというのは、上で述べた外来語のみならず、和語や漢語にもいえることなのだと思います。もしそうだとすると、「美しい和語」は、その文脈に対して「美しくない漢語」、「美しくない外来語」があってこそのものであって、別の文脈では「美しい漢語」や「美しい外来語」がありうると思うのです。その場合は、和語は美しくない、つまりふさわしくないものになりうるのでしょう。前菜、オル=ドゥーヴル、アントレ、フォアシュパイゼ、アンティパストは、すべて印象が違い、それぞれにふさわしい場所があると思います(日本語で使う場合は、日本語のなかでの響きが重要なのであって、原語としての響きは2の次になってくることもあるでしょう)。 ということで、氾濫は危惧すべきであるが、実際に使うかどうかは上の事情を鑑みて場合によりけりだと思っています。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私が納得出来ないのは、日本語として十分に意味が通じる言葉を なんでわざわざ横文字に変えて紛らわす必要があるのかが分からないんです。 下にも述べたように、「1点ビハインド」は「ビハインド」なんか 言わなくても「1点差」だけで十分です。 なぜこんな無意味にも横文字を使いたがるのかが理解出来ないんです。メリットよりデメリットの方が多い気がします。 ただでさえ、日本は少子高齢化社会なので横文字の氾濫は 英語に慣れていない高齢者を不安にさせるだけです。 日本語もきちんと喋れない人がどうして英語を使いこなせるでしょうか? たしかに専門用語の場合は上手く日本語に訳せないかもしれませんが そういう時は無理に直訳せずに、分かりやすい日本語に置き換えるのも 良いかなと思ってしまいます。なんだか難しい問題ですね・・・

  • totovc
  • ベストアンサー率44% (217/489)
回答No.3

まあそんなに興奮しなくても。そういうことは何十年も前から言われて来たことです。とにかく落ち着いて(笑)。 基本的には言葉は文化の高いところから低いところに流れる傾向があり、別に英語圏の文化が日本よりも高いとは言えないにせよ、日本に従来無かった概念を表す単語は新しい日本語単語を作るよりもそのまま用いられる傾向が強いように思います。 中には、「別に日本語でも言えるのに何だかカッコイイように思って外来語を使ってみる」場合もあるでしょうけど。 こういった傾向に対する批判は昔からあり、最近でも政府が一部の外来語を日本語に置き換える提案をしているようです。 「母国語に外来語が入って来る」のは多かれ少なかれどの国の言語にもあることだと思いますよ。歴史的に見てもそうです。現代でも例えばフランスでも英単語が多く混入して来ておりそれが問題視されているようです。この問題もけっこう昔からあるのですね。 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2003/groupeG_jp.htm 逆に日本語単語が外国語に入っている例もあります。 外国語を複数学ぶと、思いもかけない言語に思いもかけない言語の単語がいくつも混じっていることに気付き、古い時代の文化交流の歴史を思い起こさせられます。 別に「横文字ばかり多用したがる」とまでは思いませんが、確かに日本語で言えばいいのにと思えるところまで変な外国語まがいの単語が使われる場合が少なく無いのも事実ですね。 さて、こんな風に「美しい国語」を主張されるあなたにお願いですが、とりあえず例に挙げてられる「1点ビハインド」、「セレブになる」、「ビフォーアフター」「場内は一斉にスタンディングオベーション」、「ホワイトカラー・エグゼンプションの導入」をとりあえず『美しい日本語表現』に置き換えてみてください。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >現代でも例えばフランスでも英単語が多く混入して来ておりそれが問題視されているようです。 そうなんですか?フランスは自国の文化にかなりの誇りがあると聞いたので意外でした。 例えば、フランスではどのような英語が使われているのでしょうか? >とりあえず例に挙げてられる「1点ビハインド」、「セレブになる」、「ビフォーアフター」「場内は一斉にスタンディングオベーション」、「ホワイトカラー・エグゼンプションの導入」をとりあえず『美しい日本語表現』に置き換えてみてください。 「1点ビハインド」→「1点差」 「セレブになる」→「有名人(お金持ち)になる」 「ビフォーアフター」→「以前、以後」 「場内は一斉にスタンディングオベーション」→「場内は一斉に拍手喝采」 「ホワイトカラー・エグゼンプションの導入」→「自律的労働時間制度の導入」 日本語にすると上記のようになります。 無理に直訳しなくても(ホワイトカラー~等)十分意味は通じます。

noname#231353
noname#231353
回答No.2

日本語は非常に柔軟な言語です。 外国語の発音をそのままカタカナにするだけで、 日本語になってしまいます。 スタンディングオベーションなどの外国特有の文化に関連する場合、 外国語の微妙なニュアンスをそのまま日本語に翻訳するのが 難しい場合があります。 無理に漢字を当て字しても、正しい意味が伝わりません。 このような場合、カタカナで表すほうが正しい意味を伝えられます。 そのかわり、こういうカタカナの意味を説明するのには、 長い文章が必要になりますが。 中国語なんて大変ですよ。地名でも人名でも、 全部漢字にしなくてはいけないんですから。 外国語をカタカナにして取り込むことは、 日本語の素晴らしい面の一つです。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >スタンディングオベーションなどの外国特有の文化に関連する場合、 外国語の微妙なニュアンスをそのまま日本語に翻訳するのが 難しい場合があります。 そうでしょうか?別に直訳しなくても、日本語の近い言葉を 当てはめればそれで良いと思うのですが。 私なら、「スタンディングオベーション」は「拍手喝采」で良いと思います。 中国は外来語に敏感な国ですよね。 無理にでも漢字に直して表記してますし。でも、私はかえってそこが 自分達の文化、いうなれば中国語を大事にし、尊重していて とても好感が持てますね。別に横文字が悪いとは言いませんが、 日本語で表記できる言葉を無理に横文字化するのが納得出来ないんです。 もっと日本語に自信を持ってほしいと思います。

  • okg00
  • ベストアンサー率39% (1322/3338)
回答No.1

日本語もろくに使えない人も枚挙にいとまがないですけどね。 http://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/ 政府機関でも言い換えを検討しているところはあります。 ただの舶来崇拝文化ですから、気にはしていません。どうも思いません。 それをいうなら漢字も中国から伝来した「外来語」だと思います。日本語は変化していくモノですから、古いルールを墨守する必要は感じません。文化を守る必要はあると思いますが。

fob777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >日本語は変化していくモノですから、古いルールを墨守する必要は感じません。 そうですか・・・。そうなるとこれから先、どんどん大事な日本語が 失われていくことになりますね。自分としてはそこが寂しいです。 これが時代の流れと言われればそれまでですが・・・ たしかに日本語を使えない人が増えました。 政府も重い腰を上げて、国語力の強化へ動き出してほしいものです。

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