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宗教が信じられる理由
目に見えないものを信じられるのはどうしてでしょうか?。 宗教を信仰されている方にお聞きしたいんですが、たとえば霊能者が「人間の魂は輪廻するのだ」と言っているのを聞いている信者がうなずいているというシーンが最近テレビでよくありますが、霊能者や宗教の指導者はそれが見える能力があるからみえるのかもしれませんが、信者はそういうのが見えないのに、信じきったりしますよね。 どうして、目に見えないものを信じられるんでしょうか?
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「信じないと見えないというものは信じない」というのは理屈に合った考えです。 信じるに足りるものならば信じられるということにもつながります。 「信じているから見える。だから信じる」とは永遠にかみあいません。 筋道立てて考えるときには違った材料があれば違う結論にもなります。 材料を与えられる度に自分で考えることが要求されます。 盲目的に信じているときは、ある一つの考え方に沿って信じます。 信じる→見える→信じる …と永遠に自給自足でループします。 自分から飛び込まないと入れないし、自分から出る意志がないと出てくることがないループだと思います。 飛び込む理由は人それぞれ。 うまくするとスパイラルをえがいて上昇していくこともあるかもしれないし、思考停止に陥って同じ所をグルグル周ってしまうこともあるかも。 もとにしている立場が違うのでどちらが正しいかを論じ合ったとしても お互いの領域を荒らし合うだけでどちらもが納得することはありえません。 こんな風に考えています。
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- lady56
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信仰はないのですが。 目に見えないものを信じるのは宗教だけではないです。 小さなことでは、健康にいいといわれて飲んでいるサプリとかも実際に効果が確認できないものがけっこう多いですよ。 大きなことでも、科学的権威がこうだといえば、自分でそれを検証してみなくても(素人にはわかりませんから)信じます。
元信仰者です。 私も2さんと同様に「信じたい」のだと思います。 実際に「信じている」人というのは、実体験した人か、ただの馬鹿です。 簡単に実体験したかのように感じさせるのも洗脳の第一歩です。 どんな宗教にも、普通に信仰していれば常に疑問がつきまといます。 私は疑問だらけでしたし、いつのまにか宗教中心の価値観で世間を見ていました。 それに、宗教に支えられるのではなく周りの人に支えられているのだと思います。 昔の人はキリスト教を信じたというより、イエスを信じたのだと思います。
私的な考えを述べます。人間には第六感という感じる機能がだれにでもあると想います。夢で見る出来事、夢を見終わったと同時に目が覚めるその時頭の中には鮮明に写っていると想います。寝ている間は頭の中も世俗的なことが残っていないためだとおもいます。私もバリアを感じたことがありました。その時の心の中は邪悪な考えがなく真っ白の状態です。霊能者や宗教者の方々は自分の心を真っ白にできる気持ちの切り替えを自由に操られるのではないのでしょうか。 宗教系は広く浅く(遠浅のようにするのが良いと思います)
- tutui
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あまり信仰に熱心ではない者です。 「信じられる」のではなく「信じたい」のだと思います。 人は弱い生き物です。大きなものに守られたい、すがりたいと思います。 信じること、守られていると思うことにより安心を得ているのだと思います。そして、結果として事態の改善などを体験した人達は、さらに熱心に信仰するのでしょう。 以前勤めていた会社の新人研修で京都にある宗教団体へ合宿に行かされました。 そこには、ガンに冒されたが手術がうまくいった患者や会社が倒産しかけたが持ち直すことのできた経営者、時流に乗り一代で一介の八百屋から国際的なショッピングセンターグループを創設した方(このグループは数年前に破綻しました)まで、さまざまな「一部の人たち」が信者に名を連ねていました。
すいません。一般人です。 なんでもそうだと思うけど、結果として信じたものが宗教だとかエハラノリユキだとかするんでしょう。 この世界の中で何を信じるかはまあ自由だけど、信じたものがそういうものだと他人から見ると「あやしい」となるわけです。 宗教を信じるのが先ではなく、その人の教えとか考え方を信じることが先に来ていると思います。 なにかヒィーリングが合うのかな、と思うこの頃です。