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幻想交響曲 断頭台への行進
幻想交響曲が好きです。 ただ、この曲、よく分からないところだらけですが、 その中でも特に分からないのが4楽章の 「断頭台への行進」の部分です。 普通の感覚ですと、これからギロチン台へ行く、 という時の気分として、あんなに「ハツラツとした」音楽って 変ですよね…(^^; この訳の分からない感覚、解説して頂けないでしょうか…。
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こんにちは。 特に根拠のない妄想解説ですが(笑) ごく大ざっぱに見ると,ふたつの行進曲が交代で表れています。 1.ほとんどが下降音型の重苦しく暗い行進曲 2.シンコペーションや符点音符が多用される,過剰にハツラツとした暴力的な行進曲 他の方もおっしゃっているように,愛する人を殺し断頭台へと連行される若者(ベルリオーズの幻影)と,それを見世物として無邪気に集まってくる群衆たちの様子が強烈なコントラストで描かれているように思います。 やがて若者はどちらが自分であるのかも分からなくなるほどに混乱し,異常な興奮状態の中で自ら断頭台に立つと,その瞬間に突如愛する人の幻影が!(一瞬静まりクラリネットが彼女を象徴する旋律を奏でる部分)。 しかし,その想いを抱く事すらも許さぬかのようにギロチンは落とされ,転がる首・・・ そして,それをあざ笑うかのように高らかに響き渡る軍楽隊のファンファーレと熱狂する群集。 と,こんな感じではなかろうかと思います。 ベートーヴェンが第九で高らかに人類愛を歌ったのとほぼ同時期に作られた,恐るべき異形の作品ですので,よく分からないところだらけなのはごもっともな事だと思いますよ。
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- pyonpyon123
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「幻想交響曲」にはプログラムが組み込まれていて (ベルリオーズの実生活と部分的にかぶっているといわれます) 若い芸術家が失恋して、阿片による服毒自殺を図ります。 しかし致死量に届かなかったために一命をとりとめ 阿片による作用で奇妙な夢を見るようになります。 すべての楽章で恋人を表す主題が出てきますが 曲が進むとそれは断片的になったり変形したり 最後は下品な形になります。 作曲者(ベルリオーズ)の設定では、 全編(5楽章とも)夢によるものとする版と 第4,5楽章のみ夢によるものとする版があります。 第4楽章の大部分をはじめ幾つかの部分が 以前の作品からの流用ともされています。 第4楽章の曲想については(ここは私見ですが) 曲全体が自身の夢の描写という角度で描かれていて 処刑される者の心理描写や抒情詩というコンセプトとは違うこと、 (「罪」に対しての「刑」が存在するが、「正義」「命の尊さ」 「死刑の是非」「死への恐怖」などとは無縁の世界観?) ギロチン処刑が当時では普通に行われていたこと、 薬(阿片)による幻覚であること、 が背景にあると思います。 ちなみに歌劇「宗教裁判官」の「兵士の行進」がそっくり 使われているそうです。 また、行進曲も、堂々とはしていますが、 その先に明るい未来があるようには描かれて入るように思います。 冒頭は行進を表すテンポやリズム型が現れるも和声に暗さを残していて 全強奏の長調の部分も、暗さの裏返しの明るさというより 単純にギロチン台への全員の行進模様といえる気がします。 (上記にありますように幻想交響曲のオリジナルモチーフではありませんが)
- myeyesonly
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こんにちは。 もしかしたら、死刑の歴史も関係あるかもしれません。 現在の日本の死刑は非公開ですが、昔の磔などは公開刑場で群集の中で見世物状態で行われました。 欧米でもやはり昔は公開処刑が非常に多く、古代ローマのコロシアムまではいきませんが、やはり処刑場で公開で群集の中、行われていました。 もちろん、非公開の処刑もありましたけど。 ベルリオーズがイメージしたのはギロチンだと思われますが、この装置自体、公開処刑を美しく?簡便に行う為に考案された装置です。 なので、コロシアムよろしく、群集の中をギロチンがセットしてある壇上に引き立てられていく時の群集の歓声をイメージしたのかもしれません。
- simazuka
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幻想交響曲は一つのストーリーになっていますよね。 断頭台への行進は夢の中で 思いをよせた一人の女性を殺してしまって 死刑になるわけですが その際、引っ立てられていく荒々しい様子を客観的に と同時にベルリオーズの興奮した内面を主観的に表しているのでは ないでしょうか! 死刑になる直前、彼女のことを思うが ジャン!と断ち切られてしまう。 そして狂ってしまうかのような5楽章。 こういう流れの中で必要だったのでは 鬱々と狂うのではなく 暴れて狂うイメージが必要だったのでは?