• 締切済み

なぜ、愛する対象が国なのか?

教育基本法改正に関して。 私達は日本人ですが、それぞれの地方にも属しており、またアジア人の一員でもあります。さらにいうと地球人でもあります。 郷土愛、愛国、アジアを愛する、人類愛・・・ いろいろある中で、何故、国を愛するという気持ちを政治家の一部はいうのでしょうか? 愛国心を言う人の多くは、近隣諸国を悪く言う人が多いようにも思います。 それならば、国という小さな単位でなく、人類愛や地球愛の方が良いのではないでしょうか? なぜ、国なのか? 回答お願いします。

みんなの回答

  • pixc4
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回答No.29

No.9 のお礼 > 先にもお礼として書きましたが、「国を大事に思う気持ちを > 持つこと」自体は問題ではないと考えます。 > (政策として縛ることは問題だと思いますが)  他の回答者も含めてですが、あなたは恐らく教育基本法の改正案を読んでいませんね。  参考 URL に電子政府のサイトを上げておきます。ここの「国会提出法案」というリンクから、国会提出中、つまり審議中の法案を読めます。  ほんとは自分で探して欲しい所ですが、探しやすいわけでもないので、ダイレクトリンクも下に示しておきましょう。 http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/003.htm  愛国心という概念が出てくるのは、以下に全文を挙げますが、第二条第五項のみ。 「五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」  はっきり言って、これを読んだ上でなお「政策としての愛国心」なんてことを言ってると読み取る人は、左翼の極みです。  結論として、あなたは誰かに騙されています。  あなたが教育基本法の改正案で「政策としての愛国心」を言っていると思い込んでしまったのは、誰に吹き込まれたからでしょうか?  その人物こそが、日本の左傾化を維持し続けて、日本を滅ぼそうとしている活動の首謀者グループの一人か、その手先です。

参考URL:
http://www.e-gov.go.jp/
date_kansin
質問者

お礼

>結論として、あなたは誰かに騙されています。 >その人物こそが、日本の左傾化を維持し続けて、 >日本を滅ぼそうとしている活動の首謀者グループの一人か、 >その手先です。 あなたの想像は全くの見当違いです。 なぜなら、自分自身で考えたものだからです。 私の学校には、左翼的な考えの先生、右翼的な考えの先生両方いましたが、両方嫌いでした。 自分の思想を植えつけようとする先生は嫌いです。 歴史や現代社会のありのままの姿を教えてほしいだけです。 あとは自分で判断するので。 というわけで、先生が右にしろ左にしろ、自分の考えを押し付けるといった態度は教育上良くないと思います。 教育基本法改正は、国家がそれをやろうとしているから問題だと思います。 回答ありがとうございました。

  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.28

外交と愛国心 私は、国内的にも愛国心は有用だと思いますが、外交面でも日本が日本の利益を考える愛国は必要不可欠だと思います。 人類愛だ地球愛だと表向きで奇麗事を言っても人間の本質は利己主義です。他人との交渉では、建前と本音が一致しなければ、本音も建前も意味を成さないです。 無償の善意では本当の意味で相手の利益にもならないのです。ですから、まずは日本は日本の国益を追求するべきです。 ODAで例えます。 今まで行なわれてきた数々のODAが効率的に行なえなかったのは、無償(金銭的な無償ではなく見返りを求めないと言う意味での無償)だったからこそ、計画がずさんになり、そこに様々な思惑が入り込む余地が出来てしまったからです。 そうではなく、もっと日本の国益になるような援助の仕方を考えればもっと相手国のためにもなるのです。 ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行は決して無償の援助ではありません。年率25%の利子、連帯保証人、厳しい取立てなど、日本で行なえば警察沙汰になりかねない有償の銀行ですし、実際にかなりの利益も挙げ事業も大きく拡大しています。 しかし実際はそれで貧困から抜け出せた人が大勢居るのです。 このように無償の援助よりも有償の取引の方が遥かに相手の為になるのです。経済とはゼロサム(誰かが得は、誰かの損)ではありません、プラスサム(日々拡大するモノ)なのです。経済には本来そういう要素が内蔵されているのです。 ですから日本も、まずは日本の国益を追求するべきなのです。 外交で例えます。 今回の阿部総理の中国との首脳会談でも同じ事を言っていたと思います。日中友好など奇麗事を言うよりも共益や戦略的互恵関係と言う方が100倍効果がありますし、結果として日中友好もせざるを得ない状況になるのです。 (日米欧の企業が次々と進出したので結果として、日本や米国が中国と戦争をする可能性は0になりました) まさしくNo23さんのいうとおり 国益は他国に対して優位に立たねば得られないものではなく、排他主義によってしか自国愛は保てないのものでもありません。 他国との協調のもとにWin-Winの関係を築くことが、むしろ最も大きなメリットをもたらすのです。 しかし 『いま掲げられている「愛国心教育」は果たして他国との協調をもたらすのかどうか、正直なところ心配です。』 これは、間違いです。 まず様々な国家の代表者が集う国際社会では、自己主張しなければ無視されるだけです。 次に国益をやり取りする外交の場では自国の利益をまず最初に考えるのが当然です、それが基本的絶対的ルールなのです。当然相手もそのようなスタンスで来ます。そんな中日本だけが地球愛など奇麗事を言っても協調にはならないのです。 (当然日本が地球愛を唱えるから他国もそうするべきだという、傲慢な主張を聞いてくれるような国はどこにもありません。) 外交とは取引です。取引とは両者にメリットがあるから成立するのです。 私は、今までのように地球愛などと奇麗事をほざき、でも本当は損をしたくないから実質的な取引(外交)を殆どしないよりも、自国の利益をまず考え活発な取引(外交)をし取引量を増やした方が結果として人類の為になるのです。 なぜなら自国の利益『だけ』を考えるような国と取引をしたがる国は居ませんので、取引をするには結果として相手の国の利益を考える必要があるからです。 外交に限らず取引とはそういうものです。 それを怠った米国が今そのツケを払わされているのを見れば、それは分かると思います。 ですからどの国もまずは自国のことを第一に考えるべきなのです。 同じ地球愛を語るにも、『地球に迷惑をかけるとあなたの国にもこんな損が出るから、地球に迷惑をかけてはいけない』というべきですし、実際にそうしているのです。 繰り返しますが、最初から地球市民などという奇麗事を言っても誰も相手にしません。 どの国でも多くの国民は『地球なんかよりも俺の生活を何とかしろ』と思っていますし、それは当然の事だと思います。そういう当然の意見を『地球愛』などという奇麗事で独善的に押しつぶすのは民主主義として間違っています。 それよりもむしろ相手の利己主義を認めて『地球を守らないとあなたの生活はもっと苦しくなる、地球を守れることはあなたの利益になる』と、相手の利己主義に訴えかけて説得をするべきなのです。それが民主主義です。 これは相手が国家でも国民でも同じ事です。ですから地球のためにも人類のためにも日本が日本の利益を考える愛国は必要不可欠です。

date_kansin
質問者

お礼

お互いの利己主義で外交が動いていることには納得です。 ただ、 >『地球を守らないとあなたの生活はもっと苦しくなる、地球を守れることはあなたの利益になる』 と言っても、アメリカは自国の国益のみのために京都議定書に調印しませんでした。 中国も経済発展のために工場から汚染物質を流しています。 それそれの国が、自分の国益のみを考えることが、本当に世界のためになるのかどうかは疑問です。 回答ありがとうございました。

noname#41856
noname#41856
回答No.27

お気持はよく分かりますが、一言。 国を愛する = 近隣諸国に対して敵意を抱く 国を愛さない = 近隣諸国に対して友好的である は全くもって論理的になりたちません。 実際私は日本は大好きですし、 一方で中国、韓国に対しては尊敬の念を抱いております。 傾向がある、といいますが、 もしそのように主張されるのでしたら、 事実として、誰が実際にどのような発言をしているのかお教え頂けますでしょうか? ちなみに、誰が国を愛しているかなどは、 その人の内面の問題であり、私個人としては特定することはできません。 愛国心は、兄弟愛、家族愛、地域愛、人類愛、地球愛とかりに整理した場合、地域愛と人類愛の中間に位置し、それを結びつける一つのファクターと見ることができるかと思います。私にしてみると、地域愛から人類愛へ極端に飛躍しているような気がしますので、そこに愛国心が入ってきてもなんら不思議に感じません。 また、愛国心=大日本帝国時代の帝国主義的性格を助長する考え、と短絡的に主張される方がいるかと思いますが、こちらも論理的には成り立ちません。この時代に愛国心を持ったからといって、先の旧日本のような思想に傾倒していくような、そんな人はまず皆無だと思います。 愛国心があればこそ、世界の平和を願うのです。なぜなら自分の国を危険に晒すような人が、本当の愛国心を持っているとはいえないのではないでしょうか?私はそう思います。 また、下記の解答の中に、 「徴兵制」が記載されていますが、 こうした発言は何度も目にしますが、本当にそう思っている人がいるのでしたら、私はびっくりします。 現在の日本の国の成り立ちを考えた際に、誰が徴兵制を望むのでしょうか?ただでさえ労働人口の問題、国の財政状況が逼迫している中で、働き盛りの20代の若者を訓練に駆り立てることが国にとっていかなるメリットがあるのかご説明頂けました幸いです。 実際に為政者でそのような発言をされている人がいたらお教え頂けますでしょうか?議論はしても良いかと思いますが、まずもって現実的な話をはいえないでしょう。

date_kansin
質問者

お礼

>国を愛する = 近隣諸国に対して敵意を抱く >国を愛さない = 近隣諸国に対して友好的である >は全くもって論理的になりたちません。 そうではありませんよ。 >愛国心を言う人の多くは、近隣諸国を悪く言う人が多いようにも思います。 なので、日本を愛していて近隣諸国も愛している人ももちろんいますし、 日本を愛さない人で近隣諸国を愛していない人ももちろんいるでしょう。 >愛国心=大日本帝国時代の帝国主義的性格を助長する考え、 >と短絡的に主張される方がいるかと思いますが、 >こちらも論理的には成り立ちません。 >この時代に愛国心を持ったからといって、 >先の旧日本のような思想に傾倒していくような、 >そんな人はまず皆無だと思います。 皆無かどうかはわかりませんが、 確かに、現代は大日本帝国時代とは全く社会状況が違うのは事実です。 大日本帝国時代の愛国心は体制を愛せよという性格があったと思います。 そこらへんも、現在とは違います。 >現在の日本の国の成り立ちを考えた際に、誰が徴兵制を望むのでしょうか? そうですね。 政治家が徴兵制を考えているとまでは思えないです。 回答ありがとうございました。

  • Keiko816
  • ベストアンサー率42% (268/632)
回答No.26

#11です。 >家族を愛せば地域も愛せる、地域を愛せば国も愛せる、国を愛せばアジアも愛せる、アジアを愛せば世界も愛せる という考え方には疑問を持ちます。 家族を愛せば国も愛せるとは言っていません。 家族を愛せない人に地域も国も愛せないと言っているので、逆もまた真なりではありません。 いくら家族を愛しても地域や国を愛せないことはたくさんあります。 自分の家族さえよければいい、自分の地域さえよければいいという考えのほうがむしろ多いと思いますし、蔓延しているとも言えます。 個人のエゴイズムから、家族的エゴイズム、地域的エゴイズム、国家的エゴイズム、宗教的エゴイズム、等々、それが争いを生んでいます。 丁寧なお礼、ありがとうございました。

date_kansin
質問者

お礼

>家族を愛せば国も愛せるとは言っていません。 >家族を愛せない人に地域も国も愛せないと言っているので、 >逆もまた真なりではありません。 了解しました。 >自分の家族さえよければいい、 >自分の地域さえよければいいという考えのほうが >むしろ多いと思いますし、蔓延しているとも言えます。 >個人のエゴイズムから、 >家族的エゴイズム、 >地域的エゴイズム、 >国家的エゴイズム、 >宗教的エゴイズム、等々、それが争いを生んでいます。 その通りだと思います。 宗教的エゴイズムはホント解決の糸口が見えてこないですね。 日本ではそれほど大きな問題にはなりませんが、中東は複雑ですからね。 自分の宗教の神を愛することが、他の宗教との争いを生んでいるんですね。 回答ありがとうございました。

noname#70326
noname#70326
回答No.25

日本は国権の発動者(為政者)を、日本国籍を有する人間により普通選挙で選ぶ民主主義国家です。 ですから、国に人格があるとすれば、日本は「国民の意思により作り上げられた集合体(法人)」です。 民主主義国家において為政者というのは、多数の国民の意思を代弁しているに過ぎません。自民党が愛国心を機軸とし教育基本法を改正しようと考えていることは現政権が組閣されるずっと以前から国民は知っていた事であり、その自民党国会議員が選挙で多数を占めているわけですから、愛国心を機軸とする教育基本法改正は多くの国民が望んでいることということになるのです。 あなたが愛国心を機軸とする教育基本法改正に反対するのは自由ですが、民主主義国家とは多くの国民の意見を国策に反映させることが国家の目的なのですから、これを受け入れられないなら、日本国民を止めるしかありません。 >なぜ国なのか あなたが、「国」というものにこれだけこだわっているということが、全てを物語っているのですよ。 それだけ、国民の幸福を守る手段としてかけがえのないものとなっているのでしょう。 そして、そういうかけがえのない「国」というものをないがしろにする傾向が、特に若い人を中心として増加してきており、多くの国民の懸念材料になっている。 これが、今回の法改正の理由です。 そもそも愛国心などというものは家庭教育の中で自然に芽生えているはずなのですが、どういうわけか学校の中でこれを否定するような教育がなされてきているんですね。私も3人の子の親ですが、中学生位になると、日本に対するマイナスイメージばかりが口をついてでてきます。おそらく公教育の現場では、社会主義に洗脳された多くの教員が蔓延っているのでしょう。 >国という小さな単位でなく、人類愛や地球愛の方が良いのではないでしょうか? 法と言うのは国が作るんですから、国を対象とするのが常識でしょう。法を制定するということは、国家がこのことに対する義務を背負うことになるんですよ。「人類愛」などという不確かなものを実現するために法律を作って多くの税金を使うことに国民が納得すると思いますか? 「人類愛」を国の法律としたいのならば、法制化が国民にどんなメリットをもたらすのかを説明する義務があると思います。

date_kansin
質問者

お礼

国民が選出した国会議員が法律を決めるのが民主主義ですが、 その法案に反対の人は、国民をやめるしかない、というのは本当の民主主義ではないと思います。 >私も3人の子の親ですが、中学生位になると、 >日本に対するマイナスイメージばかりが口をついてでてきます。 >おそらく公教育の現場では、社会主義に洗脳された >多くの教員が蔓延っているのでしょう。 日本に対するマイナスイメージというのは、日本社会全体が確かにおかしくなっているという現実もあるでしょうし、また、マスコミが悪い事件ばかりを報道していい出来事を報道する時間が少ないのもあるでしょう。 私は、特許を扱っているので、日本の科学技術の素晴らしさ、技術者のレベルの高さにいつも驚かされます。 しかし、凶悪な事件が連日報道されると、今の日本社会は全体的におかしいのでは?という感想も持ちます。 公教育の現場の先生の多くが思想的に左よりであるというのは、 自分も感じたことがあります。 特に高校の社会科の先生の多くは左よりでしたね。 それに対し、国語の先生は右よりでした。(個人的な経験ですが) 自分の経験では、現代社会と世界史の授業では、先生の思想がそのまま授業に表れるという印象は持ちませんでした。 日本史の授業では、先生の思想が授業に表れていて、良い印象はなかったです。 また、国語の先生が国語の授業とは関係なく授業中に日の丸・君が代問題を右よりの視点から話し始めて、良くないと思いました。 教育現場の先生方(特に社会科の先生)に社会主義的思想の傾向があることは事実だと思います。 そして、自分の思想を強く押し出すような授業は良くないと思います。 しかし、だからと言って、右よりの思想を強く押し出す授業にも反対です。 一つの歴史的事件に対して、2つの見方があれば、2つ紹介するのが僕はいいアイデアだと思っています。 >「人類愛」を国の法律としたいのならば、 >法制化が国民にどんなメリットをもたらすのかを >説明する義務があると思います。 確かに、人類愛を法制化は難しいですね。 人類愛は悪くはないと思いますが、法律で決める必要はないですね。 ただ、同じように、家族愛、地域愛、愛国心など人間の内面にかかわることを法律で縛る必要はないとも思います。 回答ありがとうございました。

回答No.24

本当あなたの言う通り。 まあ、日本の為に働くという意識をもってすれば日本がレベルの高い国になりやすいからでしょうね。 でもこういった国単位の考え方が結果的に差別や戦争とか、破滅への道しるべになっているところもあるだろう思います。 人類はみな同じです、その国の人によって考え方が違うのはその地域の文化や習慣が違うからで、白人が日本に生まれたなら見た目こそ違うけど「日本人」になるでしょう。

date_kansin
質問者

お礼

>日本の為に働くという意識をもってすれば日本がレベルの高い国になりやすいからでしょうね。 ここらへん、私はどうなのか正直わかりません。 「愛国心を持って働けばその国のレベルが上がるのか?」 レベルと言ってもいろいろあると思いますが、 例えば、経済や技術面のレベルは日本はかなり高い方ですが、 特に技術者が国のために研究した人ばかりだとはとても思えないです。 研究意欲のため、生活のため、家族のため、会社のためなどなど他にもいろいろありそうです。 また、愛国心を強要されている北朝鮮の国としてのレベルが高いか低いかと言ったら、低いとなるでしょう。 >国単位の考え方が結果的に差別や戦争とか、破滅への道しるべになっているところもあるだろう思います。 そうですね。 国単位だけで考えてはならないこともあると思います。 (環境問題、戦争など) 回答ありがとうございました。

  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.23

意見の相違はあるものの、こちらの話を真面目に聞いてくださったことに感謝します。 しかし意見の相違はあるので、そちらの反論に再反論させていただきます。 まず、人は愛せといわれても愛せない、という立場で語るならば、地球愛を語るのも無意味ですし、先の戦争で生まれた愛国心は自然に湧き出たものだという事になります。 私はそうは思いません。愛というのは、心の問題です。心というのは感情の事です。心(感情)と頭と体は繋がっています。 そして自分はある存在によって利益を得ていると頭で認識をすれば心(感情)だって変わってきます。人間と言うのは、そういう本能を持っている生き物です。男女の恋愛ですら、相手を恋愛対象としてみるかどうかにの年収を参考にする人は少なくないでしょう。 心(感情)というのは尊重されるべきものですが、絶対的な主体性を持っているわけでは有りません。 次に愛国心を危険だという意見は、確かに無視できないです。 しかし、それはやり方の問題だと思います。失敗した時の影響も大きいですが、規律ある集団行動を行なうためには極めて有効な本能(習性?)である事も事実です。 どんな薬だって使い方を間違えれば毒になるように、あの時は愛国心の用法を間違えただけだと思います。今度はその失敗を踏まえて、失敗しないように利用するべきだと思います。 そして、大戦に突入して行った原因の一つが愛国心の暴走だというのはその通りだと思います。しかし私は、黒船来襲以来、日本があの状況から愛国心無しに植民地支配から逃れられたと思いません。 また今まで数千年もの間まともに外国と付き合った事がなかった日本が突然何百年も戦争と外交を繰り返してきた、国際社会に飛び込んだのですから、ちょっと勝ったくらいで舞い上がって勘違いしてしまったのもある意味仕方のない事だったと思います。しかし、9条を60年も守り続けた安定的な今の日本ならそういう心配も少ないと思います。 こういう愛国心の功績や過去と現在の状況の違いを無視して、愛国心の悪い面だけに注目するのは、私はフェアだとは思えません。 さて次に宗教として愛国心を考えた時。 >国を愛しても良いし、愛さなくてもいいとなります というのは、その通りです。 (『感謝するべきだとも思っています』というのは私の個人的意見です/ややこしくてすみません) 私は、時間割の『愛国』という時間に『私は国を愛しています!!!』と叫ばせ、『愛国度』を成績表に記せと言っているわけでは有りません。『自分たちは日本という国に世話になっている事実は教えておくべきだ』と言っているのです。 人は自分とその家族だけに支えられているのではないというのは、まぎれもない事実です。今のこの生活は今まで数多くの日本人が一生懸命働いた上に成り立っているという事を教えるべきなのです。そういう当たり前の事を教えれば日本や社会に対する考え方も変わるでしょう。 こんなこと言われずとも分かっていると思うかもしれませんが、全ての人間が分かっているわけではないのも事実です。 人間は言われなければ気付かない生き物ですし、気付いていても言われなければ分からない生き物なのです。 自発的に考えろと、ただ放置をしているだけでは何も考えないという人も多く居る事ということを認識しなくてはいけません。自発的に考えるためにも、日本という国を考えさせる機会をあたえる必要があると思います。 そうして、正しい愛国を学ばせる事が、誤った愛国心の暴走を防ぐ事にも繋がるのだと思います。 以上が私の意見です。 私の相手は質問者さん一人ですが、質問者さんの相手は沢山いますので、無理な返答は控えてくださって結構です。質問者さんが私の話を真面目に聞いてくれただけで十分です。

date_kansin
質問者

お礼

>人は愛せといわれても愛せない、という立場で語るならば、 >地球愛を語るのも無意味ですし、 >先の戦争で生まれた愛国心は自然に湧き出たものだという事になります。 これは私の例えが悪かったです。訂正します。 愛国心が毒にも薬にもなる、というのに同感です。 私は、幕末維新の成功は日本を列強の侵略から守らなければ、という愛国心があったために成功したのだと思います。 しかし、「愛国心を利用する」という考え方は、私にはできません。 私は為政者ではないので、利用される側です。 なんだか為政者の思惑通りコントロールされるのはどういうものでしょうかね? >『愛国度』を成績表に記せと言っているわけでは有りません。 >『自分たちは日本という国に世話になっている事実は >教えておくべきだ』と言っているのです。 これも同感です。 日本社会をありのまま伝えるべきでしょう。 私たちは、日本という国に大変お世話になっているという事実、 ただ、反面、税金の無駄使い、公務員の不祥事等悪い面も包み隠さず伝えるべきだと思います。 (中国・北朝鮮政府よりは日本の方が情報公開があるので良いと思います) 多少の意見の相違はあるものの、大変丁寧に回答していただいて感謝しています。 ありがとうございました。

回答No.22

素朴な意味で「愛」とは心的な状態、つまり人の心の内を表す単語なので、そもそも他人からとやかく言えるようなものではないと思います。 愛しているかどうかというのは読心術でもなければ、本人以外には知り得ないはずです。 しかしいま話題になっている「愛国心」というのは人間の内面のレベルの話ではないようです。 実のところ教育基本法改正で求めているのは「愛国心」ではなく、「愛国的行動」なのでしょう。 行為をともなわない、単なる「愛」など政治家たちは求めていないでしょう。 カタチある「愛」、「愛」に基づく献身をこそ国民に求めていると考えるのが素直な解釈だと思います。 「日本国を愛するなら●●しなさい」 「愛国者なら■■するはずだ」 「あなたはどうやって愛国心を表すのか」 「そんなことをするなんて、あなたは日本を愛していないのか」 「愛国心を持たないなら日本から出て行け」 ↑以上のようなセリフを今後、学校現場で使えるようにしようというのが狙いでしょう。 ●●や■■にどんな言葉を入れるかは、まだ推測の域をでませんが…いろいろと使い勝手はよさそうです。 第二次世界大戦当時に比べれば、日本の現状はずいぶんと平和になりました。 しかし周辺国と必ずしも良好な関係とはいえません。何かにつけて諍いの種は尽きません。 拉致問題や領土問題だけでなく、経済競争や貿易摩擦、文化的衝突などが現在進行形で存在します。 このようなときに相手の立場を忖度するよりも、まずは身内の益を疑問をさしはさむことなく主張できる国民を増やしておきたい、そのような意図が政治家にあっても不思議ではないでしょう。 また外敵の存在は、身内の団結力を手っとり早く強化するのには好都合です。 愛国心の涵養は、以上のようなコンテキストで求められているのではないかと思います。 (ここからは私見です) しかし国益は他国に対して優位に立たねば得られないものでしょうか。 排他主義によってしか自国愛は保てないのでしょうか。 私は違うと思います。 他国との協調のもとにWin-Winの関係を築くことが、むしろ最も大きなメリットをもたらすはずです。 いま掲げられている「愛国心教育」は果たして他国との協調をもたらすのかどうか、正直なところ心配です。

date_kansin
質問者

お礼

・心の中のことは他人からとやかく言われることではない ・「愛国的行動」を為政者は求めている ・>「愛国者なら■■するはずだ」 ・>「愛国心を持たないなら日本から出て行け」 >相手の立場を忖度するよりも、 >まずは身内の益を疑問をさしはさむことなく >主張できる国民を増やしておきたい、 >そのような意図が政治家にあっても不思議ではないでしょう。 >他国との協調のもとにWin-Winの関係を築くことが、 >むしろ最も大きなメリットをもたらすはずです。 素晴らしいですね。全く異論を挟む余地がありません。 その通り、 他国との協調をもとにWin-Winの関係を築くことが大事だと読んでいて思いました。 「愛国心教育」が排他的愛国心となって他国との協調を考えないような人間が増えると困りますね。 大変参考になりました。回答ありがとうございます。

回答No.21

おっしゃるとおりです。愛に枠はつけられません。枠をつけるのは、国、都道府県、市町村、家、部屋と、内向きな方向に進み、最後に自分となります。つまり自分を愛する、自己愛のカタチをぼやかしたモノです。結局は自己愛なんですね。 国は、いろんな要素があり、どこを切り取るかで意味合いが変わります。愛も、ハッキリとはしていません。ハッキリとしていないモノは、いかようにも使えますよ。とくに愛は、”素晴らしい”とか”正しい”という、良い意味を持ちます。さらに、”属する”意味合いも持ちます。コレの要素が使えるんです。 教育で国を愛するとなると、いろんな要素の中から、ある方向性を示す必要があります。そして、愛の要素。その方向性に賛同する者は、”すばらしい””正しい”そして、”属している”となります。ココで一つ重要なこと。それをやらないニンゲンは、”素晴らしくない””正しくない””属してない”というコトにもなるんです。 つまり、言う通りにしない人間は、属していない”非国民”である。この国から出て行け!とまで、最悪、出来てしまいます。 ハッキリしなければ、どんな方向にもいけます。最後に国というのをつけるだけで、どの方向にも導けるんです。つまりイイナリに出来るんです。出来ない人間は非国民として、迫害できます。圧力でイイナリにするんですね。 愛コク心は、支配する側にはとっても都合のいい、発明品なんですね。みんな、ハッキリしない中で、イイナリに出来ますから。

date_kansin
質問者

お礼

なるほど、支配する側から考えればわかりやすいですね。 “愛していない人間”は“属していない” “属していない”人は“非国民”なので“この国から出て行け” ですか。。。 みんな追い出されるのは嫌なので、愛国心を持っていないとは言わないでしょうね。 私は愛国心は自然とわき上がってくるものは正常だと思いますが、 為政者によって何らかの思惑のある愛国心教育は、やはりおかしいと思います。 回答ありがとうございました。

  • lvmhyamzn
  • ベストアンサー率8% (50/617)
回答No.20

当たり前のことです。 法律が国単位だからです。 国の法律に九州を愛しなさいとか、北海道とかと書けるはずがありません。 日本という国単位が非常にまっとうですね。 「アジアを愛する」これはもしかして大東亜共栄圏を目指しているのでしょうか?

date_kansin
質問者

お礼

>「アジアを愛する」これはもしかして大東亜共栄圏を目指しているのでしょうか? 大東亜共栄圏の構想が「アジアを愛する」ことではなかったことは、 アジア諸国への侵略戦争だったことを考えると簡単です。 回答ありがとうございました。