• 締切済み

文化の違いでしょうか?

自閉症や発達障害といった、障害を抱えておられる方と健常者の方とでは、その場面場面に合った行動ができませんよね?また、その場面場面での意味の取り方にも違いがでてきますね。 こういう場合、自閉症児と健常者とでは文化が違うといっていいんでしょうか??

みんなの回答

  • baka_inu
  • ベストアンサー率58% (148/254)
回答No.6

はじめまして。 >自閉症や発達障害といった、障害を抱えて >おられる方と健常者の方とでは、その場面 >場面に合った行動ができませんよね? >また、その場面場面での意味の取り方にも >違いがでてきますね。 発達障害の性質によって違いはありますが、ご質問の対象を広汎性発達障害(いわゆる自閉症)の方に限れば、これは認知のゆがみが問題だと考えられています。入力面が障害されているので、判断が適切に行われず、結果として行動異常につながるという考え方です。 実例を挙げます。 触れられることを極端にいやがる自閉児がいます。その子の触覚入力は、他の人よりはるかに敏感で、触れられると激痛が走ったように感じてしまうのです。なので、ある子は触られると泣き出したり、おびえたように逃げたり、普段からかかとをつけないで歩いたり、といった行動に現れます。 何が原因なのか、本人は語れないことが多いです。周囲が様子を見ながら原因を推測し、ある程度整理していかねばなりません。聴覚過敏のため、遠くのトラックの走行音に泣いている子供に対して、身体接触を控えても意味はないのです。 別の例です。 ある本に、アスペルガー症候群の方が語った話があります。 ホテルの部屋にあるアンケートに、「お客様の声をお聞かせ下さい」と書いてあるのを見て、「わ~っ!」と紙に向かって声を出したそうです。その後、なんか違うな、と思ったとおっしゃっていましたが…。 ちなみに、この本です。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4907725485/sr=11-1/qid=1164024813/ref=sr_11_1/503-5168448-5795153 おそらく認知のゆがみ等の障害特性から来るのだと思いますが、ふくみのある文章が理解できなかったり、暗黙の了解が通じないといったことが多いです。 こういったことを、文化の違いとお思いになるかどうか、という話ですね。 文化の違いによる行動の違いというのは、おそらく、同一の入力がされた場合に、異なる考え方・をもとに異なる判断・行動をするというものではないでしょうか。 外国で生まれ育った方と日本で生まれ育った方との行動や考え方の違いが、その一種だと思います。 上記の二者を比べて、文化の違いとは思えない、というのが、私の考えです。 単なる行動様式の違いとすれば、文化の違いと言えなくもないでしょうが…。 ただ、そういった自閉症特有の認知様式を尊重する意味で、「文化の違い」という考え方も取り得るでしょうし、そういう視点での意見は、私にも理解できます。 といったところですが、いかがでしょうか?

  • konntya
  • ベストアンサー率20% (8/39)
回答No.5

以前、手話教室に行っていたときに、聴覚障害の方が講師をしていて、こんな話をしてくれました。同じ文を手話で通訳するとき、健聴者と聴覚障害者とではその表現の仕方が違う。それは日本語と英語が違うように、聴覚障害者と健聴者の言葉には文化の違いがあるととらえて欲しい、と。同じしぐさでも文化によって全く違う意味になってしまうこともあります。そういったことを考えれば自閉症の方が捉えている世界の感じ方とそうでない人が捉えている世界の感じ方は違うので文化が違うと言うとらえかたをしてもいいのではないかと思います。 こういう場面では自閉でない人はこういう風に考える、などということを伝えることで自閉症の方も健常者の社会を理解していける部分はあります。健常者の人も自閉の人はこんな風に物事を捉えるということを知ることで理解していける部分があります。大事なことは違うからこそ理解しあえたときの喜びが大きいということではないでしょうか。それは障害のある、無しにかかわらず、外国の方とでもそうですし、初めて出会った人に対してもそうですよね。

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.4

障がいのあるなしにこだわるのは往々にして誤解の元です。 いわゆる「健常者」同士でも「場面場面での意味の取り方にも違いがでて」くることは多々あります。 人は、自分の脳の中に、自分だけの「辞書」を持っています。 性格や家庭環境や年齢や発達障がいなどによって、同じ言葉でも、脳内「辞書」によって、意味は少しずつ異なっているものです。 学校やメディアの言葉は、多くの人の脳内「辞書」の共通と思われる意味で使われているに過ぎません。 だから、人は、相手の「辞書」の中身を推測しながら、自分の「辞書」に翻訳して対話を行う必要が、本来はあるのです。 相手が誰であっても、同じ言葉を同じ意味で使っているという思い込みは、トラブルのもとであるということに御注意ください。

回答No.3

最初タイトルを見て、外国人とのトラブルかと思いました。 「文化」というのは、人間が意図的に作り上げてきた環境や考え方ですし、 「文化の違う」外国人と日本人の場合、お互いがお互いの文化を理解することで、ある程度の歩み寄りは可能です。共生ですね。 でも、障害がある人の側が障害のない人を理解し歩み寄る…というのは、ちょっと変ですし、無理ですよね。 だから、状況によって変更のきく「文化の違い」とは違うと思います。 「世界観の違い」「見方の違い」「感じ方の違い」だったらいいんじゃないでしょうか。

  • ayamame
  • ベストアンサー率21% (24/111)
回答No.2

とある辞書で調べたら 「人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた  有形・無形の成果の総体。」 とありました。 この場合、文化という言葉にあてはめられなくも無いかもしれませんが 私の受ける感じだと、そこまで大げさでないように思います。 また、もし自分が障害を持っている本人や家族であると想像すると 文化が違うと言われると、いい感じは受けないと思います。 立場(おかれている状況)が違う、考え方が違う などではいかがでしょうか? (これも、もし不快にさせる表現でしたら、すいません。。。)

  • lookfor
  • ベストアンサー率25% (52/205)
回答No.1

余り適切な表現ではないと存じます。 障害をお持ちの方がお聞きになれば、怒られる方、親御さんもいらっしゃられるでしょう。 適切な単語は思いつきませんが。 お使いにならない方がよろしいのではないでしょうか?

関連するQ&A