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現実不信の危険・・・
皆様も周囲から「新聞やニュースで毎日、世の中をキチンを熟知しなさい!」って言われることが多いかと思います。 私も最初(20代前半)はそのつもりでいろいろと社会情勢について関心を持ってきました。 しかし、現実社会はウソ・騙し・卑怯・裏切り・不平等・正直者だけがバカをみる・守銭奴・・・現実不信や不安をあおることばかりで、気がつけば同世代の連中はすっかり「酒場や家庭で現実への不満や愚痴をこぼすだけ」という姿になってしまい、所謂「こんな大人にはなりたくない」と言われるような状況です。現実を知れば知るほど、なんか裏切られたような重い気分になってきます。 現実の事件や政治経済とかは、深追いせずに要点を押さえる程度の理解で十分だと思うんです。 私的には、現実を知り過ぎて凹むよりも自分の夢を追いかけて明るく生き生きしている自分でありたいと思うんですが、皆さんの考えはいかがですか?
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そうですね・・・ >現実を知り過ぎて凹む のではなく、 現実を知り過ぎても、なおその彼方に希望の光を見いだし、 >自分の夢を追いかけて明るく生き生きしている自分でありたい のが、私の考えです。 現実に目を背けても何も生まれてこないと思います。
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- kyoutoukyo
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質問者さんの夢の世界にはウソ・騙し・卑怯者がたまたま多かったのではないのですか。 詐欺師集団たちの中にいれば、ウソ・騙しが当たり前の現実ですから。 それでも夢を追いかけるのであれば、相当な精神力が必要かも。
40代、妻子持ちです。 「現実社会はウソ・騙し・卑怯・裏切り・不平等・正直者だけがバカをみる・守銭奴・・・現実不信や不安をあおることばかり」でしょうか? 本当に? 確かに、そうしたこともたくさんあります。けれど、その一方で、そんな世の中でありながらすばらしい出来事や人間もたくさんあります。悪いことが百あれば、よいことも百あるはずだと思うのです。 例えば、不正を働いた公務員が報道されます。「世の中、真面目なやつがバカを見るな」と思います。が、何か忘れてはいませんか? 不正を働いた人間の何百倍、何千倍もの真面目な人間が世の中にはいるんだ、ということをです。 不正は大きく報道されます。が、真面目であること、正しくあることは、それ自体ではほとんど報道されることはありません。「悪いこと」はすぐにニュースになりますが、「よいこと」は滅多にニュースにはなりません。だから、気をつけていないと「世の中は悪いことだらけ」と感じてしまいます。が、そうではないでしょう。悪いことは滅多にないから、たまにあるとニュースになるのでしょう? よいこと、すばらしいこと、美しいことというのは、実はそれを見つけるためにある種の能力が必要です。同じ景色を見ても、そこから悪いものだけを見つける人もいれば、よいことを見つける人もいます。ある不正の報道を見て、「世の中、悪い人間ばかりだ」としか感じない人もいるでしょう。が、同じ報道を見て、不正を許さない人、それを正そうとする人、そうした多くの見えない人間たちが日々必死になって活動し、こうした不正が摘発されているんだ、ということを感じ取る人もいるでしょう。 目に見える一つの「悪」の背後には、それを正そうとする無数の見えない「善」が存在します。だからこそ、どこかに隠れ潜んでいた悪を表に炙り出すことができたのですから。そうではありませんか?
ご意見そのとおりの部分あると思います。 モチベーションを阻害することの多い時代です。 ただ、夢を実現するために、技術上、戦略上しっかりと現実を知らないとプロとして通用しないという厳しい時代ということもあります。 結局バランスの問題でしょうね。