連行させられた=意思と反するという事でよいですか?
徴用制度を朝鮮半島に適用したのは1944年9月から翌年3月です。数は2000人ほどです。
これとは別に志願兵制度・官斡旋・募集などがあったようです。これら全体を含めて総数が200万程度。政府の帰還事業で帰ったのが140万程度。
残りは日本に残りたかった人か、連絡が行き届かなかった人という計算になります。
拉致事件とこれとを比べるという話でしょうか。
当時、朝鮮半島は併合されており日本国の一地方という扱いです。徴用制度は日本国民に対して実施されたもので、当然本土でも実施されました。1941年8月が最初でしたので本土の方が3年ほど早かった事になります。海を渡る船舶と燃料が当時は大変貴重だったのでわざわざ朝鮮から連れてくる事もなかったようですね。さすがに終戦直前には人手不足でそんな事も言ってられなくなったようですが。それはさておき、あくまで日本国内の事であり、当時存在しなかった北朝鮮政府にどうこう言われる筋合いはありませんし、戦後補償問題も日韓基本条約で朝鮮半島の正当な政府として韓国を認めてしまっているので、請求するなら韓国に請求してくれという話ですね。
一方、拉致事件に関しては日本国内にいる日本人を北朝鮮政府下の組織で拉致しましたので、これは人権問題以前に国権の侵害に該当します。当然、日本政府は相応の措置に出る事になります(でなかったら国家存亡の危機です)。
お礼
大変わかり易く説明をしていただきありがとうございます!気になっていたことでしたので少しつっかえがとれた気がします。 拉致事件と比較するという意図はなかったのですが拉致事件について言及があるときに一部の人々から強制連行の話が出るので気になっていました。とてもわかりやすくすごく理解しやすかったです