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好きな日本シリーズ

思い出に残る日本シリーズ、印象に残るシリーズなどあったら教えてください。何年のシリーズか、そして簡単な試合展開、印象あるシーンなどあれば添えてください。シリーズという特別な舞台に対する何らかの思いもあれば、うれしいです。 シリーズについて思うのは、最近は個々の戦力やチーム戦略よりも地の利も大きな要因になっているなと思います。ビジターでも選手は一生懸命やっていますが、相手チームの大歓声はどうしても影響しないとはいえないと思います。もし、きょう日本ハムが負けていれば、名古屋での流れが変わることだってあるわけだし。2003年は全試合、ホームチームが勝ち、福岡ダイエーが阪神を下しましたが、今年も真中の3試合が札幌でだったことは、有利に働いたような気がします。それと、落合監督も言っていた、日本シリーズのプレッシャー。1954年のことは生まれてもいないので、わかりませんが、私が知っている中日の日本シリーズでは1度も日本一になれていない。何かジンクスに負けたようで、気の毒な気がします。

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  • yakyutuku
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回答No.8

私は1992,1993の森野村の知将対決が好印象を残しています。まさかの奈良原敬遠での秋山勝負や、最終戦雨で流れた後、川崎の好投など驚きの連続でした。あのシリーズこそ野球の醍醐味が濃縮されていたと思います。あとシリーズというより1試合ですが、1999の工藤対ドラゴンズ。工藤の解答で1試合だけでなくドラゴンズ打線そのものをズタズタにした試合。まさに中年オヤジ恐るべしといった感じでした。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。'92,'93の知将対決は印象に残りますね。また、古田・伊東の捕手対決も話題になりました。私は、'92第1戦の杉浦の代打逆転サヨナラ満塁弾が強烈に印象に残っています。「奈良原敬遠、秋山勝負」すいません、そういうシーンがあったのかは覚えていませんが、秋山が不調だったのでしょうか。このころから早く4勝することより、7戦トータルで戦うことを念頭に置いた投手配分など、私もシリーズの醍醐味はこの2年に詰まっていると思います。最近は地域密着がうまくいき、名古屋、北海道、福岡、千葉など成功していますが、内弁慶シリーズの傾向が強く、それほど、地元チームを応援するファンの力の大きさを感じます。それはそれで、もちろん評価すべきことですが、勝負の文という面では、'92,93年のようなシリーズの方が純粋に勝負の中身に入りこめる試合だったような気がします。 '99年の第1戦は工藤投手の力投と秋山のホームランなど元西武陣が活躍して勝利しました。私はホークスファンですが、事前予想は圧倒的に中日有利で、私もリーグ優勝はうれしかったのですが、まだ初優勝でしたので、半信半疑でした。素直に中日の方が力は上だろうと思っていましたが、工藤の力投はその後、永井、星野、篠原などのピッチングにもつながる勝利だったと思います。

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  • yakyutuku
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回答No.13

どっかで記憶が摩り替わったみたいです。チョット探してみます。すいませんでした。

noname#33272
質問者

お礼

いえいえ、もう10年以上前のことですから。いつのまにか記憶が摩り替わることは誰にでもよくあることだと思います。 一応、詳細ありました。 http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/boxscore1992_7.html

  • yakyutuku
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回答No.12

”「奈良原敬遠、秋山勝負」すいません、そういうシーンがあったのかは覚えていませんが”  92年第七戦、10回表ワンナウト2,3塁、バッター2番奈良原のシーンで、野村監督は奈良原敬遠、秋山勝負を指示しました。秋山はそのシリーズも普通に当たっていました。野村監督によると、スクイズを警戒しながら勝負するより、秋山との勝負を選んだとのことです。結果は犠牲フライ。これがこのシリーズの決勝点となりました。  

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。奈良原の敬遠で調べてみたのですが、'92,93年ともに見当たらないようですね。'92年の第7戦10回表の西武の攻撃は、一番辻の2塁打から始まり、二番大塚の投手への犠牲バントで辻は3塁に進む。ここで、3番秋山がセンターへの犠牲フライで、3塁ランナー辻が生還。四番清原が17打席ノーヒットのため、8回表に三振した後、守備固めの奈良原に交代。その奈良原が三振で10回表の攻撃は終了となったようです。 秋山の犠牲フライが決勝点となり、2-1でヤクルトを下して西武が日本一となったようです。(「日本シリーズの軌跡」ベースボール・マガジン社)

noname#118935
noname#118935
回答No.11

今年もおもしろくない日本シリーズでしたね。なのに解説者の栗山が毎試合、「疼きますねえ!」。かれ、膝でもわるいんですか。 敵地ではからきし勝てない。覇者と覇者が火花を散らす日本シリーズ。その天下分け目の大勝負が応援団の数で決まるとはシラけます。 それで思い出すのが、昭和51年の阪急ー巨人の日本シリーズ。 阪急が山口、山田、足立でいきなり三連勝。山口はいまではすっかり忘れられていますが、日米大学野球で、快刀乱麻のピッチング、初めてアメリカを下したヒーロー。170センチそこそこと小柄ながら、快速球で鳴らしました。 三連敗の巨人が三連勝と切り返しての第七戦。舞台は後楽園。巨人ファンで埋め尽くされたスタンドは、シリーズの流れが完全に巨人に傾いているとあって、試合が始まる前から、おおいに盛り上がってました。だから終盤に巨人がビッグチャンスを迎えたときは、これで決まった、というように狂喜乱舞、まるでファンのひとり、ひとりが吼えてでもいるような迫力でした。 マウンドにいたのは下手投げのベテラン足立。山田とともに阪急の黄金時代を築いた投手でしたが、圧倒的な巨人ファンの怒涛のような歓声のなか、「いくらでも騒げ、騒げ」と胸のなかでつぶやきながら、コントロールを乱さず、巨人打者を打ち取り、勝利をものにしたのでした。 つめの垢を、なんて、いいませんけどね。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。阪急黄金時代の日本シリーズですね。第6戦が巨人の大逆転での勝利。確か0-7くらいから、高田、小林、淡口などの活躍で勝利したのが印象的でしたが、第7戦を取れず敗北。 >阪急が山口、山田、足立でいきなり三連勝。山口はいまではすっかり忘れられていますが いえいえ、しっかり記憶に残る投手だと思いますよ。山口投手はこの年よりむしろ、前年の広島との日本シリーズが印象的でした。あのスピードは誰も打てないという感じでした。速くて重い球。でも、特にすごかったのはこの年のみ。以後数年は活躍しましたが、短命でした。しかし、私の中では歴代最速投手として残っています。ただ、記録を見ると私は救援投手のイメージを持っていたのですが、シリーズでも先発完投して、次の試合抑えをやったりしていますね。 足立、山田、山口、福本、加藤秀、ウイリアムス、マルカーノなど豪華メンバーで阪急の強い時代でしたが、今と違いパ・リーグの人気があまりなかった時代。'76,'77いずれも後楽園球場で日本一が決まったのは気の毒な気がします。

回答No.10

阪神ファンなので85年のシリーズ、と言いたいところですが、衝撃度という点で言えば やはり78年のヤクルト-阪急の第7戦、大杉選手のポール際のホームラン判定に対する 阪急上田監督の1時間19分の猛抗議のシーンです。 当時TVで中継を見てましたが、ものすごい抗議で、こちらにも緊張感が伝わってきたのを覚えています。 はっきり言って完全にファールでしたよね。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。ものすごい抗議でしたね。上田監督も若かったのか、コミッショナーの説得にも応じず、非常に頑固でしたね。これも記憶に残るシリーズですが、責任を感じて監督を辞任されました。結果論から言えば、試合再開後、再び大杉の正真正銘のホームランも出たので、文句なしというところでしょうが、勝負を預かる監督としては、誤判定と思った以上一歩も引き下がるわけにはいかなかったのでしょう。でも、やっぱ1時間19分は長すぎる。試合が終わるころにはナイターでしたから。

noname#35575
noname#35575
回答No.9

私が小学校時代、1958年、西鉄と巨人が対戦。監督も水原対三原、確か長島が新人デビューの年だったような……公民館まで見に行くと、大勢の人だかり、試合が始まると叫ぶは、怒鳴るはで臨場感いっぱいでした。3連敗のあと、4戦目は、稲尾が、かろうじて勝ち、5戦目は、延長で稲尾がサヨナラ本塁打を打ち、見ている人がヒートアップして、6戦目は稲尾が完封。7戦目は、長島が9回に稲尾からランニングホームラン、しかし、西鉄の勝ちで、「神様、仏様、稲尾様」と世間でハデに言われて奇跡の逆転勝ちと新聞に書かれた事が、思い出されますね。学校から帰ると、手伝いもせず暗くなるまで野球ばっかりしていましたのが、昨日のごとく蘇るます。他に見所は、青バットの大下、赤バットの川上でした。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。私は生まれる前のシリーズですが、何かと取り上げられることの多い伝説のシリーズですね。公民館でご覧になっていたのですね。物質的には今の方が豊かかもしれませんが、公民館でみんなで喜びや怒声が飛び交う姿というのも、仲間どおしみんなで応援し合う団結した感じが、昔のよき日本、よき時代という感じがします。今は、パブリックビューイングで優勝の試合など見る機会が増えましたが、私は行ったことはないですが、一体感を持って応援するのもいいなと思いますね。 雨で第4戦が流れたことも稲尾の連投が可能になり、西鉄に有利に働いたようです。3連敗して、三原監督がポケットマネーを使って、中州で選手を思い切り遊ばせたこともいい気分転換になったとか。

回答No.7

どちらかというと アンケートに近いですね けど面白いです。 僕は89年あたりの日本シリーズで たしか最終戦は8-3で井上がライトフライで優勝決めたときだとおもいます。中畑が引退をかざるホームラン なんといっても 香田がブライアントから内角にズバッとストレートで三振をとったシーンをおぼえます。 ただ この3つがおなじシリーズかどうかをわすれてしまってます。 まちがえていたらごめんなさい

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。'89年の日本シリーズですね。巨人ー近鉄はこの年だけなので、すべて同じシリーズでの場面ですね。3連敗からの4連勝と加藤の発言が今となるとまず思い出されますが、個々のシーンでは回答者の方のシーンも印象的です。そういえば、新庄のスター性が連日テレビ・新聞等で取り扱われていますが、野球の成績だけでなく、ムードで引っ張る選手は長嶋茂雄の間には中畑清がいましたね。

  • takumiai
  • ベストアンサー率22% (35/158)
回答No.6

日本ハム優勝の次の日で申し訳ないのですが・・・。 1981年の巨人VS日本ハムです。 江川投手が引退の記者会見でも言っていたウィニングボールにもなった 「ピッチャーフライ」を捕球したシーン。なぜか忘れられません。 小学生時代巨人ファンだったせいでもあるかもしれませんが、江川、 定岡、西本の3本柱は強かったです。日本シリーズ自体の内容は大した 事なかった記憶ですw

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。きのう日本一になった日本ハムの前回の優勝ですね。個人的には中学・高校時代は野球はあまり見ていないのですが、後でこの年のシリーズはビデオなどで見ました。今は「喝」でおなじみの大沢親分が指揮したシリーズで、後楽園決戦。定岡投手は甲子園のアイドルで、巨人に入ってからも人気がありましたが、なかなか1軍で活躍する機会がなく、そのうち私も野球を見なくなりましたが、きっと定岡投手の全盛期はこのころだったのかもしれませんね。

noname#25898
noname#25898
回答No.5

広島×近鉄の「江夏の21球」です。 今ほど、プロ野球に興味は、なかったのですが、これは、見入りました。 このあと、ワープロの検定問題が、このコラムでした。 ヤクルト×近鉄です。 情けないことに当日10時に球場に並んだにもかかわらず、席がとれてしまいました。 ヤクルトなればこそだと思いました。 優勝決定の瞬間、近くで、観戦していた人と、やたら、抱き合いました。 西武×阪神。西武鉄道の車庫にしのびこんだ、阪神ファンが、黄色い車体に黒縞をスプレーし、カスタムで、阪神優勝記念電車を作成していきました。 関係者の中では、語り草です。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 広島VS近鉄 '79年のシリーズですね。個人的には野球を見なくなった時期なので、直接は見ていませんが、何かと話題で、その後ビデオなどで見ました。カーブの握りのままスクイズを外すというのは、江夏のすごい芸当ですが、広島の方が落ち着いていて、近鉄の方がスクイズのサインに浮き足立ったという違いが結果に現れたように思います。西本監督は8度リーグ優勝し、一度も日本一になれなかった悲運の名将。中日も52年ぶりの日本一を果たせず、どちらも何かチームの実力というよりもジンクスに負けているような気がして気の毒ですね。 ヤクルトVS近鉄 2001年ですね。個人的にはホークスファンですが、正直今年と同様、個人的な盛り上がりはなく、冷静に見ていた感じです。当日にチケットが購入できたのですね。印象に残るのは第2戦にタフィーローズがホームランを打ったこと。シーズンの優勝決定試合(北川の代打満塁弾)の方が印象深いですね。近鉄は日本一を一度も経験せずに消滅しましたが、楽天に期待です。 西武VS阪神 この話聞いたことありますね。阪神の電車でやればいいのに。逮捕されたのでしょうか。阪神の電車がどういうデザインかは詳しくわかりませんが、確かに西武は黄色の車両が多いですね。まあ、徹底マークしてもバースは打ちましたからすごいと思います。バースとチームの勢いがすごかったですね。そういえば、2003年の阪神の優勝のときは、1985年の阪神優勝だったか日本一かの日刊スポーツが復刻版で売っていましたね。

  • Ryu831
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回答No.4

1990年の西武が巨人に4連勝したのが強烈に印象に残っています。 あまりの西武の強さに当時巨人ファンだった私は、負けた悔しさを通り越して恐ろしささえ感じました。 特に辻、秋山、デストラーデは打席に入っただけでもうどこに投げても打たれるとしか感じませんでしたね~。1,2戦連続して初回でエースが失点し、格の違いを見せつけられた感がありました。 熱戦とは言えませんが、ある意味とても印象に残っていて、その後しばらく、あの西武の青いユニフォームを見ると悪夢がよみがえりました(^^;)。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/1990%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。その年20勝した斉藤雅樹が、どうも調子がよくないという話はありましたが、会社の懇親会で近くの行楽地に行った帰りのバスで先発が槙原であることを知り、私の上司も「えっ、先発槙原?」と嘆くような声で、試合をやる前からああ負けだなという感じでした。おっしゃるとおり、第1戦も第2戦も初回から西武が打つわ、打つわで、毎試合ビデオテープを見ているように同じような展開で、スコアも覚えてなく、一方的に西武の4勝0敗でしたね。全く絡むところがなかった、熱戦でないが、ある意味とても強烈なシリーズでしたので、忘れないかもしれません。巨人は、リーグ優勝を決めたのが9月7日とかなり早かった。それだけ、強かったということなのですが、シリーズまでの調整期間が長すぎたということは不利に働いたかもしれない。でも、岡崎が野球の質が違うと驚いたように西武の方が完全に力は上だったと思います。

回答No.3

私が心に残ってるのは1987年の西武-巨人の第6戦で西武の辻が見せた走塁ですかねぇ。 秋山のセンター前のシングルヒットで1塁からホームまで帰ってきたんですが 当時小学生だった私は「すげー!」を連発したのを覚えています。 ちなみにそのシリーズは西武が日本一になりました。 いや、まあ、すごく地味なんでけどね(笑)

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。辻の1塁からの力走はすごかったですね。クロマティーの緩慢プレー、それをつぶさに観察していた伊原3塁コーチ。ショート川相もボールを受けたときには既に3塁を回っていました。当時は巨人サイドから見ていましたが、あっけにとられた感じです。このシリーズでは、辻だけでなく清原も同様の場面で長駆ホームインしています。この時代は投打のバランス、質量ともに西武は他のチームの上をいっていましたが、選手全員がチームプレーに徹してしたことも強さの要因だったと思います。

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