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ソヴィエト連邦!
スターリンはショスタコーヴィチの曲をつぶさに聞いていたのでしょうか?旧共産党委員会がいちいちチェックしていたのに対し、スターリンは? 当時はCDなんてものは無かったから、レコード(SP?)で聞いたのでしょうかねえ…
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- nabayosh
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卒論でショスタコーヴィチを扱ったのですが、今では記憶もおぼろげですので参考意見として。 プラウダ批判のことを言うならば、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」だとか「明るい小川」をスターリンは観劇しています。ただ、せいぜい「くだらん」と言った程度だったと思います。 (これだけでは、音楽が駄目なのか、舞台として駄目なのかがわからないのですが) それを大げさにとって「音楽ならぬ荒唐無稽」とか「バレエの嘘」とかいった批判が生まれたと思われます。 という考え方は、ショスタコーヴィチに同情的すぎるでしょうか。 いずれにしても、「つぶさに」というほど詳しく聴きこんだわけではないはずです。 観劇なんて一回くらいだと思います。
- uni37
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正確な客観情報はほかの方にお願いするとして、あくまで個人的印象です。 たとえば、ショスタコーヴィチの交響曲第5番をムラヴィンスキーの指揮する演奏で聴いて、当時の解釈として示されたきわめて楽観的な理解をそのまま鵜呑みにできる人がどれだけいるでしょうか。あるいは、なぜ陰惨な交響曲第8番よりも、軽いとはいえいちおう祝祭的な雰囲気ももつ交響曲第9番のほうが批判の対象となったのでしょうか。 これらの疑問からして、スターリンはもちろん、旧共産党の文化部門ですら、楽曲の内容に深くたちいって検討していたとはあまり思えません。交響曲第5番についていえば、「第4番をお蔵入りにさせた」ことで党の指導に服する「姿勢を見せた」ことが評価されたのだと考えられます。第8番は戦時中のどたばた故に見過ごされ、いったん評価がかたまった以上撤回できず、第9番はその意趣返しも含めて批判された、というのが私の憶測です。だいたい、旧共産党の文化政策における基本線とされた「社会主義リアリズム」とは、当初このスローガンで展開された文化運動の水準とは桁違いに低い、一貫性も何もないご都合主義的なものでしかなかったのですから。 お役に立たないで申し訳ないのですが、日頃思っていたことなのでつい書き込んでしまいました。お許しください。